『今はわからずとも、いずれわかる日が来よう。話は変わるが、人間の身であやかしや神と近づきすぎるのは感心しない』
『でも……私、あやかしさんと神様といるほうがいい』
『なぜだ』
『それは……私が変な子だから。他の人には見えないものが見えちゃう……から』
そんな私のことをあやかしや神様は気味悪がったり、怖がったりしないから。
俯きながらそう答えると、頭上から柔らかな声が降ってくる。
『お前は……あやかしや神が見えるその力がなくなればいいと思うか?』
この力をなくすことができたら、なんて考えたこともなかった。
確かにこの力のせいで人は離れていくし、学校や家ではいつもひとりぼっちだったけど……。
『私が寂しいとき、そばに寄り添ってくれたのも遊んでくれたのも神様だった。私が学校でいじめられると、いじめた子を懲らしめてくれたのもあやかしだったんだ』
懲らしめたなんて言うと恐ろしいけれど、黒板消しを頭の上に落とすとか、汲んできた掃除用のバケツの水をこぼすとか、小さな仕返しだ。
『お前の魂はあやかしも神も惹きつける。だから皆、お前の言葉に耳を貸すんだろう。好かれやすさに関しては、お前自身の人柄にもあると思うがな』
神様やあやかしに本当に好かれてるなら、うれしい。それが私の人柄に惹かれてなら、なおさら。
私自身を認めてもらえたような気がするから。
……私、やっぱりあやかしや神様が見えてよかったって思う。
初めは『食べてやる』って言ってたのに、私が泣いてると慌て出して『仕方ないな』って助けてくれる。
あやかしは乱暴で見た目も怖い場合が多いけれど、心に寄り添ってくれる優しい生き物でもある。それは神様も同様にだ。
『だから、この力がなくなればいいなんて思えないよ』
『……そうか。特別な力が人を幸せにするとは限らん。現にお前はその力で傷ついている。だが、それでも生まれ持ったものを受け入れている。物事の悪い面だけでなく、いい面にも目を向けられる健気な強さには感服する』
それって、ポジティブってこと?
神様の言ってることは難しいけれど、褒めてくれているのはなんとなくわかった。
私は神様の着物の袖を軽く引っ張って、『それだけじゃないよ』と付け加える。
『この力があったから、神様と会えたんだよ! だからやっぱり、この力があってよかったって思う』
笑顔で言い切れば、神様が息を呑んだ。
そのまま神妙な面持ちで黙り込んでいた神様は、やがて静かに口を開く。
『先ほどは自分の願いなど考えたことはなかったと言ったが……今、できた』
『えっ、どんなお願い? 聞かせて聞かせて!』
私がうきうきしながらせがむと、神様は目を細めて柔らかな笑みを浮かべた。
『お前とまた会いたい。自分がこんなにも欲深いとは思わなかった。とはいえ、神は自分の願いを叶えてはならんがな』
『ええっ、そんなの願わなくたって叶うよ!』
神様って、欲がないんだな。
それに驚いていると、私の言った意味がわからなかったのか、神様は怪訝そうに片眉を持ち上げる。
『なんだ、お前には神の願いを叶える特別な力でもあるのか?』
『そうじゃなくって、会おうと思ったらいつでも会えるでしょ? 私もまた神様に会いたいもん。だから、ふたりが同じ気持ちなら会えない理由なんてないんだよ』
『なるほど、会いたいなら会う努力をしろというわけか。うむ、それが俺の願いを叶えるための試練なのかもしれん』
神様は顎に手を当てて、難しい顔をしながらよくわからないことを呟いていた。
けれど、妙に納得している様子だったので口を挟まないことにする。
『やはり、お前は面白いな。苦境の中でもひたむきに生きるお前をいじらしく思う。その清らかな魂を他の連中に穢されるのは我慢ならん』
神様の白く長い指先が私の顎を持ち上げる。
蜂蜜を溶いたみたいに甘く澄んだ金色の瞳の中には、驚いている私が映っていた。
そこで初めて、神様の顔が間近にあったことに気づく。
『お前、大人になったら――俺の嫁になれ』
嫁という言葉の意味を知らなかったわけじゃない。
でも、『結婚かあ、好きな人と家族になれるのっていいなあー』、くらいにしか理解できていなかった小学生の私は単純にこう思った。
『ずっと一緒にいてってこと?』
『そうだ』
神様は即答する。
寂しいのかな、神様も。だったら……。
私は神様に満面の笑みを向けた。
『じゃあ、私がそばにいてあげる! 神様が寂しいとき、悲しいとき、誰かに一緒にいてほしいって、そう思ったときに、そのお願いを私が叶えてあげる!』
深い意味なんてなかった。
ただ、『また会いたい』という願いすら欲深いと言う彼の目が寂しそうだったから、なんとかしてあげたい一心だったのだ。
