なにこいつ!?怒り通り越してマジで頭おかしくなった!?
そう思ったが悠希の目は真剣そのもので、気迫に押しつぶされてしまいそうな感覚に陥った。
掴まれた手首にはとてつもない力が加わり、かなりの痛みが走る。
この手を振り払い、外に飛び出せないのは伝わる手の温もりで痛いほどわかる。
純粋に真っ直ぐぶつかり、腹をくくってこんなあたしを悠希は受け入れてくれている。
偽りなんかない、美しい瞳で…
歩はもう慶太の女じゃない。
悠希の女なんだ。
バッグから携帯を取り出し、悠希の目の前に差し出すと、あたしは登録していた慶太のデータを削除した。
「これでいいんだよね?」
「お前」
自分が今できる罪滅ぼしは番号を消し、関係を断つ。
そして慶太を忘れ、悠希の女として生きていく意志を伝えるのみ。
「これでいいの!もう電話はしない。繋ぐ物なんて何もないから」
「うん。わかった。もう慶太さんの話はしないし、するなよ」
「うん」
あたしは深く頷き、差し出された悠希の手を握りしめた。
二人は手を固く繋ぎ合わせる。
「ほれ、暗くなるな!歩の部屋に行くぞ!」
悠希はこれから始まる二人の恋路を導き、今までの過ちを鼻にもかけず明るく振る舞う。
車を発進させ、暗い夜道の中しっかりと繋がれた手を握りしめ、あたしの部屋まで走り出した。
あたしも部屋に着くまで手を離せなくて、この温かな優しい手の温もりを一生忘れまいと胸に焼き付け、目を閉じた。
それから部屋に付いた二人はこの日。
悠希の深い愛と共に1つになった。
もう何も二人を隔てる壁はない。
体の繋がり、それだけが愛だなんて思わない。
あたしは体を重ねて悠希を知り、本当の意味で女を知った。
悠希はつきあった日と同様、何度も何度もキスをしてきて、いとおしそうに頬を指で撫でる。
ぎこちなく唇を体に這わせ、くすぐったくてビクッとなる体。
あたしを包み込み、抱きかかえ、舌を優しく入れて絡ませる。
無理矢理じゃなく全て優しい。
こんな愛され方は初めてで。
とても新鮮で。
初体験のように頬を赤らめた。
今まで体を重ねた男達にされていたのは、一方的に相手がいく虚しい結びつき。
行為が終わると背中を向けられたり、洋服をすぐに着替えられたり…
悠希は男達とは正反対で何度もあたしを確かめる。
「気持ちいい?」
「ちゃんと感じてる?」
目があうたび必ず
「歩。大好きだよ」
と言い、長いキスをしてきた。
悠希の声が耳に入ると全身を巡る血が沸き上がり、溶けてしまいそうだ。
心地いい高音。
とろけそうな心地良さ。
あたしは悠希の背中に手をまわし、必死にしがみついた。
「悠希。ヤバイ…」
見た目は細いのに、筋肉質で男を感じさせる体。
何故か肌が触れ合うたびに泣きたくなったけど、幸せなのに泣くなんておかしいと涙をこらえる。
“愛されたい。もっと愛されたいよ”
愛を求め生きてきたあたしは、まだ悠希との愛が本物かすらわからない。
でも悠希の匂いを間近で感じ、ほのかに香る香水とタバコの匂いに懐かしさを感じて落ち着いた。
どこかさっぱりで、爽やかな匂いに心を奪われ首に手をまわし引き寄せる。
「ごめん。俺いきそう」
しかめっ面で必死にこらえている悠希の悩ましげな姿が愛しく感じてたまらない。
「うん。ちゃんといって」
それから悠希は力が抜け、精根尽き、あたしの上に倒れ込んだ。
少し汗でにじんだ悠希の背中。
指先で撫で、存在を確認する。
あたし達はここから始まるんだ。
まっさらなここから。
「俺、マジでお前好きだからな」
悠希は体を起こし目があうと、深くグイグイ唇にキスをして、くさい台詞をあえて真顔で言いってくる。
