「それで、いなくなったのは誰なんです?」
「あ……え!?」

 せっかく落ち着いてきていたのに、(たまき)さんに見つめられて再び舌をもつれさせる手嶋(てじま)さん。

咲々芽(ささめ)さんたちにどこまで聞いているのか分からないけれど、ここへ来たということはそういう相談なのでしょう?」

 ティーカップをテーブルに戻しながら、小さく頷く手嶋さん。
 あたしから話そっか? という花音(かのん)の親切ごかしな申し出に、「いえ、私から……」と、今度ははっきりと首を振る。

 花音は花音で、人の話を静かに聞いていることが苦手な女だし、どんな内容でもいいので、環さんとの会話のネタも欲しかったのだろう。
 手嶋さんに申し出を断られ、やや不満そうに尖らせた唇に紅茶を運んだ直後、

「アチッ!」といって慌ててカップを口から離す。
「紅茶、熱過ぎだよ咲々芽ぇ~。あたしバカ舌なんだよ!」
「猫舌でしょ」

 そんな花音のバカボケに、クスリと笑って少しリラックスできたのか、手嶋さんは一つ息を吐くと、ぽつりぽつりと語り始めた。

「消えたのは……私の弟です」

◇◇

「なるほど……」

 三十分後、手嶋さんの話を聞き終えた環さんが、目を瞑ったまま静かに頷く。
 合間合間に多少の質問は挟みながらも、基本的にはずっと静かに、そして興味深そうに話を聞いていた。

「ぶっはぁ――っ!」

 止まっていた呼吸が再開したかのように、花音がソファーの上で仰け反る。
 思いのほか真剣な環さんの様子を見て、さすがの花音も、手嶋さんが話している間はほとんど口を挟めずに耐えていたのだ。

「こんなに長い間、他人(ひと)の話を黙って聞いてるとか……苦行だよ、苦行!」
「三十分くらいで、大袈裟だなぁ」
「三十分沈黙の刑なんてもう……拷問といっても過言じゃないよ。DVで訴えたら勝てるんじゃない!?」
「勝てるか! 請求棄却だよ!」

――こいつは一体、どうやって授業を受けてるんだろう!?

 そんな私たちのくだらないやりとりを気に留める風でもなく、少しの間、何かを考えるように腕組みをしていた環さんだったけど……、

「うん、面白いね。調べてみる価値はあるかもしれない」

 そう言って冷めた紅茶を一気に飲み干したあと、ハッとしたように言葉を繋げる。

「あ、ごめんね、面白いなんて。不謹慎だったね」
「い、いえ、大丈夫です」
「雪実さんは、うちの事務所が失踪者専門で調査しているというのは聞いているのかな?」
「はい、少しですけど……」
「それじゃあ、失踪者の中でも、特に〝神隠し〟と呼ばれるようなケースについてのみ請け負っているということも?」
「か、神……い、いえ、そこまでは」と、手嶋さんが目を丸くしながら首を振る。

――まあ、当然だよね。

 いきなり〝神隠し〟なんていう言葉を聞かされても、常識的な思考を持ち合わせた現代人であれば、呆れて失笑するのが普通だろう。
 言葉に詰まった手嶋さんを見て、待ってましたとばかりに口を挟んだのは花音だ。

「神隠し……って言うと、あれですか? 隠れ里みたいなところに迷い込んで行方不明になっちゃう、みたいな?」
「そうだね。昔はそんな風に考えられていたし、現代でも同じような考えを持っている人だって、いないわけじゃない」

 花音の質問ににこやかに答えながら、環さんが斜め後ろを振り返る。
 その視線の先では、夕飯を作り終えた(あまね)くんがキッチン脇の柱に寄りかかり、私たちの話を聞いていた。
 もちろん、手嶋さんに了解を取ったうえでだけど。

「あまねくん。紅茶をもう一杯、頼めるかな?」
「うん」

 周くんが空のカップを受け取ってキッチンへ戻るのを見届けて、環さんが話を続ける。

「うちの実家は……ああ、実家があるのはN県S島の田舎なんだけれど、かなり名の知れた旧家で、代々特殊な能力を持った子供が生まれる家系でもあるんだ」
「特殊な能力……超能力みたいなものですか?」と、花音が小首を傾げる。
「うん、まあ、そう言っても差し支えはないかな」

 すごい! と、胸のまえで両手を合わせて感動する花音。

――これは、演技じゃないかな。

 実は花音、オカルト的な話題がもともと大好きで、以前から私もよく、UMAだのUFOだのという話を無理矢理聞かされたりしていた。
 そんな素地もあったので、環さんの話にすぐに食い付いてきたのはとくに不自然ではないのだけど……。

 意外だったのは手嶋さんの反応だ。

 超能力だの異能だのなんて話を聞かされれば『この人、大丈夫か?』と思われたりするのが世の常。
 しかし、手嶋さんも花音と同じように合掌して……とまでは言わないまでも、興味津々といった様子で身を乗り出し、環さんの話に聞き入っている。
 意外と彼女も、オタク系女子と言われるような人種なんだろうか?

「ということは、環さんにも、何か凄い能力が!?」
「う~ん……うちの家系ではそれほど珍しくもない能力だからね。凄い……かどうかはよく分からないけど……」

 そこへ、新しく紅茶を淹れたカップを持って周くんが戻ってくる。
 ありがとうと言って受け取ると、一口だけ飲んでカップをソーサーに戻し、テーブルに置く環さん。

 お茶を飲むだけの何気ない動作だけれど、とても(たお)やかで上品な動き。
 親戚とはいえ、分家の私はサラリーマン家庭で育ったコテコテの庶民だけど、本家の古めかしい因習のなかで育てられた環さんの所作には、本物の気品が漂っている。

 環さんが話を続ける。

「まあ、能力については機会があったらまた教えてあげるけれど……簡単にいうと、世間で言うところの〝隠れ里〟と、そこへの入り口を見つけること、かな」
「なるほどぉ~! アリ寄りのアリですね!」

 と、わけの分からないことを言いながら頷いているいけれど、花音のやつ、ちゃんと分かっているのかな?

「家系で……ということは、じゃあ、あまねくんにも何か特別な力が?」
「矢野森さん、鋭いね!」

 嬉しそうに微笑んで、環さんが説明を続ける。

「そうだね。もっとも、あまねくんとは母親が違うのだけれど」
「あ、そうなんですか」
「しかもこっちは、実家から追い出された身だからねぇ。家系とはいっても、今、正式に家の跡継ぎとして認められているのはあまねくんの方なんだよね」

 それを聞いて周くんも、

「追い出された、っていうより、環は自分から出ていったようなもんだろ」
「そんなことはないと思うけど……」
「親父だって世間体もあるし、本当なら環に継いで欲しかったんだよ。周りだってみんな、口には出さないけど、兄を差し置いてなんで弟が? って思ってるよ」

 突然、ガチャン! と音がして、テーブルの上にティーカップが転がる。
 幸い中身は空だったので紅茶が零れることはなかったが……。
 花音がソーサーの上にカップを戻そうとして、誤って手から滑り落としてしまったらしい。

「え……? 兄を差し置いて、って……ええっ!?」

 素っ頓狂な声を上げながら周くんと環さんを順に見やり、さらに、唖然とした視線を私に向ける。
 いや、今回ばかりは花音だけじゃなく、隣の手嶋さんも同じようなリアクション。

「あ~、え~っと、もしかして言い忘れてたかな? 環さん、男性なんだよね」