「やっぱりここにいた」
愛莉が大智の背中に向けて優しい声をかける。
町の小高い山の上にある公園。
大智はそこに置かれているベンチに座って、目の前に広がる瀬戸内海を望んでいた。
その背中は悲し気である。
大智は愛莉の声が聞こえると、後方へ振り返った。
「愛莉……」
振り返って見えた大智の目はどこか虚ろ気味である。
大智がこんな顔をするのは珍しい。
だが、愛莉は平然と続ける。
「小林さん、目覚ましたって」
大智はそれを聞くと、ホッとした様子を見せ、すとんと肩を撫で下ろした。
「そっか……。なら良かった」
九回二アウト二ストライクとあと一歩のところまで相手の港東高校を追い込んでいた千町高校。
しかし、突如、サードの小林が熱中症で倒れ、そのまま緊急搬送。
人数が足りなくなった千町高校は二対一と勝ち越していながら、負けを喫した。
「隣、いい?」
大智の側に来て愛莉が訊く。
「あぁ」
愛莉は大智の返事を待って、二人掛け用のベンチに座っている大智の隣に腰を下ろした。
それからしばしの間、二人の間には静かな時間が流れた。
大智は再び目の前の景色に目を向けている。
愛莉も大智と同じように前方の景色に目を向けていた。
「落ち込んでる?」
ある程度時間が経った所で愛莉が先に口を開いて訊いた。
「いや。と言いたいところだけど……。ちょっとだけな。形がどうであれ、負けは負けだからな」
「港東をあそこまで追い込んだんだもんね」
「うん。まぁ、それもあるけど、結局、剣都にやられっぱなしだったからな。改めてあいつとの差を見せつけられた気がしたよ。正直、投げていて、抑えられるイメージが一度も湧いて来なかった。今回は完全に力負けだった」
大智がしみじみと語る。
「でも、今回大智は部員集めもしてたわけだし、剣都は春から野球漬けだったみたいだから多少はしょうがない部分もあるんじゃ?」
「それは言い訳だろ」
「え?」
「元々、俺は千町に部員が足りていないことがわかった上で進学したわけだしな。当然、人数が集まるまでは自分の練習に充てる時間が減るのはわかってたことだし、実際にそうなった。とは言え、あらゆる時間を削ってそれを補おうと思えばできたわけだからな。一年の夏からいきなりあいつと当たることはないだろう、まだ時間はあるだろうって、気を抜いていた俺の甘さだよ」
大智が自分を戒めるように言う。
「それは……。そう、なのかもしれないけど。でも、試合はあと一歩のところまで追い込んだじゃない」
「まぁな。でもそれはみんなの力があってのことだ。俺一人の力じゃあない。みんなが勝利を目指して、信じて、一生懸命戦った結果だよ。だから……」
そこまで語ったところで、大智は言葉を詰まらせる。
目には涙が溜まっていた。
「大智?」
それに気が付いた愛莉は驚きと心配の感情を向ける。
「勝たせて……、あげたかった……」
大智の目から、涙は流れていない。
今にも零れ落ちそうな涙を大智は懸命に我慢している。
大智は唇をギュッと噛みしめていた。
「大智……」
その姿に愛莉は何も言えず、ただ黙ってじっとその姿を見守った。
「すまん。一番悔しいのは小林さんのはずなのにな。試合ができるかどうかもわからない状態の中、人数の少ない部を守り続けて。それなのに無鉄砲な俺らを温かく迎えてくれて。知ってるか? 小林さん、ほんと上手くなったんだ。俺らが生意気に指摘しても、嫌な顔一つせず、すっげぇ真剣な目で聞いてくれるんだ。練習もほんと一生懸命でさ、野球が大好きなのが凄く伝わってきた。キャプテンが小林さんじゃなかったら俺らはきっと、あそこまで辿り着けていなかった。なのに……、あんな形で試合が、小林さんの高校野球が終わってしまって……。もう少し早く、もう少しだけでも早く、試合を進められていたら、あんな事には……」
大智はそう語りながら膝の上に置いた拳をギュッと握り締めていた
そして、目を閉じ、ギュッと唇を噛みしめる。
瞑った目からは一滴の涙が零れ落ちて行った。
その様子を静かに見守っていた愛莉は、大智の硬く握られた右手の上に自身の左手をそっと覆うように乗せた。
それに気が付いた大智は力の入っていた肩の力をすっと抜き、目を開く。
そして、ゆっくりと愛莉の方に顔を動かすと、愛莉の顔を見つめた。
「大丈夫。大智のその想いは小林さんにも、他の先輩たちにもきっと届いてるから。みんな、あんなにも一生懸命お互いのことを応援してたんだもん。きっと大智の勝たせてあげたかったって想いも、みんなに伝わってるはずだよ。小林さんたちの夏は終わっちゃったけど、大智にはまだ二回ある。来年、それがダメなら再来年になってもいい。小林さんたちを甲子園に連れて行ってあげよ?」
愛莉はそう言い終えると優しく、温かい笑顔を大智に向けた。
「愛莉……」
大智の表情が少し和らぐ。
「そう……、だよな。わりぃ。柄にもなく、ちょっと落ち込んでた。過去のことを振り返ったところで何も解決しないってこと忘れてたわ。こういう時は前見て、次、何ができるか考えないと、だよな?」
「うん」
愛莉は優しく微笑みながら頷いた。
「そうだよな。それに、愛莉との約束もあるもんな」
「そうだよ。くよくよしてる時間なんてないんだから」
「しゃあ! んじゃあまた、走り出しますか!」
大智は目の前に広がる瀬戸内海に向けて立ち上がった。
