「他を見る余裕などないと思うぞ!」

 いきなり鳥居が、伊勢との間合いを詰めた。はっとしたときには、鳥居は伊勢のすぐ前に。伊勢は目線を動かしただけだ。ほんの一瞬、鳥居から目を離しただけなのに、その一瞬で間合いを詰めた。恐るべき早業だ。
 が、鳥居の刀を持った右腕が動くことはなかった。同じように動いた重実が、鳥居の右腕をがっちり掴んでいたのだ。

「あんたこそ、どこ見てやがる。あんたの相手はおれだよ」

 少し、鳥居の目に驚きの色が浮いた。抜き身を持った手を素手で押さえるなど、そうできることではない。力で負ければ即斬られる位置だ。

「……いいだろう」

 何かを感じたのか、鳥居は素直に刀を引いた。

「見たところ、おぬしも別に、藩の者ではないな」

「おれはお前さんと同じような、単なる用心棒さね」

「なるほど。では斬り捨てても問題ないな」

「お互いにな」

 喋りながらも、鳥居は重実との距離を測りつつ、戦いやすい位置へ移動する。そして植木などのないもっとも拓けたところで止まると、ようやく刀を構えた。

「名を聞いておこうか」

「久世 重実」

 いまだ刀を抜いていない重実は、隠すことなく名乗った。鳥居が、記憶を辿るように、まじまじと重実を見た。それなりの腕で、きちんと道場に通っていれば、名は知れる。どこの道場の門弟かがわかれば流派もわかり、おおよその太刀筋もわかるというものだ。
 だが鳥居の頭には、重実の名はないようだ。

『まぁ道場に通っておった頃のおぬしは、名が売れるほどの腕前ではなかったしのぅ』

 喧嘩沙汰に巻き込まれて、あっさり斬られるような腕前だ。しかもそれで死んだことになっているのだから、鳥居が重実のことを知らなくても無理はない。むしろ知られていたほうがややこしい。

「……ま、道場の竹刀剣術など、実戦では役に立たぬものだからな」

「確かにな」

 竹刀では、重さが刀とはまるで違う。せめて木刀でないと何の役にも立たないものだ。今の重実の腕前は、放浪の上での実戦で身につけたものである。
 重実は足を広げて腰を落とした。右肩を落とすように、上体を捻る。