大きな花火が、空一面に咲いた。
赤や青、黄色に緑。
いろとりどりの花たちが、空に一瞬だけの明かりをともす。
「キレイだねぇ」
私たちは、あいかわらずポテトを揚げながら空を見上げた。
ここから少しだけ離れた場所で、花火が打ちあがっている。
だから、今はお客さんも少なかった。
「ねぇ、碧」
「うん?」
私は、律を見る。
「もう、気づいてると思うけどさ」
「なに?」
「私、誠先輩のこと、好きだから」
夜空にパンパンと音が鳴り響く。
風で流れなかった煙が、モワモワとその場にとどまっているのが見える。
「うん……」
「誠先輩が、誰を好きでも。私誠先輩のことが好きだから」
律の声は、くぐもっていない。
単純に、そして純粋に。
誠先輩が好きなのだと、私に教えたかったのだ。
「うん。さっきので気づいた」
私がそう言うと、律は空を見上げたまま軽く照れ笑いをして見せた。
可愛い。
素直にそう思える笑顔。
恋してる女の子の、笑顔だ。
「たぶん、当分は片想いだろうけどね」
「……」
私は、返事に詰まる。
そうしていると、律がプッとふきだした。
「別に碧を攻めてるわけじゃないよ?」
「うん。わかってる」
「でもさ、碧がちゃんと先輩に返事しなきゃ、私の恋は前に進めないから」
そっか……。
そうだよね。
私が返事しなきゃ、律は先輩に想いを伝えることなんてできないよね。
「碧。だからって返事をせかしてるとか、先輩を振ってほしいとか、そんなんじゃないよ?」
律が顔を覗き込んできて、私の、眉間に刻まれたシワに触れた。
「ゆっくり、碧なりに真剣に考えて答えを出してね?」
律に触れられたシワが、スッと伸びていく。
少し、心が軽くなった感じだ。
「ありがとう、律」
私が律にそう言ったとき、先生がやってきた。
「お前ら、もうここはいいぞ。客も減ってきたし、せっかくだから花火を近くで見てこい」
「いいんですかっ!?」
パッと笑顔になり、そう聞き返す前に私と律はすでに屋台を出ていた。
走りながらハッピとエプロンを脱いで、他のクラスの屋台にポイッと投げ込む。
それを受け取った友達が「ちょっと碧! 律!!」と文句を言う声が、後方に聞こえてくる。
それから、律と私はまるで小学生のように手を握り合い、屋台の群れから離れていった……。
☆☆☆
人波から少し離れた広場からだと、花火は建物に隠れることなくキレイに咲いた。
一応ここは穴場なのだけど、数人の先客たちがいた。
しかも、カップルばかり。
「キレイだねぇ」
広場の真ん中に、制服が汚れることなんてお構いなしに、律が寝転ぶ。
私も、その隣に寝転び、空を見上げた。
肌寒いけど、お祭りの熱を浴びた後なので心地いい。
油の匂いも、風に乗って取れるかもしれない。
花火から少し視線をずらすと、小さな星の姿も目に入った。
「これなら、カップルで来たくなるよねぇ」
と、律。
私はぼんやりと星を眺めながら、すぐるの顔を思い出した。
ポケットの中の、スーパーボールを握り締める。
すぐる、来てくれないかなぁ……。
「碧、S王子と来たかったって思ったでしょ?」
「えっ……そんなことないよっ!」
慌てて否定する私に、律が笑う。
「碧って本当にわかりやすいんだから」
「おかげで、嫌ってほど律にからかわれてるじゃない」
プゥと頬を膨らませる。
その時だった。
「碧?」
すぐるの声にパッと体を起こし、振り返る。
暗闇の中のすぐるが、花火の明かりによって赤や青に照らし出される。
「すぐるっ!」
想いが通じた!
そう思い、駆け寄ろうとして……足を、止めた。
すぐるの後方に、誠先輩がいる。
「誠先輩?」
律もそれに気づき、立ち上がった。
広がる、沈黙。
花火の音だけが、遠くに聞こえる。
「碧ちゃん」
誠先輩が私に声をかけ、その声にすぐるが振り返る。
ここからじゃその表情は見えないけれど、雰囲気が変わった気がした。
……すぐる、今どんな顔してる?
「どうした、怖い顔して」
誠先輩が、いつもの優しい笑顔のまま、すぐるに言った。
「まるで、大切なものを壊された子供みたいな顔だな」
「……碧に近づくな」
いつも以上に冷たく、そして怒りのこもったようなすぐるの声。
すぐる……どうしたの?
2人の間に何が起きているのか、わからない。
「森山、俺碧ちゃんに告白したんだ」
誠先輩っ!!
