「人間の命など、せいぜい九十、百が限度だろう。俺たち神やあやかしよりも早く散る命だというのに、嫌なものに縋りついて生きるなど時間の無駄だ」

「確かに朔たちからしたら、そうかもしれないけど……」


 そう言いかけたとき、私を抱きしめる朔の腕に力がこもるのがわかった。


「俺はお前を必要としている」

「……っ」


 思わず息を呑んだ。

 真剣な面持ちで、まっすぐに注がれる深い愛情にも似た眼差し。

その声音は『なぜわからない?』と切実に問いかけてくるようで、私の心は大きく揺さぶられる。


「誰かに求められ、自分自身も求める場所で生きることこそ、人間の幸せだと俺は思うがな」


 そう言って、顔を近づけてきた朔は私の頬を舌先でなぞる。

するとチリッとした痛みが走って、そこが先ほどガラスの破片で切ったところだと気づいた。


「ちょっと! なにす――」

「傷を癒した。感謝こそすれ、怒鳴られる筋合いはないと思うが」


 しれっと答える朔に、怒りを通り越して脱力する。

そっと頬に触れると、確かに怪我がなくなっていた。


「お、おいっ……なんだよ、あの男!」


 悲鳴にも似た声に、私ははっと我に返る。

社員のひとりが狼狽えながら朔を指差していた。


「え……朔が見えてるの?」

「俺は神の中でも力が強いからな。人に姿を見せることなど、造作もない」

「なんで姿を見せたりなんか……」


 そんなことをして、なんのメリットがあるのだろう。

問うように朔を見れば、わかりきったことを聞くなとばかりに不敵に笑う。