「はぁ……」
 ベッドに腰を掛けた状態で小林が深くため息を吐く。
 小林は生気を抜かれたような目で、自身に掛けられている白い布団をおぼろげに見つめていた。
 そこへ大智、大森、愛莉の三人がやって来る。
「春野!? それに大森、秋山さんまで? ど、どうしたの?」
「どうしたのって、お見舞いに決まってるじゃないですか。つって、手ぶらできちゃったんですけどね。すみません」
 大智が後頭部に手を当てながら謝る。
「い、いいよ、そんなの。逆に申し訳ないし。ただでさえ、みんなに迷惑かけちゃったのにさ……」
 小林は一気に顔を曇らせ、俯く。
「そんなに一人で背負い込まないでください」
 大智が言う。
 だが、小林は俯いたままである。
「俺らの方こそ、すみませんでした」
「え?」
 大智の謝罪の言葉を聞いた小林は驚いたように顔を上げた。
「小林さんの様子がおかしいことには気が付いていたんです。けど、最終回はそこまで気が回らなくて。もう少し、急いでいれば倒れずに済んだかもしれないのに」
 大智は言葉を詰まらせながら言う。
 小林は大智の話を聞き終えると、首を横に振った。
「ううん。倒れたのは俺の体調管理がなってなかったからだよ。それに、それだけ相手に集中できてたから、あそこまで港東を追い込めたんじゃないかな。俺のことを気にして、焦りでもしてたらまた違う結果になってたかもしれないし」
 小林の表情は晴れないが、その言葉には確信めいたものが感じられる。
「それは……、そうですね。そもそも余裕がなくなるくらい追い込まれて、それでも何とか抑えようと必死になって、それで抑えられたんだから、バッターに集中してなかったらやられてましたね。小林さんの言う通りです。でも、あれだけ暑かったんだし、いくら気を付けてても、ちょっとしたことで誰だって熱中症にはなり得ますよ」
「それはそうなのかもしれないんだけど……」
 小林がくぐもった声で言う。
 大智は首を傾げる。
「倒れた理由に何か思うことでも?」
「うん。まぁ……」
 小林が俯く。
「何かあったんですか?」
「実は……」
 そこまで言って小林は言葉を止める。
 そして、一旦、間を空けると、意を決したように話し始めた。
「実は、試合の前日、全然眠れてなかったんだ。緊張して一晩中目が冴えたままで……」
「高校最後の大会ですもん。そうなるのは仕方ないですよ」
 愛莉が優しくフォローする。
 大智と大森もそれに同意した。
「うん。まぁ、そこまではね」
「え?」
 愛莉が首を傾げて訊く。
「今思えば眠れなくても、目を閉じて体を休めていればよかったんだけど……。俺、何だかじっとしていられなくなってさ、起きてバット振ってたんだ。最初は少しだけのつもりだったんだけど、気が付いたらあと少し、もう少しだけってキリがなくなっていってさ。振れば振るほど、どんどん不安になっちゃって……。気が付いた時にはすでに夜が明け始めてた。そこで慌てて仮眠だけでも取ろうと思ったんだけど、全然ダメで」
 小林はそう言い終えると、俯いたまま黙った。
「そうだったんですか……。でも、そのおかげでヒット打てたじゃないですか。しかもタイムリー。小林さんのタイムリーヒットがなかったら、最終回、リードした状態で迎えられてなかったんですから」
 大智が小林を元気づけるように言う。
「それは確かにもの凄く嬉しかった。本当に嬉しかった。俺なんかがあの港東からヒット、しかも勝ち越しのタイムリーヒットを打てたんだから、夢みたいだった」
 小林が嬉しそうに語る。
 しかし、次の瞬間、小林は一瞬にして表情を変えた。
「でも、勝ちを目前にして、しかもあんな形で試合を終わらせてしまって……。みんなに本当に申し訳なくって……」
 小林の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「小林さん……」
 三人が心苦しそうに呟く。
「ごめん……」
 小林は涙を拭って顔を上げると、大智とその後ろにいる大森と愛莉に目を向けた。
「小林さん、一つだけ訊いてもいいですか?」
 大智が訊く。
「何?」
「倒れたことは一旦置いといてもらって。試合、楽しかったですか?」
 大智は真っすぐな目を小林に向けて訊いた。
「それは……」
 小林は少し悩むように考える。
「楽しかった。本当に、楽しかった。まさか俺らが港東みたいな強豪校とあんな競った試合ができるなんて思ってもみなかったから。本当に最高だった。だからこそ、最後に倒れたのが、本当に申し訳なくって……」
 小林の目がまた潤む。
「なら、よかったです」
 大智がにこやかな笑顔で言う。
「え?」
「小林さんに、木村さんもですけど、楽しかった、良い試合だったって思ってもらえたんならよかったです。勝ち負けを気にしていないって言ったら嘘になりますけど、先輩たちにそう思ってもらえたのが俺らは一番嬉しいです。な?」
 大智は告げると、大森に視線を送った。
 それを見た大森は笑顔になって、ゆっくりと首を縦に一度動かした。
「春野……。大森……。ありがとう」
 小林の目から再び涙が落ちる。
 しかし、その瞳は真っすぐ大智たちを見ていて、口角は上がっていた。
「お礼なんていいですよ。今の野球部があるのは小林さん達のおかげなんですから。お礼を言わないといけないのは俺たちの方です。生意気な俺たちを文句一つ言わず温かく迎えてくれて、本当にありがとうございました。出来ることなら一緒に甲子園に行きたかった。でもそれはもう叶わないから……。来年、もしかしたら再来年になってしまうかもしれないですけど、俺たちが千町を、絶対に甲子園に連れて行きます。だから、その時は是非、見に来てください。お願いします」
 大智が深々と頭を下げる。
 続いて大森も深く頭を下げた。
 愛莉はその様子を目に涙を滲ませて見つめていた。
「甲子園……」
 小林は驚いたようにその言葉を呟く。
「はい」
 大智は顔を上げて力強く頷く。
「甲子園……、か。憧れはあったけど、現実的に考えたことはなかったな……。でも、春野たちならやってのけそうな気がするよ。まぁ、甲子園に行けるような実力もない俺が言ったところで説得力はないだろうけどさ」
「そんなことないです。嬉しいです」
 小林はそう言われると、ふっと息を吐いて微笑んだ。
「あ。今日、初めて笑いましたね」
 大智がニッと笑って言う。
「え? そ、そうだった?」
 小林が恥ずかし気に訊き返す。
「はい。元気が出たみたいでよかったです」
「そっか。うん、何だか少し元気が出たような気がするよ。いつまでも試合のことを悔やんで、後ろばかり見てたらダメだなって思えてきた。ありがとう」
 小林はそう言って頭を下げる。
「千町が甲子園に出たら勿論、応援に行かせてもらうよ」
「ありがとうございます」
 大智と大森が声を揃えてお礼を言う。
「そしたら、あれ俺の後輩なんだって自慢しちゃおうかな」
 小林は恥ずかしそうにしながらも、おどけたように言った。
「ぜひ」
 大智がニッコリと笑う。
「まぁ、それは冗談として。頑張ってね。来年の春までは人数が揃わなくて大変だと思うけど、春野たちならきっとやれるって信じてるから」
「はい」
 大智はその言葉に一つ力強く返事をした。