愛莉が大智の背中に向けて優しい声をかける。
町の小高い山の上にある公園。
大智はそこに置かれているベンチに座って、目の前に広がる瀬戸内海を望んでいた。
その背中は悲し気である。
大智は愛莉の声が聞こえると、後方へ振り返った。
「愛莉……」
振り返って見えた大智の目はどこか虚ろ気味である。
大智がこんな顔をするのは珍しい。
だが、愛莉は平然と続ける。
「小林さん、目覚ましたって」
大智はそれを聞くと、ホッとした様子を見せ、すとんと肩を撫で下ろした。
「そっか……。なら良かった」
九回二アウト二ストライクとあと一歩のところまで相手の港東高校を追い込んでいた千町高校。
しかし、突如、サードの小林が熱中症で倒れ、そのまま緊急搬送。
人数が足りなくなった千町高校は二対一と勝ち越していながら、負けを喫した。
「隣、いい?」
大智の側に来て愛莉が訊く。
「あぁ」
愛莉は大智の返事を待って、二人掛け用のベンチに座っている大智の隣に腰を下ろした。
それからしばしの間、二人の間には静かな時間が流れた。
大智は再び目の前の景色に目を向けている。
愛莉も大智と同じように前方の景色に目を向けていた。
「落ち込んでる?」
ある程度時間が経った所で愛莉が先に口を開いて訊いた。
「いや。と言いたいところだけど……。ちょっとだけな。形がどうであれ、負けは負けだからな」
「港東をあそこまで追い込んだんだもんね」
「うん。まぁ、それもあるけど、結局、剣都にやられっぱなしだったからな。改めてあいつとの差を見せつけられた気がしたよ。正直、投げていて、抑えられるイメージが一度も湧いて来なかった。今回は完全に力負けだった」
大智がしみじみと語る。
「でも、今回大智は部員集めもしてたわけだし、剣都は春から野球漬けだったみたいだから多少はしょうがない部分もあるんじゃ?」
「それは言い訳だろ」
「え?」
「元々、俺は千町に部員が足りていないことがわかった上で進学したわけだしな。当然、人数が集まるまでは自分の練習に充てる時間が減るのはわかってたことだし、実際にそうなった。とは言え、あらゆる時間を削ってそれを補おうと思えばできたわけだからな。一年の夏からいきなりあいつと当たることはないだろう、まだ時間はあるだろうって、気を抜いていた俺の甘さだよ」
大智が自分を戒めるように言う。
「それは……。そう、なのかもしれないけど。でも、試合はあと一歩のところまで追い込んだじゃない」
「まぁな。でもそれはみんなの力があってのことだ。俺一人の力じゃあない。みんなが勝利を目指して、信じて、一生懸命戦った結果だよ。だから……」
そこまで語ったところで、大智は言葉を詰まらせる。
目には涙が溜まっていた。
「大智?」
それに気が付いた愛莉は驚きと心配の感情を向ける。
「勝たせて……、あげたかった……」
大智の目から、涙は流れていない。
今にも零れ落ちそうな涙を大智は懸命に我慢している。
大智は唇をギュッと噛みしめていた。
「大智……」
その姿に愛莉は何も言えず、ただ黙ってじっとその姿を見守った。
「すまん。一番悔しいのは小林さんのはずなのにな。試合ができるかどうかもわからない状態の中、人数の少ない部を守り続けて。それなのに無鉄砲な俺らを温かく迎えてくれて。知ってるか? 小林さん、ほんと上手くなったんだ。俺らが生意気に指摘しても、嫌な顔一つせず、すっげぇ真剣な目で聞いてくれるんだ。練習もほんと一生懸命でさ、野球が大好きなのが凄く伝わってきた。キャプテンが小林さんじゃなかったら俺らはきっと、あそこまで辿り着けていなかった。なのに……、あんな形で試合が、小林さんの高校野球が終わってしまって……。もう少し早く、もう少しだけでも早く、試合を進められていたら、あんな事には……」
大智はそう語りながら膝の上に置いた拳をギュッと握り締めていた
そして、目を閉じ、ギュッと唇を噛みしめる。
瞑った目からは一滴の涙が零れ落ちて行った。
その様子を静かに見守っていた愛莉は、大智の硬く握られた右手の上に自身の左手をそっと覆うように乗せた。
それに気が付いた大智は力の入っていた肩の力をすっと抜き、目を開く。
そして、ゆっくりと愛莉の方に顔を動かすと、愛莉の顔を見つめた。
「大丈夫。大智のその想いは小林さんにも、他の先輩たちにもきっと届いてるから。みんな、あんなにも一生懸命お互いのことを応援してたんだもん。きっと大智の勝たせてあげたかったって想いも、みんなに伝わってるはずだよ。小林さんたちの夏は終わっちゃったけど、大智にはまだ二回ある。来年、それがダメなら再来年になってもいい。小林さんたちを甲子園に連れて行ってあげよ?」
愛莉はそう言い終えると優しく、温かい笑顔を大智に向けた。
「愛莉……」
大智の表情が少し和らぐ。
「そう……、だよな。わりぃ。柄にもなく、ちょっと落ち込んでた。過去のことを振り返ったところで何も解決しないってこと忘れてたわ。こういう時は前見て、次、何ができるか考えないと、だよな?」
「うん」
愛莉は優しく微笑みながら頷いた。
「そうだよな。それに、愛莉との約束もあるもんな」
「そうだよ。くよくよしてる時間なんてないんだから」
「しゃあ! んじゃあまた、走り出しますか!」
大智は目の前に広がる瀬戸内海に向けて立ち上がった。