「実は雪実ちゃんの弟がね、昨日から行方不明になっているかもしれないのよ」
「行方不明!?」
何かを例えて言っているのかな?
花音のことだから、また何か勘違いでもしてるとか?
「いくつなの、弟さん?」
「十二歳……中学一年、です。昨日ではなく、一昨日から……」
今度は小さな声で手嶋さんが答える。
行方が分からなくなってるのは本当らしい。
その歳なら誘拐の可能性は低いだろうけど……。
「そうなんだ……なんて言っていいのか……それは、心配ね」
「で、ほら、咲々芽、探偵のバイトしてるじゃん?」と、再び花音が口を挟む。
「探偵でもバイトでもないわよ!」
「それでさぁ……」
――マイペースかよ!
「たまたまあたしが加奈子にその話をしてたらさ、雪実ちゃんが、咲々芽にちょっと話を聞いてもらいたい、って……」
「花音、私のことで適当な噂してるんじゃないでしょうね!?」
花音が、肩をすくめてペロリと舌の先を見せる。
探偵のバイト――私がよく立ち寄っている〝行方不明者捜索専門〟の事務所のことを言っているのだろうけれど……。
経営しているのは私のいとこで、やっていることも探偵社とは違う。
あくまでも請け負うのは行方不明者の捜索のみ。
しかも、対象もただの行方不明者じゃない。
事務所で寝泊りしているいとこのために、ちょくちょく立ち寄っては料理を作ったり、たまに仕事の手伝いをしたりもするが、給金が出ているわけでもない。
傍から見れば探偵社のアルバイト……なんて勘違いをされるのも分からないではないけど、きちんと説明しようにも実家同士の事情なんかもあって少々複雑なのだ。
「先生の耳にでも入ったら面倒だし、あんまり怪しげな噂、立てないでよね!」
「やっぱり、怪しげなんだ!?」
「あんたが話すとそうなりそう、ってことよ!」
年頃の女の子が、とある雑居ビルの一室に足繁く出入りしている――私だってそれが訝しい行動だと分からないほど、自分を客観視できないわけじゃない。
それにしても、今の話……ちょっと言い回しがおかしかったな。
行方不明になっているかもしれない?
「その……なってるかもしれない、ってのは、まだ確定じゃないってこと?」
私の問いかけに小さく頷きながらも、そのまま小首を傾げる手嶋さん。
否定とも肯定ともいい難いそんな仕草のあとで、今度は彼女が直接答える。
「いなくなったのは本当です。ただ……消えたのが、鍵のかかった弟自身の部屋からで……」
「そうそう。密室殺人らしいのよ」と、花音がすぐに口を挟む。
行方不明なんだから死体はないでしょ、と、念のため突っ込んだあと、再び手嶋さんに視線を戻す。
花音の頭脳レベルではボケなのかマジなのか判断が難しいので、逐一訂正する癖がついてしまっているのだ。
「警察へは?」
「昨日届けました。でも……部屋の鍵は弟本人が持っていたものと、親が管理しているマスターキーしかないので、現時点で事件性を認めるのは難しいと……」
まあ、そりゃそうよね。誰が見てもただの家出だ。
でも、かと言って自宅の二階からの失踪では、あの事務所で扱えるような案件であるかどうかも疑わしい。
「聞き難いんだけど、弟さんの家出、ってことは――」
「あり得ません」
食い気味に、ここだけはきっぱりと答えながら首を左右に振る手嶋さん。
「この春、念願の名門中学に合格して、消える前日には、一年生ながら野球部の補欠メンバーにも選ばれたって言って喜んでいたんです」
「なるほど……」
「それに、荷物を持って出た形跡もありません。いなくなったのは夜ですし、おそらくパジャマのままですから、家出なんてことは……」
「ね? 家出をするようには思えないわよね、咲々芽?」
黙って他人の話を聞いているのが苦手な花音。
手嶋さんが話し始めても、結局はちょいちょい口を挟んでくる。
確かに家出の前兆はないようだけど……十二、三歳と言えばとにかく多感な年頃だ。何かの拍子で急に情動的な行動にでることだって、あり得なくはない。
もっとも私だって、悟ったような物言いができるほど歳が離れているわけじゃないけれど……。
「矢野森さんたちが、柊さんのバイト先の話をしているのを聞いて思わず声をかけてしまったんですけど……」
「花音たちから何を聞いたかわからないけど、あの事務所は誰でも探す、ってわけじゃないわよ?」
「それは……なんとなく聞きました」と、手嶋さんが小さく頷く。
――ほんと花音のやつ、余計なこと話してないでしょうね!?
「それに……もし仮に引き受けるとなっても……」
「お金なら、払います!!」
思わず大きくなった手嶋さんの声に、まだ教室内に残っていた生徒たちの視線が私たちに集中する。
――あれ? この絵面、まるで私がカツアゲでもしてるみたいじゃない!?
焦って挙動不審になった私に、今度は慌てて何度も頭を下げる手嶋さん。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
「い、いや、そういうのいいから! とりあえず黙って!」
無愛想なせいで〝裏番長〟なんて噂を流された中学校時代の苦い記憶が蘇る。
高校でまた、いきなりの裏バン生活だけはマジ勘弁。
「さすが裏バン」と、茶化す花音。
「やかましい!」
――もしかして噂の出どころ、花音じゃないでしょうね!?
「とりあえず、それはいいから!」と、頭を下げる手嶋さんを止め、声を落として話を続ける。
「お金を払うといっても……私が言うのもなんだけど、法外な料金よ? 多分、高校生の貯金程度じゃとても……」
「大丈夫です。うちの親、お金だけは持ってますし……弟のためならいくらでも出すと思います」
手嶋さんの家、お金持ちなのかな?
