そっとドアを開くと、締め切られたカーテンのせいで一瞬視界が暗転したが、すぐに目が慣れて室内の様子が確認できた。
 八畳ほどの室内は、ほとんど、手嶋(てじま)さんの弟――琢磨(たくま)くんが出ていった時のまま保持されているのだろう。

 テーブルの上には、無造作に置かれた漫画本や携帯ゲーム機。
 ベッドの布団は綺麗に整えられているが、上にはスクールバッグも残されたまま。
 床には、カラフルな色のハンドグリップや小型のダンベルが転がっているのが見える。

 部屋の隅に立てかけてあるのは……金属バットか。そういえば野球部だって言ってたっけ。
 片付いていない物も多少あるけど、年頃の男の子の部屋としては(おおむ)ね綺麗に使われている方かな? 
 もっとも、家政婦さんのいるような家だし、放っておいたって私の部屋のような惨状ににはならないか……。

 最後に入室した(あまね)くんが部屋のドアを閉めるとすぐに、リュックから集音マイクのような道具を取り出してノートパソコンに繋げる。
 正式には〝ハープーン〟と呼ばれている機器だけど、当然ながら私には、その仕組みはまったく分からない。

 先に入っていた(たまき)さんが右の壁際へ移動する。
 少しだけ前かがみになり、手の平でさするように壁の一部を撫でること数回。
 さらに周囲の壁を一瞥したあと、枝垂(しだ)れた長い黒髪をかき上げながら周くんの方を振り返る。

「あまねくん、ここの壁の中。アンカー(・・・・)
「了解」

 やっぱり……特異点だったんだ、この部屋!

 周くんがゆっくりと壁に近づき、ここでいいな?と、壁の一点をハープーンの先で指し示しながら、環さんに再確認する。
 ゆっくりと頷く環さんを見て、周くんがパソコンのキーを押すと〝プッ〟というビープ音がスピーカーから流れた。

「北緯三十五度XXXXX分、東経百四十度XXXXX分、アンカリング完了」

 パソコンのモニターに目を凝らしながら周くんが呟く。

「あったんですね……霊粒子」
「そうだね。咲々芽さんのクラスメイトがたまたま特異点に関わっていたというのは、本当にものすごい確率だけど……」
「それにしても、珍しいですよね、こんな場所に」
「壁の中?」
「ああ、いえ、それもそうですけど……二階という点です。琢磨くんがここからミラージュワールドに入ったっていうのは……」
「うん。間違いないだろうね」
「特異点もそうですし、人を飲み込むような霊粒子だって、普通は地表に近い場所にできますよね?」
「まあ、これまでの観測ではそういう結果はでているけど……例外もないわけではないし、霊子に関してはまだ分かっていないことも多いからね」

 そう言って微笑を浮かべた環さんが、再び周くんの方へ向き直る。

「ミラージュワールドとの相対距離は、出た?」
「ちょっと待って、もう少しで……ああ、でたでた」

 周くんが、ハープーンを取り外してリュックに戻しながら、モニターのバックライトで青白く照らされた顔を上げる。

「一.〇九リップルだ」
「そう、よかった。……あまり離れてはいないね」

 リップル……現界を〝一〟とした場合に、ミラージュワールドがどれくらい離れた波線上に形成されているかという数値……らしい。
 イメージとしては、水面に投げこんだ石を中心に広がる波紋に近い、と、周くんに以前説明されたことがある。
 どれだけ離れた波紋か、というのがミラージュワールドまでの距離で、原則として一以下はなく、その数値の二乗が、そのまま現界との相対時間になる。
 つまり――

「相対時間は一.一八八一」と、周くん。

 現界で一日が経過すると、え―っと……今回のミラージュワールドでは一日と約四・五時間が経過するということか。
 琢磨くんが行方不明になってから約二日半が経っているから、琢磨くんのいる世界では約三日が経過していることになるのね……。

 波線の位置によっては、相対時間が数倍に跳ね上がって一刻を争う事態になるが、これくらいのズレであればそこまで慌てる必要もない。

「霊粒子の活性度は、どうですか?」

 そうだね……と、環さんが再び壁に手を当てる。

「大丈夫、沈静化に向かってるし副霊子の逆流も見られない。場合によっては凍結処理も、と思ったけど、これなら大丈夫だね」
「じゃあ、二人を呼んでも?」

 環さんが頷くのを確認してから、ドアを開ける。

「中に入ってもいいわよ、二人とも」
「あー、やっとかー! 待たされ過ぎて(こけ)がむすかと思ったよぉ」

 廊下に座り込んでいた花音(かのん)が、私の顔を見てスッと立ち上がる。
 まだ、五分かそこらでしょ……。

「で、どうなのよ? 隠れ里への入口とやらは、あったの?」
「うん。やっぱり琢磨くん、ミラージュワールドに迷い込んだ可能性が高いわね」

 私の答えに、一瞬強張った表情を見せた手嶋さんの横で、よっしゃ!と、握り拳を固めた花音が、私の横をするりと抜けて部屋の中へ――。

「で、ユッキー……あれはどこ?」
「え――っと……ああ、そこに立てかけてあります」

 花音のあとを慌てて追いかけて、手嶋さんが部屋の一角を指差す。

「ああ、あったあった!……って、けっこう重いわね、これ」

 花音が掴んだのは……金属バット!?

「な、なに、あれ?」と、思わず目の前の手嶋さんの肩を叩く。
「あ、ああ、えっと……矢野森さん、何か武器になるものはないかって言うので、弟の部屋にバットがあるかも……って教えたんですけど……」

 一キロはないとしても、七、八百グラム程度はあるだろう。
 女子高生の細腕で振り回すにはなかなかの重さだ。

「で? ゲートはどこ!?」と、室内をきょろきょろと見回す花音。
「げ、ゲート!?」
「あるんでしょ? その……隠れ里みたいなとこに入ってく門だか穴だかみたいなものが。でもって、その先には恐竜がいたりして……」

 そこでようやく、花音が好きだと言ってた海外ドラマのことを思い出す。

花音(あんた)、プラ〇ミーバルの見すぎよ!」