「では、こちらへどうぞ……」

 そう言って先に歩き出した洵子さんの背中を、すぐに(たまき)さんの声が追いかける。

「その前に、差し支えなければ息子さん……琢磨(たくま)くんのお部屋を拝見してもよろしいですか?」
「え? あの……それは、えっと……」

 洵子さんが私たちの方を振り返り、少し戸惑ったように視線を泳がせる。

 まあ、それはそうよね。
 訪問した用件は概ね承知しているとはいっても、彼女から見れば私たちはまだ、どんな人物かも分からない、得体の知れない来訪者なわけで――。
 いきなり子供の部屋を見たいと言われても抵抗感はあるでしょうね。

 しかし、現場を見てみないことには私たちが手伝えるケースかどうかも分からないし、それを確認する前に交わす会話など、社交辞令以外にはない。
 大人中心のビジネスシーンではそれも重要かもしれないけど、私たちはまだ、そんな小間怠(こまだる)い手順を踏めるほど歳を取ってはいない。
 
「もしご心配なようであれば、お母様もお立会いいただいて……」

 洵子さんの戸惑いを感じてそう提案した環さんに、しかし、わずかに手嶋さんと目を合わせると、彼女もすぐに首を振る。

「いえ、大丈夫です。屋内の案内は雪実(ゆきみ)さんにお任せすることにしておりますから、どうぞご覧になってください」

 終ったら皆さんを応接間へ……と、小声で手嶋さんに伝え、洵子さんもすぐ横の扉の中へと姿を消した。

「こんな怪しげな四人をすぐに自由にさせてくれるなんて……神経質そうに見えたけど、意外と大らかなお母さんじゃない」

 そう言いながら花音(かのん)が、別の扉を勝手に開けて室内を物色し始める。
 自覚があるならまず、その怪しげな行動を(つつし)め!

「普通はお母さんも一緒に来るよね~」という花音の言葉に、先に勾配の緩やかな階段を上り初めていた手嶋さんが、つと足を止める。
「私は……母にあまり好かれてないんです」
「んん?」

 何の話だろう?
 真偽はさておき、話題としては少し唐突だ。

「ああ、いえ、その……家でもあまり顔を合わせないですし……」
「ま―、これだけ広けりゃ、なかなか出会えないこともあるでしょうよ」

 部屋の物色から戻ってきた花音が、さもありなんといった表情でコクコクと頷く。

「何LDKなの? ユッキーの家」
「十……三……LDK、だったかな?」
「じゅ、十三!? もうちょっとで一ダースになるよ!」

 花音(あんた)の一ダースはいくつだよ!?

「そういうんじゃなくて……たぶん、()けられてるんです、母に」

 前を向いたまま話す手嶋さんの表情がなんとなく想像できるような、少し寂しそうな背中。
 なに深刻になってんのよ―、と、花音がポンポンと手嶋さんの肩を叩く。

「きっとほら、弟さんの行方が分からなくなって、ナイーブになってんのよ、ユッキーも……」
「ほんと、そういうんじゃなくて……母は……」

 そう言いかけた手嶋さんの肩に、今度は環さんが、階段を上りながら手を置く。

「無理に話すことはないと思うよ、雪実さんも」

 自分を追い抜いて先に二階へ上っていく彼を目で追いながら、中指で眼鏡を上げ直した手嶋さんが、意を決したようにもう一度口を開いた。

「母は……洵子さんは、私の本当の母親ではありません」
「えっ……」と驚いたのは、花音だけでなく私も一緒だ。
「本当の母は、私が小学校三年の時に離婚して家を出ていきました。洵子さんはその後……私が五年生の時に、父と再婚した継母です」

 それだけ一気に言い終わると、手嶋さんが再び階段を上り始める。
 少し驚いたように振り向いていた環さんに追いつくと、「どうして分かったんですか?」と、不思議そうに質問した。

「う―ん……確信があった、というわけではないよ。ただ、なんとなくそんな気がしたという程度で……。有体(ありてい)に言うなら〝勘〟みたいなものかなぁ」
「勘……ですか」
「ただ、それだけでお母さんに(うと)んじられてると考えるのは、早計(そうけい)だと思うよ」
「はあ……」

 分かったような分からないような……(けむ)に巻くような環さんの答えに手嶋さんも小首を傾げるが、しかしそれ以上何かを質問することはなかった。

 環さんのああいった人間観察能力は、正直〝勘が鋭い〟なんて言葉で説明できるレベルを凌駕しているのは、付き合いの長い私や(あまね)くんなら知っている。
 恐らく、人の意志や感情にも反応する〝霊子〟を視認できる――〝観測者〟としての能力が関係しているのは間違いないんだろうけど……。

 でも、あまり詳しく訊ねたことはない。
 その内容如何(いかん)によっては環さんと普通に接することができなくなりそうだし、それは分かっているだろう環さんも、詳しく答えてはくれないだろう。
 とにかく、これまで問題なく過ごせているのだから、今のままで問題ない。

 再び、先頭に立って二階へ上っていく手嶋さんに、私たち四人も続く。
 階段を上りきるとすぐ目の前に、一階のリビングを見渡せるバルコニーのようなスペースが広がり、すぐ右に長い廊下が続いていた。

 パッと見たところ、廊下の両側には部屋の入口らしき扉が三枚ずつ。
 二階は合計六部屋かな?と思ったが、少し廊下を進むと、最奥の一つはトイレの扉であったようだ。
 さらにその先にも、入口にカーテンの付いた脱衣所らしきスペースが見える。奥には浴室もあるのだろう。

「ここが、弟の部屋です」

 廊下の中ほどで立ち止まった手嶋さんが、〝TAKUMA〟とプレートの付いた扉を手で指し示しながらこちらを振り返る。
 私のすぐ後ろで、パカンと、パソコンを開く音が聞こえた。
 左腕に載せたノートパソコンの画面を眺めながら、周くんが口を開く。

「手嶋さんと……あと矢野森(やのもり)さんも、一つ約束して」
「うん、約束するぅ―!」と、周くんに歩み寄る花音。

 せめて、聞いてからにしろよ約束……。

「先に俺たちが入るから、OKするまでは中に絶対に入ってこないで」

 俺たち、というのは周くんと環さん、そして私も含めた三人だ。
 普通なら他人の家で気軽に要請するような内容ではないんだろうけど……。
 理由は分からなくても、昨日、霊子の説明を受けている花音と手嶋さんは、それが必要なことであると推測はできるのだろう。周くんの言葉に二人が頷く。

「気をつけてね、あまねくぅん……」

 そう言って、腰に手を回してくる花音を()けるように、周くんが慌てて体を捻る。

「ばか、止めろ! パソコン持ってるんだから……危ねぇだろ!」
「なんで避けるのよ」
「避けるだろ普通! ……おい咲々芽! なんとかしろ、この女!」

 なんだろう、この既視感……。