「出ろ」

少しうたた寝をしていたのだろう、急に聞こえた低い声に惟子はビクリと身体を揺らした。

「どこへいくというのよ?」
努めて冷静に聞いたつもりだったが、声が震えたのが自分でも分かった。

「予定が早まった」
視線を合わすことなく暁は言うと、ガチャガチャと腰元につけていた鍵束から一つとると錠をを開けた。

「お絹!」

(今しかない、もうこのチャンスを逃すわけにはいかない)

惟子はそう思うと、お絹の手を引き力いっぱい暁を押しのけ、扉から逃げ出した。

「待て!」
後ろから聞こえた声に、惟子は内心「待てるわけないでしょ」そう叫びながら闇雲に廊下を走る。

「そっちだ!」
ばらばらと増える警備のあやかし達が後ろから走って来るのがわかり、惟子はお絹の手を握る力を強めた。

「出口はどっちよ!」

(あの扉さえあれば……あの扉さえあれば家へつながるかもしれない)

そう思いながら、走ると行き止まりになってしまった。
仕方なく右に見えた扉に惟子は手をかけて、一気にそのドアを開けた。

「キャー!」
惟子より先に悲鳴を上げたのはお絹で、そこには生気を失ったあやかし達が何体も倒れていた。
いや、転がっていたと言ったほうが正解かもしれない。
もはや元の形をとどめていないのだろう、蛙やキツネ、犬などあやかしの最終形態が、15畳ほどの玄関のような場所の冷たそうな大理石にも見える床の上で、死んでいるように横たわっていた。

「こいつらだけではダメだったんだ」

(終わった……)

後ろから聞こえた一颯の声に、惟子はごくりと唾を飲み込んだ。

「一颯様……お助けを」

転がっていたあやかしの中から聞こえたその声に、惟子は驚いてその主をみた。
「うそでしょ弥勒?」

(仲間であろうこのあやかしまで……)

「さすがじゃないか。弥勒。まだ息があるとは。前はとても使いやすい駒だったぞ。なあ暁」
あざ笑うように言った一颯のその言葉に、後ろに控えていた暁は小さく頷いた。

「この人でなし!」
つい人でなしと言ってしまったが、そんなことなど構うことなく惟子は言葉を続けた。

「どうして!? 仲間じゃないの? こんなひどいことどうしてできるのよ!」

惟子はまだ息のある弥勒に駆け寄ると抱き起した。
一番初めに大黒屋で見た弥とは全く違い、生気はなくだらりと顔であるミツマタの部分が床についている。

「お前……。俺のことを憎んでいないのか?」
「しゃべらないで」
全くと言っていいほど力を感じない弥勒に、惟子は念じるように弥勒の手を握りしめた。

「どんな奴だって死んでいい訳ないのよ」
小さく呟くように言うと、惟子の額に赤く模様が浮かび上がる。その模様が手の甲にも現れた。

その3点から赤い光が弥勒を包み込む。惟子自身も何が起きているかわからなかったが、弥弥がいつもの人型に戻って行くのがわかった。

「娘!お前!」

グイっと手を取られ、惟子は一颯の方を向かされた。
ギリギリと腕を締め上げられ惟子は顔をしかめた。

「放しなさいよ!」
「その力……やはりお前が最後の仕上げだな。その妖力があれば……黒蓮様は覚醒できる」

「嫌よ! そんなことに……」
叫び声を上げた惟子だったが、引きずられるように分厚い扉の向こうの場所へと連れていかれた。

「なによ。ここ……暑い……」
広い空間は今までのような華美な装飾も、牢獄のような無機質な暗い場所でもなく、下は土があり、周りには大きな岩山のようになっており、時折ボコリボコリとマグマのようなものがあふれ出していた。

「一……颯……まだか……」
地を這うような、地獄の底から聞こえるような声に惟子は動きを止めた。
いや、動けなくなった。一瞬で感じた邪悪で、闇につつまれたその気配に震えが止まらなくなる。

「黒蓮様。お待たせしました」

(黒蓮!? どこにいるっていうのよ……)

「ひいー!」
さすがの惟子も悲鳴にもならない声が出た。
今まで壁と同じだと思っていたのは、竜の身体の一部で頭をおもいきり上げてみれば、10メートルはあるのかもしれない竜だった。

「これが黒蓮……」
「呼び捨てになどするな」
すかさず一颯が言葉を発して、黒蓮の前でひざまずく。
「この娘の妖力はすごいものがあります。必ずや黒蓮様のお力に」
ジッと黒蓮に見られているのがわかったが、惟子としては立っているのがやっとで為す術もなかった。

「この娘か……もう少しだ。もう少しで我は完全に……」
そこまで言ったと思えば、黒蓮がうめき声を上げた。

「黒蓮様!」
一颯が慌てて声を上げた。

「問題ない……早くその娘を……」

竜のとがった爪先が自分の方へと伸びてくるのがわかった。
逃げることもできずただ惟子はその場に立ち尽くしていた。

(もうダメだ。ごめんなさいサトリさん。最後に会いたかった……)
そう思った時に、ドンと押される衝撃があった。

「暁!!」
しりもちをついた惟子の前に両手を広げて立つ暁に、驚いて惟子は叫んだ。

「どうか、この娘はお助けください。私の力でお試しを!」
今までの無表情とは違うその顔からは、怒り、悲しみ、いろいろな感情が見えた。

「暁! どうして!」
惟子のその言葉に、初めて微笑みを浮かべた。
「風花の友達を見殺しになどしたら、あの世でも風花に会えないからな」

「やはりあなた……」
呆然として惟子は暁を見上げると、もう笑みはなく黒蓮の前に立っていた。

「最後に伝言を頼む。来世はきっと夫婦になってオムライスを食べよう」

「ダメよ! 暁!」
「何をごちゃごちゃいっているのだ! 暁退け!」
黒蓮のいらだった声がしたと思えば、竜の大きい尾が振り下ろされる。

ドンとすさまじい衝撃で目の前の暁がまるでゴム人形のように飛んで、石の壁に打ち付けられる。

「ウッ……」
うめき声が聞こえ、惟子は暁に走り寄ろうとしたところをその尾が遮る。
「お前は俺の餌だ」
「嫌!!」

大きな爪のある手に握られ、惟子は体が持ち上がるのがわかった。

「やめろ!」
倒れて血を流していた暁がブワリと大きくなり、狐の姿へと変わった。
手にはいつの間にか剣が握られていた。

「なんだ暁。やるのか?」
あざ笑うように惟子を持ち上げたまま黒蓮は言うと、また尾を振り上げる。
今度はひらりとその尾を交わし、暁は惟子を握っている手をめがけてその刀を振りかざした。

しかし、そんなものは意もせず、尾が力いっぱい暁を地面へと叩きつけた。
「暁! 嫌! もうやめて!」
惟子は涙を流しながら、力いっぱい叫び声を上げた。

(私のせいで風花の大切な人を死なせてしまう!ダメ! そんなの!)

「ダメー!!!!!!!!」