恥ずかしくてついあたしは吹き出しかけた。
もしかしたら騙されてるかもしれない。
女を知り尽くしたチャラ男かもしれない。
けどあたしはこの言葉に偽りは感じず、悠希を信じたくなったんだ。
どこにも確信なんてないのに…
悠希は横に寝転び、さりげなく腕枕をしてくれ天井を見上げる。
「あのさ…」
「ん?」
「俺、お前心配なんだよ」
「心配?何が?」
「ん?いろいろとな…」
悠希はそれからその事について一切触れず、違う会話で話を濁した。
問い詰めるのが嫌いなあたしは何も言わず、悠希が結局何を言いたかったのかわからぬまま肌と肌を密着させ、頬擦りし、甘えた。
「お前って本当可愛いのな」
「可愛いくなんかないよ」
「いや。最高可愛いし」
「何言ってんだか」
「ムカツクけどやられたな…」
あたしは悠希のもの。
悠希はあたしのもの。
心に問いかけ、いつの間にか先に眠る悠希の寝顔を見ていたら、あたしも眠気に吸い込まれ眠りに落ちていた。
産まれたままの姿で肌を重ねながら…
悠希と体を重ね、幸せを感じてから以前とは全く違う形で二人は仲良くなり、心が通い合うようになっていった。
地味な衝突はあっても大きな喧嘩もせず、会えば抱き付き、甘える事だって出来る。
慶太の影を追わず、何もかもがうまく行き過ぎで怖いくらいだ。
だが、一難去ればまた一難。
生きてれば平坦な道のりなどない。
どんなに男をこなそうとも今まで不快に感じなかったあたしの下半身。
悠希と体を重ねてから日が経たぬ内、異変が起こりだしたんだ。
下着に付着したおりものの匂いがやけにきつく、違和感を感じる。
なんだろう。
量も多い。
でも痒みはないし…性病?
まさかぁ~!まさかだよね…
気になりだすとどこまでも気になる。
何度も下着を確認しては、考えが悪い方向へと向かっていく。
やはり日を追っても改善せずおかしい。
絶対おかしい。
気になるなら病院へいってしまえと勢いで車に乗り、あたしは近場の婦人科で内診と検査をしてもらいにいった。
どこか薬くさい病院の匂い。
すくむ足を前に進ませ、腹を決め、受付の案内通り婦人科の椅子で呼ばれるまで待機する。
「山本歩さん。こちらにどうぞ」
「あの~これに座るんですか?」
「そうよ。ちゃんと足を乗せてね」
看護師に着いて行き、指示されるまま変な形をした椅子に乗る。
まさに変態雑誌で使う椅子。
あたしは結局足を台に乗せ、誰にも見せたくない姿をさらすはめになった。
薄いカーテンを一枚挟んで、反対側から下半身を覗き見た女医。
数秒にも満たず、ちょっと見ただけで
「あぁ~性病だね」
と慣れた言い方でサラッと口にした。
「えっ!?マジですか!」
「どう見ても性病よ。まぁ普通に検査するけどね」
女医はすぐ看護師を呼び、金属音がカーテン越しに聞こえてくる。
あたしがこれから何をされるのか自分の中で不安と戦い出していると、下半身に違和感が走った。
それと同時に何かを体内にグッと入れられ、しっかり女医は検査をしだした。
「彼氏いるの?」
「はい。いますけど」
変な椅子から降ろされ、女医の前に座り話を聞く態勢に入ると、女医は頭をペンの先でかきながら眉間にシワを寄せ、面倒くさそうに説明しだした。
「あなたは間違いなく性病。毎日薬入れて治療するからちゃんと来て。あっ!彼氏も移ってるかもしれないから性行為禁止。すぐ病院に連れてって検査させなさいね」
淡々と事務的に話す女医。
なんだか感じが悪い。
とても話づらい相手だが、ここだけは聞かねばと女医に話しかける。