それにしては、娘がこんな普通の公立高校なんていうのもちょっとチグハグな気はするけど……。
正直、話を聞く限りではまだ家出の可能性も捨て切れない。
でも……。
もしあの事務所で扱える内容の話なら、喉から手が出るほど欲しい依頼人、ということになるかもしれない。
「う~ん……じゃあ、今日事務所に行こうと思ってたし、環さんに話だけでも聞いてもらおうか」
「行く行くぅ――! ……って、環さん?」
……誰? と、歓声をあげた直後にキョトンフェイスに変わる花音。
中学の頃から私が通っているのを見ていた花音から、何度か一緒に行きたいと言われてはいたんだけど……。
ぶっちゃけ、めんどくさいことになりそうで断っていたのよね。
「ああ、えっと、環さんってのは、私のいとこで、事務所の責任者ね」
「ふむふむ。まあ、咲々芽が普段お世話になってる人がどんな人なのか、大親友のあたしがしっかりと見極めてしんぜよう」と、胸を張る花音。
最近、急に大きくなり始めたなぁ、花音の胸。
中学までは一緒くらいだったのに……。
「別に、花音は来なくてもいいよ」
「ええっ! まったまた……咲々芽ったらぁ! この、ツンデレ番長めぇ!」
「いや、マジで」
学校の最寄り駅から電車で二駅。
さらに、駅前の繁華街を五分ほど歩いて辿りつく雑居ビルの二階。
その最奥の一室、古ぼけた入り口扉を開けながら、
「こんにちわぁ~」
と、中へ声をかける。
同時に、扉の内側に付けられたドアベルが、チリンチリン、とか細く響いた。
「やっぱり……探偵じゃん」
〝飛鳥井探偵事務所〟と、百均素材でクラフトワークされたようなドアプレートを眺めながら花音が呟く。
「便宜上そう書いているだけ。飛鳥井事務所だけじゃ、反社会勢力みたいでしょ」
「反社会勢力が、こんな百均素材みたいな表札作るかなぁ?」
――確かに。
中に入ると、すぐ目の前に立ちふさがるキャスター付きのパーテーション。
「誰も……いないんですか?」
緊張した声色で訊ねてきたのは、一番後ろから付いてきた手嶋さん。
鍵はかかっていなかったけれど、中からも返事はない。
「どうだろ。環さん、仮眠でもとっているのかな……」
三人一列になって奥へ進む。パーテーションの向こう側は応接室。
細々とした、未整理の道具や荷物で雑然としている。
応接セットのソファにも、窓際の所長席にも人影はない。
と、そのとき、奥のミニキッチンからフライパンを持った青年が顔を覗かせた。
「なんだ、咲々芽か」
「あれ? あまねくん、来てたんだ」
「炒め物していて気付かなかった。……友達?」
花音と手嶋さんの二人を顎で差しながら青年――周くんが尋ねる。
「え~っと、私のクラスメイトで、矢野森花音と、手嶋……雪実さん」
周くんの切れ長なつり目に見据えられて、さすがの花音も「こんにちは」と、やや気後れ気味にお辞儀をする。
しかしそれも束の間、すぐに私の脇腹を肘で小突いて、
「ねえちょっと! あたしたちにも紹介してよ、彼!」
「分かってるわよ……がっつくな!」
そう言って私は二人から離れると、今度は周くんの傍まで行って振り返る。
「彼は飛鳥井周くん。ここの所長の環さんの……弟さん。一応、中学三年生」
「一応、って……なんだよ?」
「だって……」
えええ―――っ! と、声にならない声を上げながら目を丸くする花音と手嶋さんを指差して、再び周くんの方へ向き直る。
「ほらね? あまねくん、とてもだけど中三には見えないもん」
身長は……一ヶ月前に会ったときより、また伸びた?
いつの間にか、私の頭のてっぺんが彼の肩の位置よりも低くなっている。
もしかするともう、百八十センチに届いているかも!
加えて、切れ長のつり目にしっかりとした隆鼻、落ち着いた声と口調。
一見しただけなら大学のテニスサークルあたりで、クールなところが素敵! なんて女子部員の黄色い声を受けながら副部長でもやっていそうな出で立ちだ。
ちなみに、所長の弟……とは紹介したが、環さんの母親は環さんが六歳の頃に他界している。
周くんは、父親の再婚相手の子供で、環さんの異母弟となる。
「いつのまにここ、咲々芽たちの溜り場に?」
「そんなんじゃないわよ。今日はちょっと、環さんに相談があって……」
「ふぅ――ん……環にねぇ……」
改めて、二人を鋭く一瞥する周くん。
その視線に、手嶋さんは再び肩を跳ね上げてうつむくが、早くも慣れた様子の花音はサササッと周くんに近づき、フライパンの中を覗き込む。
「ほうほう! 肉野菜炒めかぁ! あまねくん、料理できるんだぁ!」
「ま、まあ、簡単なものだけだけど……。環に……所長に届け物にきたら、ついでに留守番と晩飯の用意を頼まれて……」
「そっかそっかぁ。じゃあ、お姉さんもなにか手伝うよ!」と言いながら、周くんの腰に手を回そうとする痴女花音!
「な、なんだ!?」
周くんが、慌てて体を捻ってそれをかわす。
「なんで避けるのよ、あまねくん?」
「避けるだろ普通! おい咲々芽……なんだこの女!?」
「あ~、花音は今日は関係ないから、あまねくん、相手お願い」
「関係ないなら連れてくるなよ! ……って、キッチン狭いから、いいです! そっちで座っててください」と、菜箸を持った右腕で花音を押し返そうとする周くん。
「狭いなら好都合じゃない♡」
「何がっ!?」
落ち着いて見えても、周くんのああいう反応を見ると、やっぱり中身は中学生なんだなぁ、って再確認。
でも、あんな風にあたふたすればするほど花音は燃えちゃうんだけどねぇ。
これまで花音をここへ連れて来なかったのはこの事態を懸念してたから。
まあでも……出会ってしまったものは仕方がない!
――アディオス、周くん!
半ば諦め気味に二人を見ながら、
「紅茶でも淹れよっか?」と、手嶋さんに声をかけたその時。
チリチリン――……。
ドアベルの音が響き、すぐにパーテーションの向こうから現れる人影。
「なになに? なんだか今日は、賑やかだね~」
そう言いながら入ってきた人物に全員の視線が集まる。
丸襟のフリルシャツに、膝上の黒いミディアムワンピース。
黒のタイツに包まれたスラリとした足元のおかげでかなり高身長に見える……というのもあるが、実際に、周くんと同等以上の上背があるのも間違いない。
「すっ……スーパーモデル!?」と、一拍おいて花音が呟く。
まあ、そう思うのも無理はないよね。
私だって何度も会っているくせに、それでも会うたびにいつも、今の花音と同じような陳腐な修辞しか思い浮かばない。
もちろん、感嘆の理由はプロポーションだけじゃない。
長い睫毛の涼やかな目元に、筋の通った高い鼻と薄い唇が配された端麗な顔立ち。
白い肌に胸元まで大切に伸ばされた黒髪のストレート。
サラサラとてかりのない髪は、シンプルなロングヘアでありながら、なぜか中性的な印象も漂わせている。
とにかく、ただ美しいというのではない。
月の光のように神秘的で、そしてどこか気高さも感じさせる……そんな悪魔的な存在感が立ち昇っているのだ。
「え――っと……」
入ってきた女性を手で指し示しながら、室内を振り返って呆けたような顔の花音と手嶋さんを確認する。
おそらく二人とも、こんな顔になるんじゃないかなぁ、と予想していた通りの表情が見られて、少しだけ感じる優越感。
「この人が、この事務所を経営している、私のいとこの、飛鳥井環さん」
「この人が、この事務所を経営している、私のいとこの、飛鳥井環さん」
私の紹介を受けて、黒曜石を思わせる黒く涼やかな瞳を二人へ向ける環さん。
「こんにちは。咲々芽さんのお友だち?」
「はい。手嶋雪実さんと、あっちの……あまねくんと一緒にいるのが、矢野森花音。どちらもクラスメイトです」
はじめまして……と、相変わらず呆けたような面持ちで、ほぼ同時に会釈をする花音と手嶋さん。
「咲々芽さんがお友だちを連れてくるなんて初めてだよね? いたんだねぇ、お友だち」
「そりゃあ、いますよ! 私をなんだと思ってたんですか!?」
「一人でよくここに来てたし、学校では寂しい思いをしてるのかなぁって」
気を使って尋ねはしなかったけど、と環さんが微笑む。
「あ、あのですね! そもそもここの様子をこまめに見るように言われたのは、環さんが本家から勘当されたりするから――」
そこまで言ってハッと口を噤む。
今日は身内だけじゃなく、花音や手嶋さんもいるんだった!
