藩邸には珍しく安芸津がいた。

「例の下り米を掠めた奴が殺されたとか」

 昨日のうちに小弥太が下り米のすり替えを現場で指示していたのは大場だと知らせていたので、その件で来たのだろう。

「ああ。大場の声を確認した奴だ。多分あのとき、向こうもおれたちに気付いたんだと思う」

「殺ったのは鳥居か」

「あの斬り口はそうでしょう。一度だけ、一瞬刃を交えましたがね、彦佐の致命傷、伊勢の傷も同じ太刀筋だ。なかなかな遣い手ですな」

「派手に動き出したな。早くしないと、こっちが潰される」

 苦虫を噛み潰したように、渋い顔で安芸津が言う。

「でも焦っているのは向こうも同じだ。米問屋の買い占めの件が、ぽつぽつ巷に流れている。藩主交代のこの時期に、田沢のほうに不利な噂はよろしくない。噂が大きくならないうちに手を打ってくるはずだ」

「米問屋の買い占めだけだったら、田沢には直接関係ないんじゃ?」

「それ自体が直接関係なくても、此度は小野様自ら陣頭指揮を執った下り米が出回った。それはそのまま、小野様の評価につながる。小野様の人気が、ぐっと上がるわけだ。それだけで、田沢には不利に働く」

「なるほどね。ていうか、そんな人気取りをしたいのであれば、米の買い占めなんかしてないで、開放すりゃいいじゃねぇか。自分らが買い占めしてるから人気が落ちるんだろうが」

「その辺は、北山の失策だな。下り米のことを聞いて焦ったから、あんな小悪党を使って米俵のすり替えを行ったんだ。下り米を手配したことは世間的に知られていたし、期待が大きいだけに、失敗したらそれだけで小野様は失脚しかねん。それを狙ったんだが失敗して、結果小野様の評価をよくしてしまった。今さら米蔵を開放しても大した効果はないし、何より折角取り入った田沢のご機嫌を取るためにも金は必要だ。おめおめ金のなる木に育てた米問屋を手放すことはできんのだな」

 政治の世界のどろどろは見苦しい。いくら民の人気を獲得しても、上層部が金で懐柔されていれば、殿様といえども好きに跡継ぎを決められないのだ。