「お兄ちゃん、エッチな事しよっか?」
「なっ! バカなこと言ってんじゃねー! だいたいお前なんでここに居るんだよ!」
「えぇ? だって寒かったんだもん」
「そういうことを聞いてるんじゃない!」

 目覚めると俺の布団の中に潜り込んでいたこの女、雪女だと言えば信じてもらえるのだろうか。
 だいたい、俺のような女の子に縁のないヲタクが一夜を共にしたのが『あやかし相手なら』納得するのか。
 昨夜のハロウィンに渋谷へ行った時のことだった───。



 夜も九時を過ぎ、人がゴミの用に蠢き合っている渋谷のスクランブル交差点付近。牛乳瓶の底メガネにバンダナ、チェックの柄シャツにリュックを背負いヲタクのコスプレで彷徨いていた。ただ、この日ばかりはコスプレというイベントで済まされるが少し前まではこの格好で普通にアキバに行ってた自前である。
 格好はともかく、何故ヲタクの俺が一人でリア充が集まるハロウィンの渋谷に来ているかというと。
 人に取り憑いて暴れたり犯罪紛いの事をしているあやかし。うちの家系は特殊な能力が備わっており、あやかし特有の色が着いた妖気『色気』が見え、体内から出す光の弓矢で射止めて退治をして先祖代々将軍に支えてきた。
 つまりうちの特殊な家系的伝統行事だから仕方なく参加しているのである。

 クタクタになりながら帰路につこうと駅に向かってる所で素のあやかし二体に追いかけられる女の子と遭遇した。

「珍しい光景だなぁ」

 あやかし本体で人を襲っているなんてとうの昔に廃れた文化だとじいちゃんに聞かされてきたいた。それほど人に取り憑いて罪を重ねても日常的な世の中になったという嘆かわしい現実なのだが。

「ちょっとアンタ! 見えてるのだったら助けなさいよ!」

 逃げる女の子と目が合った途端に助けを強制される。なかなかレアな体験だが、言われなくてもそのつもりで両方の掌からそれぞれ弓と矢を出し、あやかしに向かって構えたが……。

「なんでさっさと打たないのよ!」

 俺の背中に隠れたその女の子は涙でくしゃくしゃになった顔を俺に近づけて胸元を激しく揺すってきた。

「脳震盪なるわ」

 弓矢の構えをやめて掴んでる手を退かした。

「なんだお前、変な格好しやがって! いいからその女を寄越せ!グヘヘヘヘ」
「お前呼んでるぞ」
「見りゃわかるわよ。私が嫌がってるのも見りゃわかるでしょ! さっきの弓矢で助けなさいよ!」
「俺、命令されてするの気が乗らないんだよなぁ」

 面倒くさいフリをして俺はこの珍しいこの状況を少し楽しんでいた。
 二体のあやかしは口からヨダレを垂れ流し、いかにも下品で知性の欠片も無さそうであった。あまりにも低い知性のあやかしは人に取り憑くこともできないらしい。

「さあ早く出せ、グヘヘヘヘ」
「アンタらなんか、お兄ちゃんにかかったら瞬殺よ! 覚悟しなさい。さ、お兄ちゃんチャチャっとやっつけてよ」
「誰がお兄ちゃんだ」
「大丈夫。お兄ちゃんが頑張ってる間に上手く逃げるから」

 アニメではよく、『俺がなんとかするからその間にお前は逃げろ』ってシーンはあるがそれを逃げる側が推奨するのってどうなんだ?

「ごちゃごちゃ言ってたらお前も喰っちまうぞ。キモいヲタクみたいで不味そうだけどな!グヘヘヘヘ」
「おい、お前今なんて言った?」
「グヘヘヘヘ、だ」

 誰もそんなグヘヘヘヘに興味持つわけ無いだろうに、この低能あやかしめ! 俺はヲタクだがキモいヲタクって言われるとブチキレる癖がある。それを口で説明してる間にピンチになったりするのがよくあるパターンなので俺は脳内で処理をしながら再び弓矢を構えた。

「やるのか? グヘ……」

 無言で二本の矢を其々に放ち浄化させた。やがて光に包まれ夜空に舞い消える。
 あやかしと会話や命乞い等、全く聞く耳持たないのが俺の主義。蚊を殺す位にしか思っていなしそれ位の気持ちでないと続けていられないのだ。

「ありがと、お兄ちゃん。信じてたよ」
「誰がお兄ちゃんだ、さっさと逃げようとしてたくせに」

 腕を組んできてお礼を言ってくるが、奇しくもそのボリュームのある胸に当てられた腕はまるで意思を持ったかのように振り払うことを拒否して固まってしまう。

「わたしは雪実。宜しくね、お兄ちゃん」

 咄嗟に付いた嘘で自分が助かったのが気に入ったのだろうか、雪実というその女の子はお兄ちゃんと俺を呼び続けた。

「いーじゃんかよー」
「オレっちと飲みにいこーぜ、楽しくよー」

 今度は二人の男にナンパされて嫌がる女性が目の前を足早に通りすぎる。
 本当に今夜は乱れ過ぎてため息が止まらない。
 ただ、そのコスプレをした女性はあやかし退治が先祖代々の風習でなくても助けなければならない衝動にかられる人であった。