慌てて二人の様子を確かめるが、私たちの会話など聞いていた風もなく、相変わらずボォ――ッと環さんを眺めている。
普段は、毛玉だらけの小豆色ジャージを着たりしてラフにしていることも多いんだけど……今日は、特に綺麗にしてるからなぁ、環さん。
油断すると私でも見惚れてしまいそう。
「今日は、何か仕事だったんですか?」
「うん? まあ、そうだね、ちょっと大井の方まで……」
「ああん!? 環、おまえ……もしかしてまた競馬!?」
大井……と聞いて、やにわに甲走る周くんの尖り声。
「まあまあ、落ち着きなよ、あまねくん」と、嫋やかな微笑を返す環さん。
「落ち着けるか! 環が珍しく急な仕事だって言うから、約束を断って留守番してやってたのに……」
「中学生なんだから、わざわざ外で会わなくても学校でいくらでも会えるでしょ」
「小学校時代の同級生なんだよ。久々にこっちに遊びに来たっていうから……」
「そんな人と、今さら何を話すの?」
「余計なお世話だ!」
環さんが、持っていたショルダーポーチをポールハンガーにかけると、周くんの不満など意にも介さぬ様子で二人掛けソファーに腰を下ろす。
何気なく組んだ、膝から爪先にかけての常人離れした長い足先も、絶妙なバランスで環さんの肢体にピタリと収まっている。
創作の世界では〝八頭身美人〟なんて言葉がよく出てくるけど、それを体現している日本人なんてそう多くはない。
八.五頭身ともなると、実際に見たことがあるのは環さんくらいだ。
「で……増やせたのかよ、お金は?」
「う~ん、今日のところは、まだ貯金だね」
「何が貯金だよ! 負けてんじゃん! いつになったら貯金おろしてくるんだよ!?」
「お馬さん次第かなぁ?」
「おまえ次第だよ!」
……と、呆れたようにキッチンの奥に姿を消す周くん。
室内を見渡せば、ボォ――ッと突っ立ったままの手嶋さんと、そわそわとなにやら落ち着かない様子の花音が目に止まる。
ついさっきまで周くんにまとわりついていた花音の興味も、今は完全に環さんの方へ移ったようだ。
「とりあえず、花音と手嶋さんも……座ったら? お茶淹れてくるよ」
テーブルを挟んで、環さんの対面に並べられた一人掛けのソファーへ座るよう二人を促す。
「やっと言ってくれたぁ! 気付くのが遅いよ咲々芽」
そう言いながらそそくさとソファに腰を下ろす花音。
「え……私待ちだったの?」
「そりゃそうでしょう! 勝手に座るわけにもいかないし」
入試のグループ面接では、試験官に促される前に着席していた花音にしてはお淑やかだ。
「で、今日は、何か相談でも? もしかすると、雪実さんの方かな?」
二人が腰を下ろすや否や話しかける環さんの言葉に、手嶋さんが目を丸くする。
……が、
「なんで分かったんですか!?」とすかさず聞き返したのは花音の方。
「さっきから咲々芽さん、雪実さんの方にだけ敬称を付けているでしょ。紹介する時もそのままだったし」
「そう……でしたっけ?」
「自分側の人間を紹介する時は普通、敬称を省くものだけど、雪実さんとはまだ知り合って間もないのかな、ってね」
「なるほど……」
「そんな人を連れて、わざわざここへ遊びにくるわけもないだろうし。それならあとは、その手の相談しかないだろうから」
紅茶を淹れて戻ると、まだ落ち着かない様子の手嶋さんとは対照的に、花音の方はだいぶ打ち解けた様子で環さんと談笑を始めている。
最初こそ等しく緊張していた花音と手嶋さんだったけれど、その後の順応速度は雲泥の差だ。
もっとも、花音との雑談も、手嶋さんにリラックスしてもらうための、恐らくは環さんなりの気遣いなのだろうけど。
テーブルに紅茶を並べ始めると、嬉々とした表情で環さんが話しかけてきた。
「咲々芽さん、中学校のときは裏バンやってたんだってねぇ!」
「やってませんっ!」
――もしかして、普通に雑談を楽しんでいただけ?
キッ、と花音を睨みつけながら、私も折り畳みのパイプ椅子を広げて腰掛ける。
チラリと壁時計に目をやると、時刻はすでに午後四時半を過ぎていた。
紅茶を一口啜ってカップをテーブルに戻すと、おもむろに環さんが口を開く。
「それで、いなくなったのは誰なんです?」
「それで、いなくなったのは誰なんです?」
「あ……え!?」
せっかく落ち着いてきていたのに、環さんに見つめられて再び舌をもつれさせる手嶋さん。
「咲々芽さんたちにどこまで聞いているのか分からないけれど、ここへ来たということはそういう相談なのでしょう?」
ティーカップをテーブルに戻しながら、小さく頷く手嶋さん。
あたしから話そっか? という花音の親切ごかしな申し出に、「いえ、私から……」と、今度ははっきりと首を振る。
花音は花音で、人の話を静かに聞いていることが苦手な女だし、どんな内容でもいいので、環さんとの会話のネタも欲しかったのだろう。
手嶋さんに申し出を断られ、やや不満そうに尖らせた唇に紅茶を運んだ直後、
「アチッ!」といって慌ててカップを口から離す。
「紅茶、熱過ぎだよ咲々芽ぇ~。あたしバカ舌なんだよ!」
「猫舌でしょ」
そんな花音のバカボケに、クスリと笑って少しリラックスできたのか、手嶋さんは一つ息を吐くと、ぽつりぽつりと語り始めた。
「消えたのは……私の弟です」
◇◇
「なるほど……」
三十分後、手嶋さんの話を聞き終えた環さんが、目を瞑ったまま静かに頷く。
合間合間に多少の質問は挟みながらも、基本的にはずっと静かに、そして興味深そうに話を聞いていた。
「ぶっはぁ――っ!」
止まっていた呼吸が再開したかのように、花音がソファーの上で仰け反る。
思いのほか真剣な環さんの様子を見て、さすがの花音も、手嶋さんが話している間はほとんど口を挟めずに耐えていたのだ。
「こんなに長い間、他人の話を黙って聞いてるとか……苦行だよ、苦行!」
「三十分くらいで、大袈裟だなぁ」
「三十分沈黙の刑なんてもう……拷問といっても過言じゃないよ。DVで訴えたら勝てるんじゃない!?」
「勝てるか! 請求棄却だよ!」
――こいつは一体、どうやって授業を受けてるんだろう!?
