応接室に入るとすぐ、手嶋さんがインターホンで誰かに連絡をとる。
 会話の内容から察するに、相手は先ほどの家政婦……佐藤悦子(さとうえつこ)さんのようだ。

洵子(じゅんこ)さん、すぐに来るそうなので掛けて待っていてください」

 手嶋さんに促されてソファに腰掛けようとしたが……ゆっくり歩きながら絵画を鑑賞している(たまき)さんに気付き、私も隣に立ってそれに(なら)った。
 壁に掛けられた三枚の絵画。どれも、一瞬写真かと勘違いをしてしまいそうなほど、精緻に描かれた女性の絵だ。

小渕泰晴(おぶちやすはる)……写実的な女性画を得意とする近代画家だよ」

 私に気付いて、環さんが口を開く。

「詳しいですね。本物……ですよね?」
「うん。別に、何千万とするような絵画ではないしね。継母(おかあ)さんの趣味かな?」

 環さんが、手嶋さんの方を振り向いて訊ねる。

「ああ、はい……そうだと思います。洵子さん、画廊の経営をしているので」

 手嶋さんのやや緊張した声を聞きながら、才色兼備のオフィスレディ然とした洵子さんの姿を思い出す。

 いかにも〝やり手〟って雰囲気の女性だったもんなぁ。
 でも、そんなジェンダーレスの旗手のような人が、女性の社会進出に否定的な立場だなんて、ありえるのかな?
 大変な思いもしてきたのだろうし、娘には同じ苦労を味わわせたくないとか……そういう発想? それにしたって、なんだかチグハグな気がするなあ。

 と、そこへ、窓際の仕切りドアが開いて奥から洵子さんが姿を現した。

「お待たせいたしました」
「いえいえ、全然待ってはいませんよ」

 環さんが洵子さんに向き直って微笑む。
 実際、私たちが応接室に入ってまだ五分も経っていない。

「こちらは、お継母(かあ)さまの趣味ですか?」

 絵画の一枚を指しながら環さんが訊ねる。

「え、ええ……。美術品などの購入に関しては、私が主人から一切を任されておりますので」
「『白いセーターの女性』……これは先日、小渕泰晴氏が他界された際、手元にあった作品をご遺族がオークションに出されたという中の一枚ですよね」
「は、はい、よくご存知で」

 驚いたように、わずかに眉を上げる洵子さん。

「たまたまニュースで見かけたので……。ネットオークション大手の〝KYOWAオークション〟を利用されたとかで少し話題になってました」
「は、はい。たしかにそれは、KYOWAのサイトで落札したものですが……それが、なにか?」

 あれ? 継母さん今、チラッと手嶋さんの方を見た?

「いえ、たまたまテレビで見かけた絵があったので、奇遇だなと思っただけです」

 そう言って、涼やかに微笑む環さん。
 四人で応接セットのソファーに腰掛けると、洵子さんがすぐに口火を切る。

「それで息子の……琢磨(たくま)のことは何か分かったんでしょうか?」
「はい。結果から言えば、琢磨くんの居場所を特定することは可能でしょう」
「ほ、本当ですか!」

 この環さんに言葉には、洵子さんだけでなく、その隣に座る手嶋さんも驚いて息を飲む。
 昨日からミラージュワールドの話を聞き、今日もそれに関連する事象はいろいろ確認されてはいたが、環さんの口からはっきりと見解を聞いたのは彼女にとっても今が初めてだ。

 廊下側のドアがノックされ、続いて家政婦の悦子さんが、トレイに四人分の紅茶を載せて入ってくる。
 テーブルの上に紅茶が並べられるあいだ一旦会話が止まったが、悦子さんが部屋を出るとすぐに、再び洵子さんが急き込むように口を開く。

「それで、その……それは、琢磨を連れ戻すことが出来る、と考えても?」
「最善は尽くします。但し、報酬はかなりの金額となりすよ」
「そう言ったお話も雪実(ゆきみ)さんから少し聞いていますが……私の自由に動かせるお金が今、口座に二億ほどございますが、それで足りますでしょうか?」

 二億!! 
 奥さんの口座だけで……二億!!
 単なるお小金持ちなんてレベルじゃないわね。学校ではまったく目立たない手嶋さんだけど、とんでもない上流階級のお嬢様じゃない!
 ……二億!!
 意味もなく緩みそうになる頬を隠すため、紅茶を口に運ぶが――

「ああ、いえいえ、さすがにそこまで必要はありません。一回の跳躍(リープ)で五十万円かける人数分ですから……報酬を含めても四百万程度ですね」

 と、涼しい表情で応対する環さん。
 彼も彼で〝飛鳥井家〟という謎の大富豪の家柄出身だ。数億程度の話で浮き足立つことなど、まずありえない。
 もっとも、そんなガバガバ金銭感覚のおかげで、事務所は万年金欠状態なのだけれど……。

「但し、一度で成功しなかった場合は複数回のリープが必要になることもあるので、その分経費は嵩みますが……それでも一千万円は超えないでしょう」
「あの、すいません……その〝リープ〟というのは?」
「詳しく説明すると長くなりますし、今回はうちの咲々芽(スタッフ)のご学友からの相談でもありましたので……成功報酬のみで構いません」
「なるほど……。着手金なしの代わりに、捜索方法の詳細についてはあまり詮索しないように……ということですか?」
「何か、問題でも?」

 環さんも環さんなら、洵子さんも洵子さんだ。
 商談の進み方はやはり、そこいらの一般人とはだいぶ違う。

「いえ、私たちにとっては琢磨が無事に戻ることが最優先ですから……。それが叶うのであれば、手段を問うつもりはありません」
「よかった。違法な方法ではありませんのでご安心下さい。もちろん、知られて困るという話でもないのですが、時間が惜しいので……」

 そう言ってようやく、一息ついたようにティーカップを口に運ぶ環さん。
 どうやら話はまとまったようだ。
 細かい報酬や内訳の確認をした様子はないけど、洵子さん的にも一千万で済むならとくに問題はない……ということ?
 エグゼクティブな商談というのはこいうものなのかな。逆にこっちが心配になるよ。
 ……っていうか、わたしがここにいる意味、あったのかな?

「ああ、そうそう、それと……」

 カップをテーブルに戻しながら、環さんが思い出したように口を開く。

「このあと別の場所へ移動するのですが、お嬢さん……雪実さんもお連れしてよろしいでしょうか?」