なんで? なんで今そんなこと言うの!?
振り向くすぐるの顔を、見ることができない。
私の視界には、真っ暗な地面だけが一杯に広がった。
「碧、本当なのか?」
「……一週間くらい前の……帰り道に」
声が、震える。
どうしていいかわからなくて、手に汗がにじみ出る。
「どうして言わなかった?」
「なん……か、言えなくて」
悪いことなんかしてないのに、罪悪感で胸の中が一杯になる。
押しつぶされてしまいそうだ。
「森山君。碧は悪気はないよ」
そんな私をフォローするように、律が言った。
律の手が、私の背中をそっとなでた。
「いいじゃないか、別に」
誠先輩がそう言い、すぐるに近づく。
すぐるはそれを嫌がるように、誠先輩から遠ざかった。
「お前も、碧ちゃんに隠してることがあるだろ?」
すぐるが……?
「いつか、ちゃんと話すつもりだ」
すぐるが、キッパリと言い切る。
あぁ……。
そういえば、私を置いて帰った時にそんな事言ってたよね。
「お前の『いつか』っていつなワケ?
今までの子達の時もそうだよな?
お前が振り回すだけ振り回して、いやがらせまで受けてたのに、結局自分のことは何も話さず別れてきただろ」
誠先輩の言葉が、小さなとげになって突き刺さってくる。
写真の子達を思い出す。
できれば、そんな話聞きたくない。
耳をふさいでしまいたい。
「いつまで待っても、お前の『いつか』なんて来ないんじゃないか?」
すぐるは俯いたまま、顔を上げようとしない。
少し、肩が震えているようにも見える。
「碧ちゃん」
誠先輩が、私に向き直る。
「こいつのかわりに、教えてやるよ」
「え……?」
やだ。
聞きたくない。
怖い。
必死でイヤイヤと首を振る私に、誠先輩は口を開いた――。
「こいつにはな、イイナズケがいるんだよ」
風が、冷たい。
頬を殴られるような、衝撃。
コイツニハナ、イイナズケガイルンダヨ。
スグルニハネ、イイナズケガイルノヨ。
「碧ちゃんも知ってるだろ、こいつの家。
いい所のボンボンだからさ、生れ落ちたその瞬間から、結婚の相手は決まってるんだよ」
清子さんの言っていた事を、誠先輩がそのまま口にしている。
その瞬間、私の脳裏にある定義がうかんだ。
まさか……清子さんがすぐるの……?
清子さんの家は大きい。
それに、すぐるとは幼馴染だ。
すぐるのイイナズケが清子さんだとすれば、『清子のこと、責めないでやってほしいんだ』という言葉の意味も、わかる気がする。
すぐるは、自分のイイナズケを守っただけだ。
清子さんは、本当に女遊びの激しいすぐるに困っていただけ。
じゃぁ私は……?
私は、ただすぐるに振り回されて、その気になって。
清子さんの婚約者を横から取ろうとしていただけ――!?
「そ……んな」
誠先輩が、まだ何かを言いたそうにしている。
私は、俯いたままのすぐるを見つめる。
嘘でしょ?
嘘って言ってよ。
いつもみたいに強引に、『そんなの信じてんじゃねぇよ』って、怒ってよ!!
胸が、呼吸が、苦しい。
息が、できない。
「本当のことだ」
すぐるの口から出た言葉は、私が望んでいた言葉ではなかった。
「俺には、イイナズケがいる」
「……ふっ……ぅっ」
思わず、涙がこぼれると同時に嗚咽がもれた。
「碧」
心配してくる律の手を振り払う。
「碧ちゃん!!」
駆け出す私に、誠先輩が「まだ、話しがあるんだ!!」と、叫ぶ。
もう嫌!!
もう、何も聞きたくない!!
みんなが恋人と一緒に花火を見ている間、私は一人で、泣いていた――。
最低な秋祭りが終わってから、私はしばらく学校に行けずにいた。
夜、冷たい風の中泣きながら走り回った私は、見事に風邪をひいてしまったのだ。
すぐるの事を思い出すと学校なんか行く気にもなれなかったから、一日中ベッドの中で過ごしていた。
熱が出て、ボーッとしている内はまだすぐるへの気持ちを忘れられる。
けれど、少し体調がよくなると、私の頭の中はあっという間にすぐる一色になってしまった。
誰もいない家の中、一人で枕に顔をうずめしゃくりあげる。
こういうときは、律からの励ましもメールも役にたたない。
世界中で一番不幸だとか、そんな甘ったれた考えで支配されてしまうのだ。
こんなに胸が痛くて、呼吸さえ苦しくて、なのに、何で私は生きているんだろう?