そんな私たちのくだらないやりとりを気に留める風でもなく、少しの間、何かを考えるように腕組みをしていた環さんだったけど……、
「うん、面白いね。調べてみる価値はあるかもしれない」
そう言って冷めた紅茶を一気に飲み干したあと、ハッとしたように言葉を繋げる。
「あ、ごめんね、面白いなんて。不謹慎だったね」
「い、いえ、大丈夫です」
「雪実さんは、うちの事務所が失踪者専門で調査しているというのは聞いているのかな?」
「はい、少しですけど……」
「それじゃあ、失踪者の中でも、特に〝神隠し〟と呼ばれるようなケースについてのみ請け負っているということも?」
「か、神……い、いえ、そこまでは」と、手嶋さんが目を丸くしながら首を振る。
――まあ、当然だよね。
いきなり〝神隠し〟なんていう言葉を聞かされても、常識的な思考を持ち合わせた現代人であれば、呆れて失笑するのが普通だろう。
言葉に詰まった手嶋さんを見て、待ってましたとばかりに口を挟んだのは花音だ。
「神隠し……って言うと、あれですか? 隠れ里みたいなところに迷い込んで行方不明になっちゃう、みたいな?」
「そうだね。昔はそんな風に考えられていたし、現代でも同じような考えを持っている人だって、いないわけじゃない」
花音の質問ににこやかに答えながら、環さんが斜め後ろを振り返る。
その視線の先では、夕飯を作り終えた周くんがキッチン脇の柱に寄りかかり、私たちの話を聞いていた。
もちろん、手嶋さんに了解を取ったうえでだけど。
「あまねくん。紅茶をもう一杯、頼めるかな?」
「うん」
周くんが空のカップを受け取ってキッチンへ戻るのを見届けて、環さんが話を続ける。
「うちの実家は……ああ、実家があるのはN県S島の田舎なんだけれど、かなり名の知れた旧家で、代々特殊な能力を持った子供が生まれる家系でもあるんだ」
「特殊な能力……超能力みたいなものですか?」と、花音が小首を傾げる。
「うん、まあ、そう言っても差し支えはないかな」
すごい! と、胸のまえで両手を合わせて感動する花音。
――これは、演技じゃないかな。
実は花音、オカルト的な話題がもともと大好きで、以前から私もよく、UMAだのUFOだのという話を無理矢理聞かされたりしていた。
そんな素地もあったので、環さんの話にすぐに食い付いてきたのはとくに不自然ではないのだけど……。
意外だったのは手嶋さんの反応だ。
超能力だの異能だのなんて話を聞かされれば『この人、大丈夫か?』と思われたりするのが世の常。
しかし、手嶋さんも花音と同じように合掌して……とまでは言わないまでも、興味津々といった様子で身を乗り出し、環さんの話に聞き入っている。
意外と彼女も、オタク系女子と言われるような人種なんだろうか?
「ということは、環さんにも、何か凄い能力が!?」
「う~ん……うちの家系ではそれほど珍しくもない能力だからね。凄い……かどうかはよく分からないけど……」
そこへ、新しく紅茶を淹れたカップを持って周くんが戻ってくる。
ありがとうと言って受け取ると、一口だけ飲んでカップをソーサーに戻し、テーブルに置く環さん。
お茶を飲むだけの何気ない動作だけれど、とても嫋やかで上品な動き。
親戚とはいえ、分家の私はサラリーマン家庭で育ったコテコテの庶民だけど、本家の古めかしい因習のなかで育てられた環さんの所作には、本物の気品が漂っている。
環さんが話を続ける。
「まあ、能力については機会があったらまた教えてあげるけれど……簡単にいうと、世間で言うところの〝隠れ里〟と、そこへの入り口を見つけること、かな」
「なるほどぉ~! アリ寄りのアリですね!」
と、わけの分からないことを言いながら頷いているいけれど、花音のやつ、ちゃんと分かっているのかな?
「家系で……ということは、じゃあ、あまねくんにも何か特別な力が?」
「矢野森さん、鋭いね!」
嬉しそうに微笑んで、環さんが説明を続ける。
「そうだね。もっとも、あまねくんとは母親が違うのだけれど」
「あ、そうなんですか」
「しかもこっちは、実家から追い出された身だからねぇ。家系とはいっても、今、正式に家の跡継ぎとして認められているのはあまねくんの方なんだよね」
それを聞いて周くんも、
「追い出された、っていうより、環は自分から出ていったようなもんだろ」
「そんなことはないと思うけど……」
「親父だって世間体もあるし、本当なら環に継いで欲しかったんだよ。周りだってみんな、口には出さないけど、兄を差し置いてなんで弟が? って思ってるよ」
突然、ガチャン! と音がして、テーブルの上にティーカップが転がる。
幸い中身は空だったので紅茶が零れることはなかったが……。
花音がソーサーの上にカップを戻そうとして、誤って手から滑り落としてしまったらしい。
「え……? 兄を差し置いて、って……ええっ!?」
素っ頓狂な声を上げながら周くんと環さんを順に見やり、さらに、唖然とした視線を私に向ける。
いや、今回ばかりは花音だけじゃなく、隣の手嶋さんも同じようなリアクション。
「あ~、え~っと、もしかして言い忘れてたかな? 環さん、男性なんだよね」
「あ―……、え―っと、もしかして言い忘れてたかな? 環さん、男性なんだよね」
私の言葉に、花音がゆっくりと首を傾け、目と口を大きく開ける。
声は出ていないが『はあ?』というフキダシが宙に浮かんでいそうな表情だ。
さらに、
「あんたねぇ――! なにがどうしたらそんな重要なこと忘れちゃうのよ!」
「だ、だって環さんも、自分のこと『僕』って言ってるし……」
「今どき僕っ娘くらい珍しくないでしょうよ! スーパー僕っ娘かと思ったわよ!」
――何よ、スーパー僕っ娘って……。
「いやぁ~、言ったつもりだったんだけど……勘違い?」
……なぁんて、ウソ。
あたりまえだけど、あえて隠すつもりじゃなければそんなこと忘れっこない。
私が足繁く通っている先のボスが二十歳のイケメン男子だなんて、そんな情報を先に渡したら花音のことだ、好奇心が爆発して何をしでかすか分からない。
……というのもあったけれど、それよりなにより、環さんが男性だと知った時の二人の反応を楽しみたい、っていうのが一番の理由。
ようやく落ち着いてきたのか、花音がソファの背もたれに身体を預けながら、
「でもまあ、不思議ではあったんだよねぇ……」と、大きく息を吐く。
「なにが?」
「ほら、あたしってイケメンが好きじゃん?」
「ほら、って言われても……」
「いつもだったら今日は、徹底的にあまねくん攻めに入るパターンなんだけど……」
勘弁してくれよ……と、後ろで零す周くん。
「それなのに、今日に限って環さんに意識が向いちゃったからさぁ……。自分でもなんでかな、って不思議だったんだけど、センサーが働いたのね、きっと」
「なんのセンサーよ?」
花音センサーのことはともかく、環さんが性別に関係なく、他人の意識を鷲掴みにするような引力を持っていることは確かだ。
さらに花音が、誰もが抱くであろう当然の疑問をあっさりと口に出す。
「なんで女性の格好なんてしてるんです? 環さん、男子のままなら、それこそモテモテのスーパーイケメンモデルですよね!?」
――うんうん! それは私も気になっていた。
正直、昔から知っている私ですら、女装したときの環さんは麗しすぎて男性だということを忘れそうになることがある。
かと言ってそれは、女装の方が似合っている、という意味じゃない。
私のもっとも古い記憶――四、五歳の頃に本家へ遊びに行ったときにはすでに、五歳年上の環さんは、隠れて母親の服を着て見せてくれたりしていた。
その頃から、大人用の服でも普通に着こなせるほど高身長だった環さん。
子供心にとても綺麗だと感嘆した記憶はあるけれど、なぜそんな格好をするのかまでは考えが及ばなかった。
物心がついてからは何度か尋ねたこともあったけれど、その度に上手くはぐらかされ、そのうちあまりしつこく訊くのも憚られるように感じて話題に出せなくなってしまっていた。
――花音の土足質問スキルが、まさかここで役に立つとは!
