「雪実さん、それって、もしかして小説のプロット?」
手嶋さんが胸の前で、両手で隠すように握り締めたルーズリーフに目をやりながら、環さんが落ち着いた口調で訊ねる。
環さんが広げた瞬間、私の視界にもチラッと入ってきたその紙には、線や矢印で繋がれた楕円や菱形などの図形が見えた気がした。
以前、周くんがパソコンでプログラムを組むときに書いていたメモの形状に似ている。
たしかあれって……フローチャートってやつよね!?
少しの間、俯いて考えを巡らせているような様子の手嶋さんだったが、やがて覚悟を決めたようにフッと息を吐くと、ずれた眼鏡の位置をなおして口を開く。
「プロット……というほどのものでもないですけど、物語の大枠というか……おおまかな構成を考えていた時のメモです」
「なになに? ユッキー、小説なんて書いてんの!?」
環さんの向こう側から、手嶋さんを方を覗き込むように花音が訊ねる。
「あ、うん、その、書いてるっていうか……」
「すっごいじゃん!」
「……え?」
「だって、小説なんてあたし、読むものだとばっかり思ってたから。書く人がいるなんて思わなかったよ! もうあれだね、ユッキーは本の亡者だね!」
また得意気に鼻の穴を大きくする花音だが、その慣用句は初めて聞いた。
「も……亡者……」
「あ、気にしなくていいよ。たぶんあれ、褒め言葉だから」という私の説明に、少し戸惑いながらも「う、うん」と頷く手嶋さん。
「でもさぁ……」
腑に落ちない様子で小首を傾げる花音。
「なんで小説のこと、隠そうとしてたの?」
「え? いや、別に……隠そうとした、ってわけじゃ……」
「いや! あれは絶対隠そうとしてたよ! ねえ咲々芽!?」
私に振るなよ。
「ど、どうかな……まあ、そう言われればそんな風に見えなくもなかったけど……」
「隠そうとしたわけじゃないんだけど……小説書くなんて、なんか、イメージが暗いっていうか……」と、俯き加減でポツリポツリと手嶋さんが答える。
「なにいってんのよ! 大丈夫だよユッキー。小説を書こうが書くまいが、ユッキー、普通に暗いんだから気にすることないって。ねえ咲々芽!?」
だから私に振るなって。
っていうか、普通に暗いって……もっと酷いこと言ってない!?
「ま、まあ、暗いかどうかはさておいて、凄いと思うよ、小説なんて」
「……凄い?」
私の言葉に、手嶋さんが、足元へ落としていた視線をわずかに上げる。
「うんうん。だって、物語なんて私、全然思いつかないし……文章だって、なんだろ……小学生の作文みたいなのしか書けないもん……」
「ああ―……、咲々芽の作文はほんと読みづらいからねぇ」
小学生にも失礼だよ、と、花音が口を挟んでくる。
「ん? 花音に作文なんて見せたことあったっけ?」
「いっつも見てるじゃん、メッセで」
「メッセンジャーは作文じゃないよ! それに内容だって……ふ、普通でしょ?」
「普通じゃないよ。怒ってるときにイカのスタンプとか、センスおかしい」
「文章と関係ないしっ! ……っていうかあれ、タコだし!」
「どっちにしろおかしいってば」
「……私、友だちとうまくいってなかったんです」
脱線していく私と花音の会話に気付いていないかのように、焦点の合わない瞳でボーッと書棚を眺めながら、手嶋さんがポツリと呟いた。
「……え?」異口同音に聞き返す私と花音。
「中学校の頃。クラスでうまくいってなかった……というか、小説で関係を壊しちゃったっていうか……」
突然の手嶋さんのカミングアウトに、私も花音も――いや、環さんや周くんも、手嶋さんの次の言葉を待つように口を噤み、静に彼女を眺める。
◇
(あ――……どうして気付かなかったんだろ……)
歩道橋の階段を小走りで駆け上りながら、心の中で呟く雪実。
もう、先ほどから同じ言葉で何度も反芻している自問自答だ。
階段を上りきって橋板の上に立つと、国道を挟んで反対側にあるN第一中学校のグラウンドを見下ろすことができた。
まだ時間は午後四時過ぎ。部活動に励んでいる生徒たちの影が、グラウンドのあちこちで点々と動いている。
陸上部に所属している友達の顔を思い浮かべながら、あそこに見えるうちの何人かは自分のクラスメイトなんだろうな……と、少しだけ胸を撫で下ろす雪実。
