「強くなりたいってんなら、何も武者修行に出なくても安芸津様に稽古をつけて貰えばいいんだし、うん、何から何まで揃ってるじゃねぇか。そうしなよ」

 瞬間、伊勢は何か言おうと口を開けた。が、すぐにきゅ、と唇を噛む。

「久世様は、私が初めに言ったことをお忘れですか?」

「ん?」

「私は久世様に興味があるのです。安芸津様ではありません」

 おっと、と狐が、何やら視線を廊下に投げる。もっとも襖は閉まっているので、そっちに目をやっただけだが。

「だから。おれのことは、大方わかっただろ。男としてどうのってんなら、無駄なことだぜ。おれにゃ前にも言ったが欲がねぇ。女子とどうこう、てのもない」

 もちろん男とも、と付け足しておく。そっちの趣味だと思われても困る。

「お坊様だって無理なのに、欲がないなんてあり得るのですか?」

 どうやら伊勢が言いたかったのはこっちのようだ。相手に興味がある、というのは恋慕の情だ。伊勢は遠回しにそのことを訴えていたわけだが。あっさりと断られたものの、人である以上『欲』がないなど信じられない。訝しげな目を向ける。

「さぁ。詳しいことはわからんが、もしかすると生きてねぇのかもな。だから欲がないのかも。腹は減るけど多分食わなくても死なねぇし。そう考えると、欲自体がなくなっていくのも頷けるだろ?」

「それは……そうかもしれませんね」

 色欲はどうだかわからないが、直接生死に関わる食欲や睡眠を取らなくても死なないのなら、確かに欲自体がなくなっても不思議ではないかもしれない。

「欲がなくなれば、心が動くこともないのでしょうか」

 下を向いたまま、伊勢がぽつりとこぼした。

「そうかもな。言ってしまえば欲ってのは、生き物の行動の根本だ。何かを強く欲することもないし、言ってみればおれは風とか水みたいなもんだよ。ただそこにあって流れていくだけ」

『わしは美味い油揚げが食いたいと思うがなぁ』

「お前は元々妖狐だから、おれとは違うんだろうよ」