『お前はまた、わしにこの女子の子守りを押し付ける気かっ』

 肉球で、追いやる重実の手をぎゅむ~っと押し戻しながら、狐が牙を剥く。だが力は重実のほうが強い。

「どうせ、これといったこともしないだろ」

 狐に言った途端、艶姫が傷付いた顔になった。全く姿が見えないというのはややこしい。今のは狐に言ったのであって、姫に言ったわけではないが、面倒臭くなり、そのまま重実は元の位置に戻った。

「全くあなた様は、油断も隙もない。姫様を馴れ馴れしく膝に招いたかと思えば、いきなり突き放してみたり、わけがわかりませんが。でもそれでよく、欲がないとか言えたものです」

 ようやく落ち着いた伊勢が、姿勢を正して怒ったように言った。なるほど、狐が見えない者からすると、一連の行動はそういうことになるのか、と今さらながら理解し、重実は密かに額に手を当てた。

「はは。男は欲の生き物だぜ。ねぇちゃん、そんなこと言われて丸め込まれたのかい」

 何となく緊張のほぐれた彦佐が、笑いながら下世話な口を挟む。たちまち伊勢の目が吊り上がった。目にも留まらぬ速さで落とした刀を拾い、びゅん、と一閃させて彦佐の首でぴたりと止める。

「黙れ。貴様は私にそんな口をきける立場と思うのか」

 笑った口のまま、彦佐は固まった。先ほどまで刀は突き付けられていただけだが、今、刃は首にあてがわれている。そのまま横に滑らせれば、首の血管(ちくだ)を切り裂ける位置だ。凄い勢いで振った刀を首筋ぎりぎりで止める辺り、伊勢の腕は相当なものだ。

『おお怖や怖や。ほんに、とんだじゃじゃ馬よ』

 聞こえないことをいいことに、衝立の向こうから狐が茶々を入れる。別に衝立から出られないわけでもあるまいに、何だかんだで結局重実の言う通り、艶姫の傍に留まっている辺りが狐の可愛いところである。