「あの~彼氏に移した可能性高いですよね?」
小声で聞くと女医は無知なあたしを見て、呆れ顔でため息まじりに言い出した。
「移したか移されたかわかんないの。あなた多数と性行為してるわけじゃないんでしょ?」
「えっ、多数としてませんよ!」
本当は男を取っ替え引っ替えの過去。
今現状は悠希のみでも過去を振り返り心当たりのあるあたしは、ある意味正直者で、声が裏返ってしまう。
「いろんな男とやりまくってました」と言ったも同然だ。
「まぁどっちにせよ毎日来なさい。明日から当分薬いれるから。今日も薬いれといたからね。じゃ診察は終わり」
「あ、明日からですか…ありがとうございました」
事務的な診察が終わり、ゆっくりと椅子から立ち上がり待合室に歩き出す。
女医から告げられた“性病”という言葉はあたしに精神的なダメージを与えた。
廃人のようなとんでもない顔で会計を済ませ、呆然とあたしは家に向かった。
経験のない性病という未知数なもの。
噂には聞いていたが、自分とは無縁と思っていただけに帰り道は一気に気持ちが沈んでいる。
やべえ。性病ってなんだよ…なる奴は馬鹿とか言っていたあたしは馬鹿なんか?だせぇ…もしかして悠希に移したんかな、それとも移された?どっちなん…悠希が浮気…
車に乗り悠希に対する疑惑は膨らむばかりで、不安はなかなか消えず、ひたすらため息をつく。
部屋へ戻り、先に仕事に向け準備し、悠希の仕事が終わった時間を見計らってあたしは電話をかけた。
「こんな時間にどうした?」
悠希からしたら普段電話をかけない時間にかかってきたらそれは不思議だろう。
「ねぇ。悠希、浮気した時ある?」
ついさっき起きた出来事は伝えず、頭から悠希に非がある言いぶりで無我夢中で聞きだした。
「お前何言ってんの?」
「いいから!」
「馬鹿じゃねぇの?」
冷静に話す悠希の声はとても低く、結構迫力がある。
しかし、びびっている場合ではなく、一日も早く性病の件を伝えなければいけない状況だ。
「ん、じつはあたし性病って医者に言われてさ…」
「おい、ちょいまて。俺から移ったと思ってんの!?」
悠希はすぐ声を張り上げ、キンキン声が刺さり、耳元へ飛び込んでくる。
それはそうだ。
悠希からしたら疑われた上、性病持ちのレッテルを一方的に貼られているのだから。
でもあたしが原因じゃなく、悠希が原因かもしれないとこっちはこっちで思っている。
ちゃんと順を追って元をたどらなければどっちが悪いかなんてわからないが、悠希を完璧に疑っているあたしは絶対に自分に非はないと決めつけ、負けたくなかった。
「とにかくエッチ禁止!悠希も病院で検査しないとだめだって!」
「はぁ?マァ~ジかよぉ」
こんな時。
素直に“あたしのせいでごめんね”と言えたら可愛いのだろうが言えない損な性格。
素直に謝るのは苦手だし、恥ずかしいし、格好悪いと思っている。
年は大人なのに、頭と心は成長してないただの子供。
こんな女を相手にしている悠希は、何もかもが大変だったろう。
「マジだよ。あたしがなってるって事は悠希も可能性ありありなんだよ!わかったか、こら!」
「俺も病院かよ~ありえねえ」
攻撃的に話しかけていてもそんなものより性病の方がダメージは大きかったらしく、悠希はあたしにかかってくる気配すらない。
「とりあえず病院な」
「はぁ…わかった。俺休み取るわ。そん時は歩もこいよ」
「もち行くわい。休み決まったら即メールな」
「おう。じゃあな…」
「おうよ」
性病になるには必ずどちらかに非はある。
それを確かめなければ気が済まない。
白黒はっきりする為、あたしは悠希の病院に必ず着いて行くと決めた。
