A川インターチェンジで高速を降り、さらに一般道を、南へ向かって三十分。
 風景は徐々に住宅街から工場地域へと変容し、最終的には東京湾を臨む湾岸地帯へと様変わりする。

 さらに海沿いを十分ほど走ったあと、私たちを乗せた黒いミニバンは広い湾岸道路を外れ、広大な海浜公園の中の一角で停止した。
 かなり幅のある鉄製のスライディングゲート前――門柱に掲げられた黒御影石(くろみかげいし)のプレートを、車内から花音(かのん)がゆっくりと読み上げる。

「特殊研究開発法人、あ、す、か、い、研究所……あ、飛鳥井(あすかい)!?」

 シートベルトを外しながら素っ頓狂な声を上げ、私の肩を叩いてくる。

「ちょっと咲々芽(ささめ)! 環さんたちと同じ苗字だよ!」
「うん。わかったから、ちょっと静かにしてて」

 入口と出口、それぞれのゲートを隔てるように建てられた詰め所から、警備員の格好をした年配の男性が出てきて、一人こちらへ向かって歩いてくるのが見える。
 表情は、穏やかだ。
 男性が軽く右手を上げて挨拶したのを見て、運転席の(たまき)さんもドアガラスを下げる。このゲートではよく見る男性だ。名前はたしか――

「高原さん、こんにちは」と、先に声をかけたのは環さん。
「やあ、こんにちは、環さん。またR棟かい?」

 そう言って車内を覗き込みながら「こんにちは、(ひいらぎ)さん」と、助手席の私にも声をかけてくる。
 さらに後部座席にも視線を走らせ……しかし今度は、少し驚いたように二、三度、目を(しばたた)かせた。

「環さん……この子たちは?」

 もちろん、花音と手嶋さんのことを尋ねているのだろう。相変わらず柔和な表情に見えるが、高原さんの(まと)う空気にわずかに緊張感が加わったのはすぐに分かった。さっきまでとは違い、目が笑っていない。

「この二人には、今日のオペレーションで少し手伝いをしてもらう予定なんです」
「まあ、R棟関連の人選については一任するように聞いてはいますが……あまねさんもいらっしゃるんですよね?」

 見知った三人(・・・・・・)だけならともかく、新顔がいるなら飛鳥井家の正当な後継者の承認が必要、ということだろう。
 最後尾――三列目のシートで一人、足を伸ばして横向きに座っていた(あまね)くんが、ヒョイっと顔を覗かせて高原さんへ声をかける。

「こんにちは高原さん。二人のことは僕も承知してますんで……大丈夫ですよ」
「そうですか。あまねさんがそうおっしゃるなら問題はありませんが……R棟へは?」と、高原さんが再び環さんへ視線を戻す。
「はい、すでに連絡はいれてますが、ゲート通過の報告はここからも入れておいてもらえると助かります」
「そうですか」

 と、ようやく安心したように、高原さんが再び相好を崩す。
 環さんたちの受け答えから、不審な点はないと判断できたのだろう。

「じゃあ、ゲスト用のIDカード、二枚もってきますんで、お二人のお名前をお聞きしてよろしですか?」

 車を離れ、ゲートの詰め所へ戻っていく高原さんの後ろ姿を見ながら、後部座席から花音が声をかけてくる。

「咲々芽ってば! なんでこの施設、環さんたちの苗字と同じ名前なのよ?」
「そりゃ、そういうことだからよ」
「そういう、こと?」
「環さん……というか、あまねくんの実家が出資して始めた研究施設だから」
「ひえぇ――……。施設って、それ全部、ってことよね?」

 花音が、ナビの画面に表示されたマップを指差す。
 海岸線にそって横たわる広大な臨海公園の中にぽっかりと空いた、ほぼ正方形の形をした空白地。
 まだまだ海までの距離を感じさせる、目の前の広大な防風林と見比べれば、マップに示された空白地の規模も相当な広さであることが分かる。

「昨日から本家だの跡継ぎだのなんて話をしてたから、もしやと思ってはいたけど……あまねくんの実家って、実はお金持ち?」
「まあ……そうね」

 実際は〝お金持ち〟なんていう俗な単語で言い表せるレベルではないんだろうけど……飛鳥井家がどれほどの財力を持ち合わせているのか、実のところ私にも見当がつかない。

「ほんと、なんでそういうこと、いろいろ内緒にするかなぁ」
「べつに内緒にしてたわけじゃないけど……花音のことだからもう、それくらいなんとなく感づいてるかと思ったわよ」
「なんとなく、ってのもなくはなかったけど……でも、ってことは、咲々芽だってその血縁の一人ってことになるんでしょ?」
「まあ、そうね。とはいっても分家だし母方だし、経済的な恩恵なんてまったくないと思うわよ」
「いや、お金のことっていうよりさ、そんな高貴な血族に咲々芽みたいな顔が生まれるとは思わないじゃん」
「じゃん、って……。私みたいな顔ってどんな顔よ?」
「どんな、って言われても難しいけど……なんだろ? 洗濯物、みたいな?」
「悪かったわね! 洗濯物で!」

 戻ってきた高原さんが、花音と手嶋さんの名前を登録したIDカードを二人に手渡す。同時に、ギギンギギンと音をたてながら、入口ゲートのフェンスがスライドし始めた。

 再び、ゆっくりと動き出す車。
 針葉樹林に囲われた常緑の視界が開け、平屋造りの研究棟(パビリオン)が立ち並ぶ白一色の無機質な空間が一気に展開する。

「うわぁ……」

 窓の外を眺めながら、思わず……といった様子で感嘆の吐息を漏らす花音。

「うちの近所に、こんな場所があったんだねぇ」
「春休みに行った、エーゲ海の景色を思い出します……」

 花音に続いて、さりげなく上流階級アピールをする手嶋さん。

「A棟、B棟、C棟――」

 パビリオンに掲げられた大きな青い文字を、花音が順に読み上げる。

「D棟……で最後が……あれ? なんで最後だけ〝R棟〟なの?」
「あれは〝restricted(制限された)〟のR。研究所内でも特別な権限を持った人しか入ることができないのよ」

 そんな私の説明に続けて、正面のR棟を眺めながら、今度は環さんが言葉を継ぐ。

「……もっとも、私たちは別の意味で使ってるけどね」
「別の意味、ですか?」
「あのRは〝REISHI(れいし)〟のR。あそこがこれから行く、別名〝霊子棟〟だよ」