どうして、お腹がすいちゃうんだろう?
そんな自分がすごく嫌で、また涙が溢れ出す。
何度目かの涙を拭いたとき、玄関でチャイムが鳴った。
「誰……?」
鼻声でそう呟き、顔を上げる。
けれど、泣いたばかりの不細工な顔で人前に出るなんてできない。
私は少し迷ったが、また布団にもぐりこんだ。
相手には悪いと思うけど、留守のフリをしよう。
そう思い、目を閉じる。
けれど、チャイムの音は止まらなかった。
ピンポーン、ピンポーンと、続けざまに何度も鳴る。
私は頭から布団をかぶり、キュッと耳をふさぐ。
聞こえないフリ。
聞こえないフリ。
そうしていると、しばらく鳴り続けたチャイムはピタリと止まった。
ホッとして息を吐き出し、布団からソッと顔をのぞかせる。
居留守を使うのも、楽ではない。
その時だった、次に聞こえてきたのは「碧ちゃん、いないの!!」と、私を呼ぶ声。
これにはさすがに驚いて、ベッドから飛び起きる。
誰!?
と、一瞬硬直するが、その声には十分に聞き覚えがあった。
「碧ちゃん!! 俺だよ!!」
玄関先で、大声で私の名前を呼ぶのは、誠先輩だ。
「今出ます!!」
私は自分の部屋の中でそう返事をして、パジャマの上にカーディガンを羽織る。
この顔のままじゃやばい。
そう思い、赤くなった目に目薬をさす。
余計に泣いてみえるかもしれないけど、仕方がない。
私はパタパタと早足で玄関へと向かった。
「碧ちゃん、よかった」
私が玄関を開けると、ホッとした表情の誠先輩がいた。
「誠先輩……」
「突然来てごめんね? 体調どう?」
そう言いながら、誠先輩はコンビニの袋を私に手渡してきた。
中を見ると、プリンやバナナが入っている。
「ありがとうございます。大分、よくなりました」
「そっか。よかった」
本当に、自分の事のように安心した笑顔になる。
「心配して、わざわざ来てくれたんですか?」
時刻は、まだ4時過ぎ。
学校が終わってから、すぐにここまで来てくれたのだ。
「あぁ。碧ちゃん何日も休んでるって聞いたからさ。
それに、色々あったばかりだしね」
最後の言葉は、モゴモゴと言葉を濁しながら言った。
私は一つ頷き、「でも、いくら傷ついてもご飯だけは食べれるんです」と言った。
「漫画とかなら、失恋してご飯が喉を通らない。とか言うけど……実際はそんなこともないみたいです」
アハハ。と、自然と笑みがこぼれる。
久々に笑った気分だ。
「元々、すぐるの事好きでもなんでもなかったから、辛い辛いって思っても、そこまでじゃないのかも……」
「碧ちゃん、あいつの事好きで付き合ってたんじゃなかったの?」
誠先輩が、驚いたように目を見開く。
「いえ、もちろん途中からは本当に好きでした。
けど、出会って突然キスされて、付き合えって言われて……。それが、私たちの最初だから……」
「呆れたヤツだな」
誠先輩はそう言って、軽くため息を吐き出した。
「恋、してるつもりになってただけかもしれないです」
そう呟き、俯く。
初めて告白されて、彼氏ができたから……。
恋してるつもりになって、舞い上がっていただけ。
だって、そうじゃなきゃ今こうして誠先輩と笑いながら話なんて、できるワケがないもん。
「ねぇ、碧ちゃん」
「はい?」
「体調いいなら、明日には学校おいでよ」
私は誠先輩を見あげるようにして見る。
「まだ、森山のことが気になって来づらい?」
「そんなこと……ないです」
半分本当。
半分嘘の返事だった。
その瞬間、なぜだか私は、誠先輩の大きな腕の中にすっぽりと包まれていた。
目をパチクリする私を、誠先輩は優しく抱きしめる。
「誠……先輩?」
少しだけ、胸がドキドキと音を鳴らす。
「見て、られないんだ」
え?
「碧ちゃんが、あいつに振り回されたり北河にいやがらせされてるの、見てられないんだよ」
誠先輩が、力を込める。
私は、自然と誠先輩の背中に手を回していた。
先輩の痛みがそのまま私に流れ込んでくる。
この人は、私のために傷ついてる。
この人は、私を見て傷ついてる。
一方的で、傷つけるだけのすぐるとは、違う……。
「誠先輩……」
抱きしめられたまま、私は言った。
「私と……付き合ってください――」