「ありがとう。……う~ん、特に理由はないんだけど、なんとなくかな。単純に女性物の服が好きってだけだけど、心は男性だから、安心して」
相変わらず答えになってるようでなってない曖昧な返答に、それでも、「なるほどぉ~」と、花音が深く頷く。
――え? 今ので納得したの!? もっと頑張れよ花音!
「まあ、いまどき女装子なんて普通だしね。中身が男性ならあたしは全然問題ないかな。むしろ、安心して接近できるぶん、これはこれでアリかも!」
「花音、あまねくんにだって接近してたじゃない……」
「そうそう、田舎暮らし憧れてたんです、あたし! ご両親との同居もOKです!」
――花音のやつ、何をアピってるんだ?
「あのぉ……、それで……その〝隠れ里〟というのは一体どういう所なんですか?」
逸れていきそうな話を戻すように、恐る恐る質問したのは手嶋さんだ。
普通なら〝神隠し〟や〝隠れ里〟なんてワードが出てきた時点で眉唾だと一笑に付されてもおかしくないところを、彼女はまじめな顔で聞き返してくる。
やはり手嶋さんも、花音と同じようなオカルト趣味があるのかな?
それとも、弟のことがあるだけに、たんに真剣味が違うだけ?
「隠れ里っていうのは、イメージしやすいように花音さんの言葉を引用しただけなんだけどね。僕たちはその場所を〝ミラージュワールド〟って呼んでる」
「ミラージュ……蜃気楼、ですか」
「うん。まあ、本来の蜃気楼の意味とはちょっと違うし、雪実さんの弟さんのケースがそれに該当するかどうか、現時点ではまだ分からないけれど……」
「かっこいい!」
再び、胸の前で両手を合わせる花音。
「雪実ちゃんの件はさておき、すごく興味ある! 〝蜃気楼の世界〟!」
再び、環さんの方へ身を乗り出すように背もたれから身体を離す花音。
でも、手嶋さんのことはさておいちゃダメでしょ……。
チラリと斜め上に走らせた環さんの視線に釣られて、私も壁時計を確認する。
――五時十五分か。
「時間は、大丈夫?」と、今日会ったばかりの女子高生二人を気遣う環さん。
「全然平気です! 最近は六時でも明るいし……ユッキーはどう?」
「ゆ……ユッキー??」
突然、呼び方を〝ユッキー〟に変えてきた花音にとまどう手嶋さん。
「あれ? 気に入らない?〝ユッキー〟と〝だいふくちゃん〟どっちがいい?」
「二択!? ユッキーで……いいです……」
あだ名が決まったところで、手嶋さんも環さんの方に向き直る。
「わ、私も……大丈夫です。門限もありませんし……」
「じゃあ、簡単に説明しようか」と、膝を組み直して両手で抱えながら、環さんがソファーへ深く身を沈める。
「少し話が逸れちゃうけど、世の中のあらゆる現象は、それを人間が観測しようがしまいが、結果は変わらないと思う?」
突然の環さんからの質問に、少し考えてからゆっくりと頷く手嶋さん。
それを見て花音も、コクコクと手嶋さんに倣う。
環さんが、にっこりと笑って説明を続ける。
「そうだね……観測という行為は現象の原因たり得ない……というのがかつての、いや、今現在でもそう考えてる人は多いと思う」
「それは、でも……普通のことですよね?」と、小首を傾げたのは手嶋さんだ。
「ところがね、この世の中には人間に観測されることで状態を変化させるものが、昔から存在してるんだよ」
それはここにもあるよ、といいながら、ぐるりと首を回す環さんに釣られて、花音と手嶋さんもキョロキョロと辺りを見回す。
「僕たちはそれを〝霊子〟って呼んでいる」
「僕たちはそれを〝霊子〟って呼んでいる」
「れいし?」
環さんが、手嶋さんから花音へ視線を移してゆっくり頷く。
〝僕たち〟というのは、私を含めたこの事務所の面々……というわけではなく、霊子に関わるすべての人たちを指しているんだろう。
「うん。原子一粒って世界の話だから、肉眼で見ることはできないのだけど」
「げんし……」
花音が、水でも掬うような手つきで、おわん型に重ねた両手の平を覗き込む。
――そんなことしても見えないでしょ、原子の粒は。
「観測される前の霊子は空間に広がる波の性質を持っているんだけど、人に観測されることで収縮し、ある一点で一つの粒子として確認されるんだよ」
「そういえば、同じような説明を聞いたことがあります。確か……量子?」
半分独り言のように呟いた手嶋さんに、人差し指を向けながら花音が可笑しそうに笑う。
「りょうし、って……バカじゃないのユッキー! いくら波がどうこうったって、海の話じゃないことくらいは、あたしにだってわかるよー!」
「バカは花音よ」
〝りょうし〟といっても漁師じゃない。
花音と私のやりとりに、周くんが俯いて肩を震わせている。
一方、穏やかに微笑みながら私を嗜めたのは環さん。
「雪実さんが言ったのは量子力学のことだね。女子高生で知ってる子は多くないだろうし、バカなんて言っちゃダメだよ、咲々芽さん」
「そ、そうだぞ、咲々芽! 友達に対してバカとか……酷いよ!」
「あんたが言う?」
私と花音はともかく、今日初めて話すようになった人からバカ呼ばわりされて、手嶋さんもさぞ戸惑っているだろう、と思いきや……。
そんなことには全く関心がなさそうに、環さんを食い入るように見つめたまま、
「その……霊子というのは量子と同じものなんですか?」
「それは、正直分からない。僕も物理学者ではないからね。ただ、耳にする一般教養レベルの知識によれば、かなり似た性質なのは確かだね」
「霊子と、さっき言っていた〝ミラージュワールド〟とは、どんな関連があるんですか?」
「うん……時間もないしくわしい話は端折らせてもらうけど、霊子が収縮してできた〝霊粒子〟こそが、ミラージュワールドへの入り口なんだよ」
正直、一般人が受け入れるにはあまにりも荒唐無稽な話だ。
どんなふうに受け止めていいのか……信じるべきか呆れるべきか、感情を持て余したような複雑な表情を手嶋さんが浮かべているのも無理はない。
でも、もともと一般常識や既成概念といった部分にいろいろと不具合を抱えている花音は例外だ。
「っていうことは、ユッキーの弟の部屋に、その……れいりゅうし? ミラージュワールドへの入り口が開いた、ってことですね!」
――ある意味、理解が早いなあ。
余計なことは一切考えない、オッカムの剃刀ならぬ、花音の剃刀だ。
「それは、実際に現場を調べてみないと分からないけれど……話を聞く限りでは、可能性がなくはないと思ってるよ」
「でも……」と、手嶋さんが再び、遠慮がちに口を開く。
「仮にそうだったとして、弟がその霊子というのを観測した、ということですか?」
「一般の人が霊子状態のものを観測するということは、まずあり得ないだろうね」
「では、どうやって霊粒子に……」
「実は、実際に観測をしなくても〝観測可能な状態〟になっただけで、霊子の状態は変化するんだ」
