「全く、何を考えておいでです! そのような者をこの藩邸内に連れ帰るなど、正気の沙汰とも思えませぬ。今すぐ奉行所に引っ立てましょう」

 思った通り、事の次第を聞いた途端、伊勢は怒りを露わに片膝を立てる。

「まぁ待て。大体奉行所にも奴らの手の者がいるんだから、公正な裁きなんざ期待できねぇぞ。こいつも明朝にゃお陀仏だ」

 宥める重実の言葉に、小さくなっていた彦佐が青ざめてさらに小さくなった。

「だったらわたくしが今ここで裁いて差し上げます!」

 すらりと腰の刀を抜く。

「お前、どういったいきさつで下り米を奪ったのです。誰の指示です? 報酬はどこから出ているのですか」

 切っ先を突き付け、伊勢が無表情に彦佐を尋問する。女子ということを忘れそうだ。

「こ、この兄さんにも言ったが、おれはほんとに何も知らねぇ。盗んだのが下り米ってのも知らなかったんだ」

「嘘仰い。このご時世に、あんなに沢山の米が運ばれてくれば、民のための下り米だということぐらいわかるでしょう」

「おれみてぇな貧乏人は、米の流通なんざ知らねぇんだよ。米問屋がどこから米を調達してるかなんて、気にしてる余裕はねぇんだよ」

 ちょっと、伊勢が目を見開いた。伊勢はそれなりの家の娘だし、周りの者も城勤めの御家人だ。町人でも本当に貧しい者というのは米を買うのもままならない。そういう状況を知らなかった。

「そ、そうだとしても! 荷揚げされた米俵を砂袋にすり替えるなど、やってはいけないことぐらいわかるでしょう! 誰の指示なのです!」

 少し湧いた後ろめたさを振り切るように、伊勢が声を荒げた。

「だ、だから、それも言ったよ! 誰かなんかわからねぇ! どっかの商家に仕えてる奴じゃねぇのか」

 喚くように言っていた彦佐が、ふと真顔になった。そして首を傾げる。

「……いや、そんなわけねぇか。お侍みてぇだったし」