少なくとも、部活動に参加している友人はまちがいなく教室にはいない。
今の彼女にとって、教室内に残っている生徒が確実に減っている……という証がそのまま、安堵の理由になっている。
橋板を小走りで渡り切ると、反対側の階段も急ぎ足で下りながら、一時間前――五限のホームルームのことを思い出していた――。
「それでは投票の結果、三年三組の文化祭の出し物はシンデレラのアレンジ演劇に決まりましたぁ」
学級委員の男子生徒が黒板に引かれた正の字をみながら述べると、パチ、パチと、まばらな拍手が教室内に響く。
「それでは続いて、脚本係りについて決めたいと思います。まず――」
立候補ありませんかぁ?……という学級委員の声をぼんやりと聞きながら、〝シンデレラ〟と書かれた黒板を眺める雪実。
アレンジ演劇――いわゆる、童話や古典をアレンジして演じるという出し物だ。
シンデレラは言わずと知れた、誰もが知っている超メジャーなグリム童話だ。しかし、演技力も底辺以下の中学生が演じたところでお寒い出し物になるだけだろう。
(原作だと、シンデレラの姉たちは最後に目玉をくり抜かれるのよね……)
と、原作童話についてまとめた本の内容を思い出すが、中学生の演劇でさすがにそんな残酷描写を取り入れるわけにもいかない。
原作の舞台となる十九世紀中ごろのフランス風王宮という設定では、衣装の問題もでてくるだろう。
(やっぱり、学園物にアレンジするのが一番無難かなぁ……)
ぼんやりそんなことを考えていると、不意に自分の名を呼ぶ学級委員の声に驚き、びくんと肩を弾ませる雪実。
(な……なに!?)
気が付くと、黒板にはクラスメイトの男子と女子一人ずつの名前。……と一緒に、雪実の名前が書き出されていた。
「では、脚本係は中村俊くん、林美和子さん、手嶋雪実さんの三人でいいですか?」
パチ、パチ、パチ……と、再び教室内に響く、まばらな拍手。
妄想の旅に出ている最中に、いつのまにか誰かの推薦を受けていたらしいと気付く。
(ええ? ……私が、脚本!? なんで!?)
手嶋さんが胸の前で、両手で隠すように握り締めたルーズリーフに目をやりながら、環さんが落ち着いた口調で訊ねる。
環さんが広げた瞬間、私の視界にもチラッと入ってきたその紙には、線や矢印で繋がれた楕円や菱形などの図形が見えた気がした。
以前、周くんがパソコンでプログラムを組むときに書いていたメモの形状に似ている。
たしかあれって……フローチャートってやつよね!?
少しの間、俯いて考えを巡らせているような様子の手嶋さんだったが、やがて覚悟を決めたようにフッと息を吐くと、ずれた眼鏡の位置をなおして口を開く。
「プロット……というほどのものでもないですけど、物語の大枠というか……おおまかな構成を考えていた時のメモです」
「なになに? ユッキー、小説なんて書いてんの!?」
環さんの向こう側から、手嶋さんを方を覗き込むように花音が訊ねる。
「あ、うん、その、書いてるっていうか……」
「すっごいじゃん!」
「……え?」
「だって、小説なんてあたし、読むものだとばっかり思ってたから。書く人がいるなんて思わなかったよ! もうあれだね、ユッキーは本の亡者だね!」
また得意気に鼻の穴を大きくする花音だが、その慣用句は初めて聞いた。
「も……亡者……」
「あ、気にしなくていいよ。たぶんあれ、褒め言葉だから」という私の説明に、少し戸惑いながらも「う、うん」と頷く手嶋さん。
「でもさぁ……」
腑に落ちない様子で小首を傾げる花音。
「なんで小説のこと、隠そうとしてたの?」
「え? いや、別に……隠そうとした、ってわけじゃ……」
「いや! あれは絶対隠そうとしてたよ! ねえ咲々芽!?」
私に振るなよ。
「ど、どうかな……まあ、そう言われればそんな風に見えなくもなかったけど……」
「隠そうとしたわけじゃないんだけど……小説書くなんて、なんか、イメージが暗いっていうか……」と、俯き加減でポツリポツリと手嶋さんが答える。
「なにいってんのよ! 大丈夫だよユッキー。小説を書こうが書くまいが、ユッキー、普通に暗いんだから気にすることないって。ねえ咲々芽!?」
だから私に振るなって。
っていうか、普通に暗いって……もっと酷いこと言ってない!?
