『ところで重実よ』

 肩の上で、狐がのんびりと言った。

『さっきから大分進んでいるが、宿場など見当たらぬなぁ』

 もうちょっとで宿場、と言ってから、ゆうに一刻は歩いている。行けども行けども白い山道が続くばかりだ。

「おかしいのぅ。麓の村で聞いた限りでは、峠を越えたらすぐに宿場があるとのことだったが」

『おぬしは極度の方向音痴じゃからのぅ。今まで一発で目的地に着けたことはないし』

 道を聞いた傍から反対方向に進むほどだ。もっとも目的があるわけではないので、行きたいところに行けなくても、さほど困らない。元々行きたいところもない。

「別に宿場じゃなくてもいいんだけど、屋根は欲しいな」

『雪の中、野宿は避けたいのぅ』

 死なない身体でも寒さは感じる。両手を擦り合わせ、重実はきょろきょろと辺りを見回した。
 峠を越えたとはいえ、まだ山の中だ。宿場がありそうな雰囲気もない。

「峠に茶屋もなかったなぁ。この辺りに人はおらぬのか」

『もしかして、峠と思ってたところが違ったのかもしれぬのぅ』

 あり得る、と狐は、くんかくんかと鼻をひくつかせた。

『寒。鼻の中が凍り付きそうじゃ』

 人のニオイを嗅ごうとしたが、すぐにやめてしまう。もぞもぞと肩の上で、狐は丸まった。

「どうしたもんかな……」

 雪は止みそうにない。このまま夜を迎えるのは避けたい事態だ。

「かまくらでも作るかな」

 言いつつ歩いていた街道から外れ、藪の中に分け入った重実は、おや、と思った。空気がいきなり緊迫した。

『どうした?』

「何か空気が変わったな」

『ほ。腐っても剣客の端くれか』

「まだ腐ってない」

 ぶつぶつ言いながら、藪をかき分けていく。緊迫した空気など、首を突っ込むとろくなことにならない。
 だが興味をそそられるのも確かだ。あてどない旅を続ける重実にとっては、好奇心は原動力でもある。例えろくなことにならなくても。

 街道から結構奥に入ったところで、雪にまみれてい震えている影を見つけた。かろうじて姿を隠していた笹をばさ、と払うと、あからさまに怯えた顔の娘が身体を強張らせて重実を見上げていた。

 なかなか綺麗な娘に心底怯えられるのは傷付く。ひょろっこい小男なだけの重実など、見てくれで怯えられる謂れはないはずだが。