そういって、環さんがルージュを引いた唇の端をわずかに上げる。
薄い色であるにもかかわらず、鮮やかに紅が浮かび上がってくるような妖艶な微笑。
あれは、すでに何かを感じ取っているいるときの環さんの表情だ。
「でも、そんなんで霊粒子になっちゃうんじゃ、世の中隠れ里だらけにならない?」
花音が、同級生の中では大きさの目立つバストを下から持ち上げるように、腕組みをしながら宙を睨む。
意識的なのだろうけど……ちょっと、イラッとするポーズね。
「うん。だから、観測可能な状態といっても、それほど簡単に整う状況ではないよ」
「どんな時に観測可能になるんです?」
「まず、その場所が〝特異点〟であること」
「特異点?」と、花音だけじゃなく、手嶋さんも同じように首を傾げる。
「イメージ的には、川の淀みのように、霊子が留まりやすい場所というのがあちこちに存在しているんだよ」
「じゃ……じゃあ、ユッキーの弟の部屋がその特異点に――」
「それともう一つ……」
花音の言葉をさえぎるように、環さんが人差し指を立てて言葉を繋げる。
「特異点の近くで〝この世界とは別の場所に行きたい〟という強烈な意志が存在することが必要になってくる」
「強烈な……意志……」
「うん。実は霊子は、観測効果ほどではなくとも、人間の意志によっても状態が変化することがあるんだよ」
肉眼では無理でも、意志は人間であれば誰でもが持ち合わせいる。
その〝意志〟こそが、霊粒子を形成するトリガーになるのだ。
「つまり、特異点と意志……その二つが揃うことで、ミラージュワールドって場所に行けるようになるんですね!?」
「必ずではないけれど、そういう可能性もあるという――」
それじゃあ! ……と、手嶋さんが食い気味で質問を重ねる。
霊子の話になってから、呆れるどころか、むしろ前のめりになっているみたい。
「琢磨が――弟が、この世界から逃げ出したいと思っていた、ということですか!?」
「それは分からない。弟さん……琢磨くん? は、充実した毎日を送っていたようだけれど……心の奥底のことは、外からはうかがい知ることができないからね」
「そんな……」
「とにかく……」
環さんが組んだ脚を戻し、手嶋さんの方へわずかに身を乗り出す。
「琢磨くんの心の内を詮索する前に、まずは彼の部屋に特異点が存在するかどうか……そこからだよ。弟さんの部屋、見せてもらってもいいかな?」
「ハアァ――……」
「なによ? さっきから……」
ビルの階段を下りながらため息をつく花音の背中へ声をかける。
事務所を出てから三回目のため息だ。
「あ、ごめん、気になった?」
「……いいから話せば?」
最初の二回は放っておいたけど、これは私が聞き返すまでため息を続ける構ってちゃんモードだ。
まあ私は慣れてるからいいんだけど、花音と並んで歩く手嶋さんが、ため息のたびにチラチラと花音の方を気にしている。
内容はだいたい予想がつくし、面倒臭いけど……手嶋さんのために花音の相手してやるか。
「いやぁ……あまねくんと環さん、どっちも捨てがたいなぁ、って」
「今日会ったばかりなのに、さっそくそれですか?」
「善は急げ、って言うじゃない」
――善?
「捨てる方を決めるには、まず手に入れなきゃね?」
「それじゃあやっぱり、あまねくん狙いかぁ~」
私の皮肉に気付いた様子もなく、あっさりターゲットを絞った花音がさらに言葉を繋ぐ。
「環さんも素敵なんだけど、なんていうか……見てるだけでポワ~ン、って感じで、実際にどうこうって相手ではない気がするんだよねぇ」
「ポワ~ン、ねぇ……」
そうだったっけ?
手嶋さんの方はともかく、花音はかなり気さくに会話してた気がするけど。
「あまねくんはやっぱり、あのルックスのくせに年下でしょ? リアクションも可愛いし……お姉さんモード全開になっちゃうのよね!」
「っていうか花音、このまえ言ってたバイト先の彼はどうしたのよ? たしか……大学生だっけ?」
「あー……あいつねぇ……。あれはやめた!」
「なんでよ? なかなかカッコイイ、って言ってたじゃん。食事に誘われたんでしょ?」
「まあ、見た目はまあまあだったんだけどねぇ……。まだ付き合ってるわけでもないのに、食事のあとホテルに誘ってくんのよ!? どう思う?」
「あー……。んー……、私は、パスかなぁ」
「あたしだってパスよ! そんなに軽そうに見えるかな、あたし?」
「見えない……といったら、嘘になるけど」
「嘘かい!」
どうなの、ユッキー? と、今度は隣の手嶋さんに問い質す。
「あ、うん、えっと……真面目そうな気がします、意外と……」
「〝意外と〟は余計よ! こう見えてもあたし、まだ経験ないんだからね!」
それ以前に〝真面目〟とか言われてる時点で、百パーセントお世辞だろうけど。
雑居ビルの階段を下りきって通りへ出ると、花音が振り返って私を見る。
「っていうか咲々芽も、なかなかあたしを連れて来ないと思ったら、こんな秘密があったなんてさぁ……」
「秘密?」
「超絶イケメン二人に囲まれて逆ハーレム満喫してた、って秘密!」
「別に秘密でもないし……それに今日は、たまたまあまねくんもいたけど、普段から二人とも揃っているわけじゃないからね?」
「だとしても環さんはいるんだし……あまねくんだってちょくちょく顔は出すんでしょ? ウハウハなのは変わらないって」
「ウハウハっていったって……しょせん従兄妹だしね?」
「まあ、付き合ったり結婚したりってのは無理だとしても、それでもほら、あれだけのビジュアルなら、そばで眺めてるだけで血湧き肉躍るでしょ?」
「湧きも踊りもしねぇよ……」
――たまに出てくる変な言葉は、どこで覚えてるんだろ?
「……できますよ」
手嶋さんが、ボソッと呟く。
「「ん?」」
私と花音が同時に手嶋さんに注目すると、一瞬首をすくめるように視線を逸らしたあと、しかし、もう一度同じことを呟く。
「できますよ、結婚。いとこ同士でも」
「「そうなの!?」」
花音だけじゃなく、思わず私まで同時に聞き返す。
「法律では、四親等以上離れていれば、直系でない限り血族同士の結婚は認められていますから」
「四親等?」と、花音が首を傾げる。
「家系図をイメージすれば分かりやすいです。自分からスタートして両親が一親等、祖父母が二親等、叔父さん叔母さんが三親等……で、従兄妹は四親等」
「ママ、お婆ちゃん、叔母さん、あきらくん……。ほんとだ、四親等だ」
花音が指折り数えて確認する。
あきらくんというのは花音の従兄弟の名前だろう。
とはいえ、いとこ婚が法律上可能だということは私も初めて知った。
今まで、親族というだけで結婚はできないという先入観を持っていたけれど……周くんや環さんと、法律上は結婚することも可能なんだ!?