『瀬を早み、岩にせかるる滝川の……われても末に逢はむとぞ思ふ。今は道が分かれても、必ずお前を迎えに行く。そのときまで――』
神様はふっと笑って優雅に腰を落とすと、片膝を立てた状態で私の左手をすくうように取る。
そのまま私の手の甲に唇を寄せていき、そっと口づけた。
『さらばだ、俺の番い』
「おい、見てみろよ。また芦屋さんの頭の上の電気、点滅してるぞ」
そんな男性社員のひそひそ話が聞こえて、私はため息をつく。
不動産会社の事務で働く私――芦屋雅は度重なる怪奇現象に悩まされていた。
今まさに頭上で起こっていることのように、取り替えたばかりの電球がチカチカし出したり、給湯室の前を通れば勝手に水道の水が流れたり、パソコンの画面が血のように真っ赤に染まったり。
ただ、悪いことばかりが起きているわけでもない。
階段から落ちそうになったときに風が下から吹き荒れて転倒を免れたり、私の噂話をする同僚の髪が数本引っこ抜かれたり。
けれど、結局それらを目撃した社員からは気味悪がられた。
これもすべて、あやかしや神様の仕業だ。助けられてもいるが、〝見えない〟人たちからすれば得体の知れない怪奇現象だ。
こんなだから歴代の彼氏全員からは『もう、耐えられない(怪奇現象に)』のセリフでフラれている。
おかげさまで二十五になってもまともに彼氏ができやしない。
私は肩身の狭い思いで席を立ち、化粧室に逃げると手洗い場に手をついて項垂れた。
「子供の頃からあやかしと神様にいたずらされることはあったけど、歳を重ねるごとにどんどん被害が大きくなってる気がする……」
なんというか、規模と頻度が格段に違う。
昔は『食いたい』と言って私に近づいてきたあやかしも、話せば考え直してくれた。
でも、ここのところ私の迷惑なんてお構いなしだ。
たとえばレストランでの食事中、ウィンドウショッピング中、ガラスを割って私に襲いかかってきたりと凶暴になっている。
神様に関しても助けてくれるのはありがたいのだが、それにかこつけてさりげなくどこかへ攫おうとしたり、神隠しに遭いかける回数が増えていた。
「死活問題だ……」
このままじゃ結婚どころか仕事も平常心でできないし、命だって危ない。
「はあっ」
本日二度目のため息をこぼすと、ふと自分の左手の甲が視界に入る。
「この痣……」
うろ覚えだけど小学生のとき、私はひとりの神様に出会った。
その神様に口づけられた左手の甲には、うっすらと桃色の桜のような痣が浮かび上がっている。
しかも、この痣は私以外の人間には見えていない。
どうしてこの痣をつけられたのか、その神様となにを話したのか、なにせ何十年も前のことなのではっきりとは思い出せない。
確かに覚えているのは、神様に口づけられたということだけ。
この痣にどんな意味があるのかは知らないけれど、大人になるにつれてあやかしや神様に目をつけられることが多くなったのを考えると……。
これが私を不幸にしている気がしてならなかった。
「やっぱり、あやかしと神様がやたらちょっかいかけてくるようになったのは……全部、この痣のせい?」
だとしても、私になにができるというんだろう。
できることがあるとすれば、忌み嫌われようと、畏怖の目に晒されようと、生きていくためにここで働くことだけだ。
怪奇現象を引き起こす私が転職したところで、うまくいくとは思えないし。
少しでも気分が変わればいいなと願いつつ、顔を洗う。それから総務課の自分のデスクに戻った。
その瞬間、またもや点滅し出す頭上の電気。
「お前を食わせろ、でないといたずらするぞ!」
そこにはコップサイズの子鬼たちが群がっていて、困っている私を見てケタケタと笑っていた。
そんな、『お菓子くれないと、いたずらするぞ!』みたいに言われても。ハロウィンか。
というか……いたずら、もうしてるけど。
でもまあ、いきなり襲ってこないだけマシだ。
彼らはあやかしの中でも温厚なほうだと思う。
とはいえ、あやかしが見えない人たちからすれば、私が怪奇現象を起こしてるように見えるわけで、つまり迷惑なことには変わりないわけで……。
「……はあ」
――私の人生、お先真っ暗だ。
午後七時、仕事を終えた私は職場から徒歩二十分の距離にあるワンルームマンションに向かって帰っていた。
両親とは私の周りで起こる怪奇現象のせいで昔からうまくいっておらず、高校卒業とともに実家を出た。
連絡もほとんどとっていない。
そういう事情があって社員寮のある今の会社に就職したのだけれど、結局どこに行っても同じ。
