「残る懸念は、鳥居を逃がしたことだ」

「また仕掛けてくるってか?」

 可能性は、ないとは言えない。が、鳥居を使っていたのは北山である。単なる浪人である鳥居が、北山よりも上の者に会うことなどないだろう。そもそも雇い主がないのだ。危険を冒してまで利にならない戦いはしないと思う。

「北山が捕まっちまえば、心配いらないと思うな。奴は金で人を斬る職業人斬りだ。今さらこちらの誰を斬ったって、金が出るわけでもねぇ」

「そうか。……うむ、そうかもしれん」

 しばし考え、安芸津は頷いた。

「奴も剣客だ。そういう心がまだあるなら、強い相手に出会ったなら決着をつけたいと思うものだが。だが、おぬしは死んだと思っているかもな」

 やはり少し不思議そうに、安芸津は重実の腹の辺りを見ながら言った。鳥居の腕を知っている安芸津からすると、正面から斬られて助かっている重実が信じられないようだ。

「そう思われていたほうが、おぬしにとってはいいだろうが。正面から対峙して、かすり傷で済んでいると知れば、それこそ興味が湧くだろう」

『何をしても死なぬと知れた日にゃ、ぐちゃみそにされそうじゃ』

 今まで黙っていた狐が、恐ろしいことを挟む。

「それは避けたい」

『わしもじゃ』

「そうであろうの。このまま鳥居がどこぞへ去ってくれればいいのだがな」

 狐の言葉が間に挟まっても会話は成り立つものだ。故に重実の、普通に狐と会話する癖が治らないとも言える。

「そうだ。そのうち殿からもお言葉があるやもしれぬ。何と言っても艶姫様をお守りしたのだから」

「……おれが助けたのは、姫というより伊勢なんだが」

 ぺろっと言うと、伊勢が弾かれたように顔を上げた。おや、と狐が意外そうに伊勢を見上げる。

『おやっ。もしやこの女子、おぬしに惚れたか』

 ずかずかと近付き、狐はすぐに俯いた伊勢の顔を覗き込む。全く見えないというのは、遠慮というものが微塵もない。