「じゃあやっぱり、咲々芽はライバルになりそうなあたしを遠ざけてた、ってことになるのね?」
「どうしてそうなるのよ! いとこ婚のことは私だってさっき初めて知ったんだから! 手嶋さんの話を聞いて、私だって一緒に驚いてたじゃない」
「そんなの、ほら……演技かもしれないし……」
「なんのためよ?」
「まあいいわ。今日であたしも一員になったし……バイト先も近いから、これからはちょくちょく寄らせてもらうからね」
――いつ、どのタイミングで一員に!?
「それにしてもユッキー……さっきの量子ナントカの話といい、何気に頭いいよね。なんでうちの高校なんかに来てんの!?」
「雑学と勉強は別ですし……」
雑学と勉強は別……確かにそうかもしれない。
そうかもしれないけれど、でも、家も裕福らしいし、もう少しまともな私立もあったんじゃないのかな?
やっぱり、花音じゃないけど、ちょっとちぐはぐな感じがはするよね。
「んじゃ、あたしたちは先帰るけど、咲々芽は、泊まっていくの?」
「そんなわけないでしょ! 明日、私も一緒に手嶋さんの家に行くことになったし……環さんたちと、ちょっと打ち合わせだけしたら帰るわよ」
「とりあえず、抜け駆けはなしだからね!」
そう言って私に人差し指を向けたあと、すぐにニコっと笑って「バイバイ!」と手を振る花音。
「今、春の変質者キャンペーン中だから、あまり遅くならないようにね、咲々芽」
「なによそのキャンペーン……。そっちこそ気をつけてね!」
時刻は午後六時前だが日没までに三十分ほどあるし、外はまだ十分に明るい。
路地を曲がる前に、もう一度振り向いて手を振る二人に、私も手を振り返してからビルの中へと戻る。
階段を上りながらスマートフォンを取り出して、〝いとこ 結婚〟とワード検索してみると……。
すぐに、手嶋さんがしていた説明と同じ内容の記載を発見することができた。
――ほんとに、できるんだ、結婚……。
カラン、と、心の中で音がする。
これまで、知らないうちに嵌められていた足かせが外されたような、そんな音だ。
いつまにか階段を上る足取りも、軽やかな駆け足に変わっていた。
事務所へ戻ると、小豆色のジャージに着替えた環さんが、所長席で夕飯に箸を伸ばそうとしているところだった。
周くんが用意したのだろう。デスクの上に並べられているのは、肉野菜炒め、コンソメスープ、焼き鮭の切り身と炊き込みご飯、といった献立。
「やあ、お帰り」
「お帰り……じゃないですよ! またそんな格好で、そんな所で!」
「こんな時間だし、もう依頼人もこないよ。もっとも、時間に関係なくここに依頼人が来ることなんてほとんどないんだけどね」
そう言ってクスクス笑いながら、環さんが肉野菜炒めをつまんで口に運ぶ。
「笑い事じゃないですよ。あまねくんがいなかったら、とっくにこの事務所だって引き払ってるところじゃないですか」
「そうだね~。あまねくんには感謝してるよ」
その周くんは、といえば――。
壁沿いに置かれた長机の上でノートパソコンを開き、何やらたくさんのグラフのようなものが表示された画面を眺めている。
「今週の成果はどうだったの、あまねくん?」と、食事をしながら環さんが尋ねる。
「…………」
「あまねくん? ……環さんが、今週の成果は?って訊いてるよ?」
「…………」
「あまねくん?」
「……ん? あ、あぁ……成果? まずまずかな」
画面から目を離さずに、あちこちクリックしながら周くんが答える。
何かに集中し始めると、他のことが耳に入らなくなるのはいつものことだ。
「ゴールデンウィーク中はマーケットも閉じるから、可能な限り余計なポジションは手仕舞って利確したんだけど……」
「りかく?」
「利益確定のこと。前に教えたじゃん」
「そうだっけ? そういう、株とかFXとか……私にはさっぱりだから」
何かを思い出したように、周くんが少しだけ首を回して私の方を流し見る。
「そういえば、咲々芽はいいの? 飯」
「あ、うん、大丈夫、家で用意してると思うから。ありがとう」
そっか、といって再びパソコンの画面に視線を戻す周くん。
「咲々芽も、今後も環に付き合うつもりなら、投資くらい覚えておかないと」
「私……数字とかダメなのよね……踊って見えるっていうか……」
「ミラージュワールドに入るときはあんな複雑な計算ができるんだから、トレードくらいすぐに覚えられるだろ」
「あれは別に、そういう能力ってだけで、私が計算してるわけじゃないし……」
「とりあえず今週は、為替は二十万くらいしかプラスにならなかったけど、株で数銘柄、上手く決算プレーがはまったから……」
そういいながら、周くんが金融資産管理と書かれた画面を開いてチェックする。
「税抜きでざっと、四百万くらいの利益だな。半分は再投資に回しても、家賃半年分くらいのキャッシュは残るだろ」
「うわ! すご……」
「ギリギリだったけど、なんとか追証は入れずに済んだ」
「おいしょう?」
「追加証拠金! 含み損が拡大したりして有価証券の評価額が下がると、追加で必要証拠金額を回復する必要が――」
だめだ……さっぱり分からない。
それを聞きながら、再び環さんが口を開く。
「資産運用はあくまでも、余剰資金でやっておいてね、あまねくん」
「やかましい! 環が競馬なんてしてなければもっと余裕があったはずなんだよ!」
周くんが、今度は首だけじゃなく、回転椅子を回して環さんに向き直る。
「とにかく、これからしばらく競馬禁止だからな!」
「えぇ~……。今日買ってきた競馬BOOK、どうすれば……」
「知らん。捨てろ」
会話だけ聞いてると、どっちがお兄さんか分からないな。
「あまねくんの方がそんなに調子よかったなら、わざわざクラスメイトを紹介する必要もなかったなぁ」
「いやいや、それは違うよ、咲々芽さん」
環さんが首を左右に振る。
「彼女の……雪実さんの依頼はあきらかに、警察よりも僕たち向きだからね。お金の件は抜きにしたって、ここに連れてきて正解だったと思うよ」
「ということは、やっぱり、特異点が?」
「うん。彼女の周囲の霊子に、明らかに不自然な〝ゆらぎ〟が見られたからね。あれは、長時間特異点のそばにいた人間に現れる特徴だ」
「手嶋さんにも〝ゆらぎ〟が……ということは、じきに?」
眉根を寄せた私をみて、環さんが柔らかな微笑を返してくれた。
「いや、まだ〝霊現体〟化するほどじゃないし、時間的な余裕はあるよ。ただ、何が起こるか分からないし急ぐに越したことはないけれど」
「そっか。とりあえず、よかった……」
ファントム――人間が長時間特異点のそばにい続けると、霊粒子の影響で人体そのものが特異点に似た性質……いわゆる、特異体質に変化することがある。
当然、大気中の霊子はその人体の周囲で淀みやすくなり、個人差もあるが、最悪の場合は精神にまで変調をきたす。
その状態になった者を、私たちはファントムと呼んでいる。
「明日は午後一時に訪問の約束だから……咲々芽さんのマンションに迎えにいくのは、正午頃でいいかな?」