職場でもあやかしや神様がちょっかいをかけてきて、社員に『芦屋さんの近くにいると呪われる』とまで噂されるようになってからは寮にいられなくなり、自分でマンションを探して移った。
「よお、今帰りカ? よかったら、ちょっとだけ血を吸わせてくれヨ」
街灯の少ない薄暗い小学校沿いの道を歩いていると、甲高い男の声がマイクのエコーのように辺りに響く。
この声に心当たりがあった私は、うんざりしながら電柱を見上げた。
そこには案の定、コアラのように電柱にしがみついているコウモリ男――あやかしが牙を見せてニヤッと笑っている。
「絶対に嫌! っていうか毎度毎度、私の帰宅時間に合わせて出没するのやめてよね。そういうの、人間の世界ではストーカーっていうれっきとした犯罪だから!」
何度したかわからない注意をしたとき、フェンスの向こうにある小学校の校庭から「やめてっ」という子供の声が聞こえてきた。
「こんな時間に、子供の声?」
声も切羽詰まってる様子だったし、きっとただごとじゃない。
迷うことなく小学校の校門から中に入ろうとすると、先ほどのコウモリ男がパタパタと羽を動かして私の周りを飛ぶ。
「やめとケ、やめとケ。関わるとろくなことないゾ」
「でも、子供が事件に巻き込まれてるかもしれないし、ほっとけないでしょ」
私はコウモリ男の忠告も無視して、中に足を踏み入れた。
「アーア、どうなっても知らないヨ」
背中越しに声が聞こえたけれど、気になってしまうのだから仕方ない。危険なのは百も承知だ。
校庭にやってくると、ランドセルを背負った男の子たちを発見する。
嘘、小学生だけ?
近くに親は……いないみたいだけど、こんな時間までなにしてるんだろう。
目を凝らせば、ひとりの男の子に寄ってたかって小学生たちが石を投げつけている。
それに居ても立っても居られなくなって、私は駆け寄った。
「あなたたち、こんな遅くになにしてるの!」
石を投げた子たちを咎めると、地面に蹲っていた男の子が涙目で私を見上げる。
「僕が……普通じゃないから、みんながいじめるんだ」
「普通じゃ、ない……?」
胸がざわりとする。
普通じゃない、おかしい、気味が悪い。
そういった人格を否定するような単語には、敏感になっていた。
「あやかしとか、神様が見えるから。だから、みんなが僕を気味悪がる。やっぱり僕、おかしいのかな」
そっか、この子にも見えるんだ。
他の人には見えないものが見えてしまうだけなのに、『お前はおかしい』と欠陥品みたいに扱われる。私と同じだ。
「こういうとき……」
世界から突き放されたような気がして、自分という存在がひどく無価値に思えたとき、私は周りになんて言ってほしかったんだろう。
「……おかしくなんて、ないよ」
ああ、そうだ。
きっとこう言ってほしかったんだ。
普通と違っても、それでもいいんだよって、ありのままの私を愛してほしかったんだ。
でも、現実はそんなに甘くなくて、私はずっと孤独だった。
それでも私を支えてくれた存在がいる。
私は地べたに座り込んでいる男の子に自分を重ねながら、ゆっくりと歩み寄った。
「その特別な力が運んできてくれる出会いもあるはずだよ」
あやかしや神様たちには振り回されてばっかりだけれど、孤独を埋めてくれたのもまた彼らだった。
「少なくとも私はそう信じてる。だから……」
私は石を投げられていた男の子を抱きしめた。
「そんな風に自分を否定しないで」
「お姉ちゃん……ありがとう……っ」
腕の中で男の子は息を詰まらせる。
肩を震わせていたので、泣いているのかもしれない。
その背中をトントンとあやすように叩いていると――。
「ありがと……ハハハハハハッ」
狂ったように笑い出した男の子が、ぐにゃりと仰け反る。
「な、なに……?」
あまりの豹変ぶりに頭が真っ白になっていると、男の子は勢いよく身体を起こした。
「ちょっとお前の記憶を覗いて情を揺さぶってみれば簡単に信じて、これだから人間はバカなんだヨ」
ニタリと不気味な笑みを浮かべた男の子は、私の頭を飲み込むほど大きく口を開けた。
周りにいた小学生たちもケタケタと笑い出し、こちらに手を伸ばしてくる。
「ぐっ……」
ゴムみたいにありえないほど伸びた小学生たちの手が私の手足を掴んだ。
そこでようやく、彼らがあやかしであることに気づく。
身動きがとれないっ。
さっきのコウモリ男、校庭にいるのがあやかしだって気づいてたからやめとけって言ったんだ。
もう、もっとはっきり忠告してよね!
とにもかくにも、本当に男の子が事件に巻き込まれたわけじゃなくてよかった。
胸を撫で下ろして、改めて「怖がれ、泣き叫べ」と私を脅しているあやかしたちを睨みつける。