「天野……さん?」
「え、えぇ? もしかして磐石君? いつもより随分ヲタク入ってるけどそれコスプレ?」
「なになになに? 勝手に話盛り上がって悪いんだけどキモいヲタクは用が無いからあっち行ってろ!」

 おいおい、今日は流石ハロウィン、俺をキレさせるバーゲンセール中だが相手があやかしでないと尻尾巻いて逃げるのがヲタクの特徴。リア充なんて喧嘩も強そうだからギャフンと言って逃げるが勝ちだが生憎あやかし相手だとビビる要素は一つもなかった。

「ちょっとあっちで話そうか。雪実、ちょっと天野さんと話してて」

 そう言いながら男二人を半ば強引にビルの陰に連れて行き、チャチャっと成敗して戻ってきた。

「もう大丈夫だから、ってそれにしても天野さんもコスプレするんだね」
「え、えぇ友達に連れられてちょっとね……。その友達の彼氏が浮気してるんじゃないかって一緒に来てたんだけど彼氏見つけたらはぐれちゃって、もう帰ろうかなと思ってたら今の人達に……」
「それは難儀ですねぇ。あ、雪実もう帰っていいぞ、さいなら」
「ちょっとお兄ちゃん今日は泊めてくれるって約束じゃん、もう忘れたのぉ」
「良いわねぇ歳の近い従妹で仲良いって羨ましい」
「い、従妹?」

 ニヒヒと再び腕を組んで笑顔を振りまいてくる雪実。万年の笑みで俺があやかしを退治してる間に何の話をしてたのだろうか。
 そうこうしているうちに電車が来たので三人は乗り込んだ。

「そのコスプレ、似合ってるね」
「あ、ありがと。こんな恰好してるから変な人って思ってる?」
「い、いやそんなことないよ!」

 俺は知っていた。そのコスプレがあの有名な魔法少女のキャラであることを。名前どころか声優さんや名言なんかも素で言える程何度も見直した十年に一度の神作品であることを!
 ただ、これを言ってしまえばハロウィンで面白半分でコスプレしている天野さんをドン引きさせる自信がある。それほどヲタクの常識は一般人の非常識に値するのだ。それを俺は心得ていて寸止めをする。

「今日のお礼はまた今度させてね」
「いつでもお構いなく、楽しみにしてるね」

 雪実に大きく手を振られながら俺が降りる駅の一つ手前で天野さんは降りて行った。



「どこまで着いて来るんだよ」
「お兄ちゃんの部屋までだよ。だって泊まるって約束したんだもん」
「俺はした覚えないぞ」
「天野さんとしたんだもん」

 なんだか理不尽な事を言いながら駅からとうとう俺の部屋の前まで着いてきた。本気で泊まるつもりなのだろうか?

「助けてくれたお礼に泊まってあげるの」
「お前なぁ、そうやって尻軽に生きてたら後悔するぞ。俺がヲタクだと思って油断してるのかもしれんがなぁ、俺だって男なんだから……」
「お兄ちゃんは大丈夫よ」
「そうやって油断してると俺だって……」
「それより冷えて寒いの。部屋で温まろうよ!」

 言われるまでもなく俺も寒かったし、あやかし退治で疲れていたのもあって雪実と一緒に部屋に戻った。
 コーヒーの準備をしながら風呂も準備をする。早く身体の芯まで温まりたいと思っていても独り暮らしだと誰もしてくれない寂しさは身体に染み込んでいた。

「あぁ、温まるぅ。美味しいねこれ」
「だろ?」

 お気に入りのコーヒーを美味しいと言われて機嫌が良くなるが、こんなヲタクの部屋に女の子と二人っきりだなんて信じられない光景なのだが。
 冷えた身体に熱いコーヒーが注ぎ込まれ二人とも火照ってくる。

「お兄ちゃん彼女いるの? まぁこの部屋見る限り愚問かなぁ」
「ぐぬぬ」

 部屋には好きなアニメのポスターやらフィギュアが飾られ、正真正銘のヲタクの部屋を見渡し雪実は聞くまでもないことをさらりと言った。
 俺にとって天国の空間でも興味のない人からすればヲタクのお宅以外の何物でもない。

「あ! 写真飾ってるじゃん。って仕事の集合写真とか止めなよぉ」
「うるさい」
「あ、けどこれさっきの天野さんとちゃっかり隣に写ってるじゃない!」

 そう、偶然にもさっきあやかしナンパ野郎から救った天野詩織さん。同じ会社の同僚で研修に行った時の集合写真で運良く隣に並んで写ることができたのだ。

「ふふぅん、天野さんさぁ、お兄ちゃんに気があるよね?」
「な! おま、何言ってんだよ! そんなわけあるはずないじゃんか……」
「無い方がいいの?」
「いやぁ、それはその……」
「お兄ちゃん天野さんのこと好きなんでしょ?」
「ゴホッ!」