「ま、まあ、暗いかどうかはさておいて、凄いと思うよ、小説なんて」
「……凄い?」
私の言葉に、手嶋さんが、足元へ落としていた視線をわずかに上げる。
「うんうん。だって、物語なんて私、全然思いつかないし……文章だって、なんだろ……小学生の作文みたいなのしか書けないもん……」
「ああ―……、咲々芽の作文はほんと読みづらいからねぇ」
小学生にも失礼だよ、と、花音が口を挟んでくる。
「ん? 花音に作文なんて見せたことあったっけ?」
「いっつも見てるじゃん、メッセで」
「メッセンジャーは作文じゃないよ! それに内容だって……ふ、普通でしょ?」
「普通じゃないよ。怒ってるときにイカのスタンプとか、センスおかしい」
「文章と関係ないしっ! ……っていうかあれ、タコだし!」
「どっちにしろおかしいってば」
「……私、友だちとうまくいってなかったんです」
脱線していく私と花音の会話に気付いていないかのように、焦点の合わない瞳でボーッと書棚を眺めながら、手嶋さんがポツリと呟いた。
「……え?」異口同音に聞き返す私と花音。
「中学校の頃。クラスでうまくいってなかった……というか、小説で関係を壊しちゃったっていうか……」
突然の手嶋さんのカミングアウトに、私も花音も――いや、環さんや周くんも、手嶋さんの次の言葉を待つように口を噤み、静に彼女を眺める。
◇
(あ――……どうして気付かなかったんだろ……)
歩道橋の階段を小走りで駆け上りながら、心の中で呟く雪実。
もう、先ほどから同じ言葉で何度も反芻している自問自答だ。
階段を上りきって橋板の上に立つと、国道を挟んで反対側にあるN第一中学校のグラウンドを見下ろすことができた。
まだ時間は午後四時過ぎ。部活動に励んでいる生徒たちの影が、グラウンドのあちこちで点々と動いている。
陸上部に所属している友達の顔を思い浮かべながら、あそこに見えるうちの何人かは自分のクラスメイトなんだろうな……と、少しだけ胸を撫で下ろす雪実。
少なくとも、部活動に参加している友人はまちがいなく教室にはいない。
今の彼女にとって、教室内に残っている生徒が確実に減っている……という証がそのまま、安堵の理由になっている。
橋板を小走りで渡り切ると、反対側の階段も急ぎ足で下りながら、一時間前――五限のホームルームのことを思い出していた――。
「それでは投票の結果、三年三組の文化祭の出し物はシンデレラのアレンジ演劇に決まりましたぁ」
学級委員の男子生徒が黒板に引かれた正の字をみながら述べると、パチ、パチと、まばらな拍手が教室内に響く。
「それでは続いて、脚本係りについて決めたいと思います。まず――」
立候補ありませんかぁ?……という学級委員の声をぼんやりと聞きながら、〝シンデレラ〟と書かれた黒板を眺める雪実。
アレンジ演劇――いわゆる、童話や古典をアレンジして演じるという出し物だ。
シンデレラは言わずと知れた、誰もが知っている超メジャーなグリム童話だ。しかし、演技力も底辺以下の中学生が演じたところでお寒い出し物になるだけだろう。
(原作だと、シンデレラの姉たちは最後に目玉をくり抜かれるのよね……)
と、原作童話についてまとめた本の内容を思い出すが、中学生の演劇でさすがにそんな残酷描写を取り入れるわけにもいかない。
原作の舞台となる十九世紀中ごろのフランス風王宮という設定では、衣装の問題もでてくるだろう。
(やっぱり、学園物にアレンジするのが一番無難かなぁ……)
ぼんやりそんなことを考えていると、不意に自分の名を呼ぶ学級委員の声に驚き、びくんと肩を弾ませる雪実。
(な……なに!?)
気が付くと、黒板にはクラスメイトの男子と女子一人ずつの名前。……と一緒に、雪実の名前が書き出されていた。
「では、脚本係は中村俊くん、林美和子さん、手嶋雪実さんの三人でいいですか?」
パチ、パチ、パチ……と、再び教室内に響く、まばらな拍手。
妄想の旅に出ている最中に、いつのまにか誰かの推薦を受けていたらしいと気付く。
(ええ? ……私が、脚本!? なんで!?)