…そして決戦の日。
悠希は仕事を休まない人なのにわざわざ休みをとり、会社から離れた男性向けの個人病院へ一緒に向かってくれた。
小綺麗な清潔感のある待合室にはたくさんの男性患者。
その中に女はあたし一人。
場違いな空間で二人は受付を済ませ、椅子に座る。
隣に座る悠希は青ざめ、不安丸出しの表情だ。
「俺、何されるんだろ」
消え入りそうにぼそっと呟く悠希。
可哀想だけど、浮気の疑いを捨てきれないあたしは優しくなどしない。
「たぶん…精液を…」
驚かせようと声のトーンを落とし言いかけたら、悠希は今にも泣き出しそうな顔をして
「嫌だあぁ」
あたしの声を打ち消し、声にはきがない。
考えただけで男にとってこんな屈辱は悪夢だろう。
あたしも婦人科で屈辱を受けたから、形は違えどその部分はわかっているつもりだ。
待ち時間中、悠希は足を震わせたり、周りを無駄に見渡したり落ち着きがない。
それに比べ漫画本を手に持ち、バカ笑いをするあたしは薄情でふとどき者だ。
「林悠希さん。中へどうぞ」
「ほれ、呼んでるよ」
声をかけると悠希の顔はより一層青ざめ、生気すら感じない。
この場から逃げられるものなら逃げだしたいはずだ。
渋々立ち上がり、後ろを何度も振り返り、何か言いたげな目であたしを見る悠希。
その目が怯えた子犬染みていて、なんとも痛々しい。
悠希の姿がカーテンで仕切られた個室に吸い込まれ、見えなくなる寸前。
背中へ向けあたしは小声で
「ごめん」
こんな形でしか謝れない、ちっぽけな自分がいた。
悠希はとんでもなく嫌だろう。
こんな検査をさせられて…
他人に下半身をさらけ出す。
それがどれだけ屈辱的なのか事前に経験していたあたしは悠希の気持ちがわかる。
戻ってくるまで時間がかかり悠希の緊張が移ったのか、あたしは悠希と同じように足を震わせ手を組んで祈るように待っていた。
フッと冷静に周りを見渡せば男だらけのこの空間。
目が合いその視線は痛かったけど、そんなものは悠希の痛みに比べれば水滴みたいなもの。
周りなど気にせず、診察室から目を離さずに悠希が戻ってくるのをひたすらあたしは待ち続ける。
何も見えないカーテンから目が離せなくて、ずっと見入り数十分。
ゆっくりゆっくりとカーテンは開き、悠希の姿があらわとなり、やっと目に入った。
あたしの元へ戻って来ようと歩き出した悠希は、近くなるにつれ顔がこわばり、ロボットっぽくぎくしゃくした動きだ。
右足を出せば右手が。
左足を出せば左手がついてくる。
その一歩一歩に目を奪われる。
何かがぎこちない。
椅子に腰掛けた悠希。
見ているこっちは驚きを隠せない。
「悠希!?」
あまりの変化にどうしていいかわからず、戸惑っていると
「俺…終わった…」
悠希は頭を両手で抱え、前かがみに肩を落とし、目すら合わせてくれない。
こんな状況でも今すぐにでも結果を知りたくて気持ちを抑えきれずにいるあたしは、優しくなく直球で結果を聞いた。
「何?性病!?」
悠希は体をびくっとさせ、言いたくなさそうに唇を噛み締める。
「どうなん!?」
「…」
「早く!」
あたしは隣で口うるさく聞き、前のめりで目を見開いた。
数秒の間ののち。
沈黙を破り、悠希は想像以上の事を言い出した。
「まだ検査結果まち。あのさぁ…俺…」
「俺が何?」
「俺…」
「あん!?」
「俺、ババァの看護婦にしごかれた…」
「はっ?」
二・三秒の後。
こんなにつらい思いをさせたのに笑いをこらえきれず
「ぷっ。ぶははははっ」
病院だと忘れ、あたしはつい腹を抱え、大声で笑ってしまった。