 俺はコーヒーで窒息しそうになった。恋人いない歴が年齢のヲタクにとって恋の話などいくらポーカーフェイス気取っても土台無理というものだった。

「なんでわかるんだよ」

 隠しても無駄と思った俺は素直に認めた。

「そりゃこんな写真飾ってるし、さっきも天野さんと話してる時のお兄ちゃんの目活き活きしてたよ」
「やっぱりわかるのか?」

 本人には気付かれているのだろうか。バイク通勤の俺と帰り時間が一緒になった時に最寄り駅までは話をする仲にまでなった。そこまでの仲と言ってしまえばそれまでなのだが俺にとってはそれで満足している。
 こんなヲタクの俺と分け隔てなく喋ってくれる天野さんは俺にとって天使のような存在だった。
 そんな天使が俺の好きなキャラクターのコスプレをしていたなんて夢のようだった。
 天野さんを好きになった最大の理由はその声にあった。ヲタクの俺はあの魔法少女を推しているがそのキャラの声と天野さんの声が違和感なく全く同じだった。
 初めて喋った時、俺は恋をした。不純な動機だろうが恋をすると顔も仕草も何もかもが愛おしくなってしまうものだった。
 恋するきっかけなんて人それぞれで、正解も間違いもなく誰にでもあり得る事なのだ。それがヲタクの俺には声だっただけで。
 ただ、自分のレベルはお察しの通り把握している。偶然会った時に喋れる今の仲以上を求めると、この関係さえも失う可能性があり、その可能性はかなり大きいことも。
 だから俺の天野さんに対する気持ちは絶対に知られてはいけないものと決めつけていた。

「お兄ちゃん、なんとか頑張れば恋人同士にだってなれるかもよ?」

 俺は雪実のこのなんの根拠もない言葉にまんまと乗せられることになった。

「わたしの言う通りにすれば生まれ変われるかもよ? まず見た目をどういかしようね、今度の日曜日空けといてね」

 そう言い残してお風呂場に向かって行った。
 無理だと思っていた天野さんと付き合えるかもしれないという魔法の言葉に舞い上がっていたが、初対面の男の部屋に来て主より先に風呂に入る件について疑問に気づいたのは、雪実が既に湯船に浸かっているであろう時間だった。
 風呂場の扉を開ければ目の前で文句でも言えるのだが、そんな勇気は持ち合わせていず出てくるのをそわそわしながら待つしかなかった。

 出てきたのでガツンと言ってやる。
「お、お、お……」
「お前なぁ、人の家で勝手に風呂にまで入ってどういうつもりなんだよ! 俺が間違い起こしたらとか考えないのか! って言いたいのかな?」

 バスタオルを身体に巻いて出てきた雪実に言いたかった文句は雪実本人が代弁してくれることになった。
 女性に対して免疫のない俺は、そんな恰好をされて平常でいられるはずがなかった。

「大丈夫。お兄ちゃんはわたしに興味が無いんだから」

 そう言うと頭に巻いていたタオルを外し、長い髪を振り上げ同時に自身も半回転すると背を向けたままバスタオルを広げた。
 素っ裸の雪実が、と思ったが白く身体が光ったかと思うと目の前には想像と期待した雪実の姿ではなかった。
 帯まで真っ白でよく見ると雪の結晶が施された着物姿の雪実。髪は限りなく白に近い白銀色に染まっていた。

「裸になると思った?」
「お前……もしかして……」
「そう、お兄ちゃんの嫌いなあやかしよ」

 無垢な笑顔を見せて雪実は真っ直ぐ俺を見つめて言った。
 美しい……。例えそれがあやかしであろうと俺は自分の心に正直になるしかなかった……。

「だけど俺、お前の『色気』見えなかったんだけど……」
「それはね、わたし人間とのハーフだから」
「ハーフ?」
「そう。お母さんは雪女なんだけどお父さんは普通の人間だったの。だから人に化けてる時は『色気』が出ないみたいね」
「そうだったのか……」
「だからね、あやかし連中にも気味悪がられるし、人としても生活馴染めなくって転々としてるわけよ」

 淡々と喋っているが時折寂しそうな顔になるのを俺は見過ごすことができなかった。
 人にもあやかしにも受け入れてもらえない寂しさは孤独以上の虚しさであることは容易に想像できる。
 ただ、ハーフ故に人としての可愛らしさと、あやかしの妖艶両方が身に付いているのかもしれない。
 しかしそれは根拠も無く、見た目は好みの問題であって、俺の好みだからそう思っただけというのは心の奥底にしまっておくことにしよう。
 好みの可愛らしさがあっても所詮、あやかし。
 あやかしであっても人と変わりなくかつ、好みの可愛らしさ。
 この矛盾的感覚が交互に俺の脳内を駆け巡るお陰なのだろうか、人生初めての同じ部屋で女の子と寝るイベントもそつなくこなしてしまったのは───。