「……ひぃっ!」

 彦佐が息を呑むのと重実が地を蹴って走り出したのは同時だった。走りながら抜刀する。反転して逃げようとした彦佐が、足を絡ませて倒れ込む。侍が、一気に間合いを詰めて大刀を振り被った。銀の閃光が走る。
 キィン、と金属音が鳴り、大刀が横に流れた。侍が、驚いた顔で彦佐と己の間に走り込んできた重実を見ている。

「……何者」

「へ。単なる通りすがりさね。侍が無抵抗の町人を斬るのは見逃せねぇ」

 低く構えを取りながら、重実は対峙する侍をしげしげと見た。上背のある、がっしりとした体躯だ。おそらくこれは、十分に鍛錬を積んだ身体だろう。先の切り下げも、かなりの威力だった。
 闇に、殺意に燃える目が光っている。ぞく、と重実の背を悪寒が走った。侍は束の間重実を見ていたが、不意に顔を上げた。前方から提灯の灯が近付いてくる。

「命拾いしたな」

 呟くや、侍は踵を返して足早に去っていった。

「……」

 侍の後ろ姿が完全に視界から消えてから、重実は大きく息を吐いた。物凄い剣気と殺気だ。今さらながら、震えがくる。

「ふっ……ふふふ。あっはっは」

 納刀しながら、重実は笑い声を上げた。久々だ。武者震いが来るほどの剣客と対峙した。肩を震わせながら目を落とすと、足元に顔面蒼白なまま腰を抜かしている彦佐が見上げている。

「おぅお前さん、前に上方からの米俵を荷下ろししたことがあるだろう」

 屈んで顔を近付けると、彦佐は、びく、と身体を強張らせた。

「身に覚えがあるようだな。その仕事、誰に頼まれた?」

「お、おれはただ……く、口入屋で仕事を見つけただけだ!」

「嘘こけ。お前、てめぇの評判を知らねぇのか。今までまともに働いたこともない野郎が、真面目に口入屋なんかに仕事を貰いに行くもんかよ。行ったところでお前なんざ、けんもほろろだぜ」

 口入屋だって、誰にでも仕事を世話してくれるわけではない。いかにも遊び人な彦佐など、まず無理だ。