「あ、うん、私はそれで、大丈夫……」
そういいながら、チラリと周くんの方を流し見る。
「俺も、いつでもいいよ。ゴールデンウィークは帰らないって、本家には言ってあるから」
「じゃあとりあえず、明日はそういうことで! 昼食はそれぞれ済ませておいてね」
それだけ言うと、再び環さんが食べかけの夕飯に箸を伸ばす。
打ち合わせなんて言いつつ、いつもながら適当だなぁ……。
「じゃあ私、そのへんを少し片付けてから帰りますね」
「ええ……!? 今食事中だし、埃が立っちゃうからもう少し待ってよ」
「私だって暇じゃないんですから……嫌なら隣の控え室で食べてください」
「控え室はほら……そうそう! このまえジュースをこぼして、床がペタペタしてるから……」
「そんなの、とっくに掃除しましたよ!」
言い訳にしても、ひどすぎる。
「でも、なんていうか、一人で食べてても、ちょっと寂しいでしょ?」
「……分かりました。五分待ちますから、急いで食べちゃってください」
「ありがとう! ……何分オーバーまでオッケー?」
「ゼロです! きっちり五分後に片付け開始です!」
残りの夕飯を急いで搔きこみ始める環さん……とはいっても、その所作は相変わらず、あくまで優雅。
環さんなりに多少スピードはアップしてるんだろうけど、一般人の感覚からすれば、とても急いでいるようには見えない。
ほんと、普段の環さんはゆるゆるというか……脱力させられちゃうのよね。
でも、そういうところに、母性本能がくすぐられちゃうんだろうなぁ……。
環さんの食事が終わると、目に付いた物だけを適当に片付け、一通り事務所の掃除を終わらせる。
無理に今日掃除する必要もなかったんだけど、放っておくと指数関数的にちらかっていくので、結局、後日苦労するのは私だ。
時間を確認すると、午後七時まであと十分少々――。
だいぶ遅くなっちゃったな。
家には遅くなると連絡は入れておいたけど、花音たちの話で時間を取られた分、予定よりもだいぶ押してしまった。
「すっかり暗くなっちゃったね」
ブラインドのスラットを、スラリとした長い指で押し広げながら環さんが呟く。
この時期の日没時間は六時二十分頃だ。
日が落ちてから三十分……窓の外はすっかり宵闇に包まれている。
「マンションも遠くないですし、大丈夫ですよ」
「いやいや、ダメダメ」
そういいながら、環さんが周くんの方を振り返る。
「あまねくん、適当なところで切り上げて、咲々芽さんと一緒に出られる?」
「ん? ああ……いつでもいいよ」
回転椅子を回して、ノートパソコンのモニターから私の方へ視線を移す周くん。
いくら背が高いとはいっても、中身は年下の中学三年生。いつも、弟と話すような感覚で気軽に接してはいるんだけど……。
あの切れ長のツリ目で見つめられると、年上男性から値踏みされているような気がして、やはり少しだけ緊張してしまう。
「だ、大丈夫ですよ。バイト帰りはこれくらいの時間になることも多いですし。あまねくんだって、明日の調整とか、いろいろあるんじゃないですか?」
「俺は、大丈夫だよ。PCさえあればどこでだって作業できるし」
それを聞いて環さんもにっこりと微笑む。
「だそうだよ? 大丈夫! あまねくんは僕と違って仕事はきちんとしてるから」
「いや、環さんもきちんとしてくださいよ……」
そんな私たちのやりとりをよそに、いつの間にか周くんがパソコンの電源を落としてリュックにしまい始めている。
私服だし、荷物も他には見当たらない。
ここへは一旦自宅に帰ってから来たのだろう。
さっさと帰り支度を整えると、「じゃ、行こっか」と、椅子から立ち上がる。
「う、うん……いいの?」
「ああ。いい加減俺も腹減ったし」
「あれ? そういえばあまねくん、自分の夕食は?」
周くんの代わりに、環さんがニコニコしながら、
「もしかしたら咲々芽さんも食べるかも、ってあまねくん、自分は食べなかったんだよ」
「そ、そうだったんだ……ごめん」
「べ、別にそんなんじゃねーよ! 俺は、作りながらちょくちょくつまんでたし……。咲々芽が食べなくても、明日の朝、環が食べればいいかなって……」
早口で言い訳する周くん。
――あれ? 照れてる?
頬が少し赤らんでいるように見えたので、よく見ようと下から覗き込むと、咳払いをしながら顔を背けられた。
――あらら? なんか、可愛いぞ!?
……と思わされたのも束の間、
「ほら! いくぞ!」
つっけんどんに言い捨てると、さっさとパーテーションの向こう側へ姿を消えてしまった。間を置かず、ドアベルがチリチリン、と鳴って外へ出ていく足音。
「ちょ、ちょっと待ってよ、あまねくん! 私、まだ用意してな……」
声をかけながら、慌てて私も荷物を取りまとめる。
「ごめんなさい環さん。まだ、流しに洗い物が……」
「ああ、いいよいいよ。そんなの僕がやっておくから」
……と言ってはいるけれど、やってくれた試しがないのよね。
「じゃあ、環さん、また明日!」
「うん、気をつけてね!」
ニコニコと手を振る環さんへの挨拶もそこそこに、急いで廊下に出る。
一瞬、階段の方へ向かいかけて、人の気配に振り返ると――。
階段とは反対側――入り口脇の壁に寄りかかりながら私を待っていた周くんの姿。
スマートフォンをポケットにしまいながら「おせぇよ」と、ディムグレイの瞳で私を見下ろしてくる。
「あまねくんがさっさと行っちゃうから!」
「待ってたじゃん」
「待つなら中でいいじゃん! せっかく見た目はいいんだし、あとは、もっとエスコートが上手くなれば女子にもモテると思うよ~」
……といっても中身は中三だしね。
今から女性の扱いなんかに長けてたら、それはそれで嫌味だけど。
「いいよ、女子なんて、めんどくせぇ」
「うわ……なに? 硬派厨? そんなのがモテるの、ラノベの中だけだよ?」
「なんだよそれ? ……なぁんか、苦手なんだよ。女となんて、これまであんまり接点なかったし、何を話していいか分かんないっつぅか……」
「環さんや、私だっていたじゃない」
「環は女じゃないだろ! 咲々芽だって……なんていうか……純粋に女、って感じじゃないし……」
「純粋な女でしょっ!」
ビルから通りへ出ると、二人で駅とは反対方向に向かう。
自宅のマンションは、電車なら一駅区間なのだが、駅から二十分ほど歩くため、直接徒歩で帰っても、帰宅時間はほとんど変わらない。
普通のペースで歩を進める周くんだけど、なにせ百八十センチ級の長身男子だ。百五十三センチ程度の私は、たまに小走りにならないとおいていかれそうになる。
そこまで気の回る人じゃなくたって、歩幅を合わせるくらいのことはすると思うんだけど……こういうところなんだよね、周くんに足りないのは。
「そういえばあまねくんとこは、中高一貫なんだよね」
「学校? うん、まあ……。でも、たぶん、高校は外部を受験すると思う」
「あ、そうなんだ。頭良いみたいだもんねぇ……高校は、レベル上げるの?」
「いや……う――んと……」
少し言い淀んで……。
「たぶん、咲々芽と同じとこ」
「は――あ!?」