終業のチャイムと同時に、パタンパタンと教科書を閉じる音が教室内に鳴り響く。
 机の上を片付けながら、さっそく閑談タイムに突入するクラスメイトたち。
 金曜日の放課後ともなると、その軽佻浮薄(けいちょうふはく)なボルテージは一層高くなる。

 初老の男性教師も、途中だった『大航海時代の幕開け』の説明を切り上げると、そそくさと教卓の上で教科書を閉じた。

「え~、次はぁ、二十一頁の、コロンブスとマゼランから再開します……」

 まだチャイムの鳴り終わらない中、そんな先生の言葉を聞いていたのも、私以外ではおそらく片手で数えられるほど。
 市内でも(ちゅう)()くらいの、あまり賢くない公立高校の普通科なんてどこもこんなものだろう。

 もっとも私だって、たまたま最前列――教卓の目の前の席なんかにされていなければ、先生のお座なりな次回予告なんて耳に入ってなかったと思うけど。

「さっさめぇ――!」

 いつものように私の名を呼びながら後ろから接近してくるふわふわポニーテールの少女は、矢野森花音(やのもり かのん)
 中学校時代からの親友――もとい、悪友だ。

「コロンブスかぁ……」と、私の肩に手を置きながら花音が呟く。

――片手で数えられるうちの一人が、意外にもここにいた!

 彫りが深く、くっきりと目鼻立ちの整った花音は、ぼんやりとした、いかにも日本人顔の私とは正反対。
 ちょっと前、それを羨ましいと漏らしたときは、自分のような派手顔はかえって化粧映えがしないのだとぼやいていたけれど……。

 化粧映えなんて、十四、五の女子が心配すること?

「花音、コロンブスなんて興味あるの?」
「いや、そんなんじゃないけどさぁ……。たまたま昨日、テレビでコロンブスの卵がどうとかって言ってたのを聞いて。それって、どんな卵かなぁ、って」
「あんた……コロンブスを怪鳥かなにかと勘違いしてない?」

 ざっくばらんに言うと、中学の頃から花音の学業スコアは非常に残念なことになっている。
 補欠合格とはいえここに入学できたのはスーパーの付くミラクルだ。
 中学を卒業できたことすら奇跡だったと言うのも本人談。

 もっとも、私自身もそんな花音と一緒の高校に通っていることを考えると、将来大丈夫なんだろうか? と、間接的に心配にはなるんだけれど……。

「ところで……」と、私は花音の隣で(うつむ)いている眼鏡の女生徒を指差す。

 前下がりボブヘアー――いわゆるおかっぱの、いかにも大人しそうな子だ。
 顔は知っているしクラスメイトで間違いはないけど……。

 名前が出てこないな。
 この子も目立つタイプではなさそうだし、私も、もともと人の名前を覚えるのは得意じゃないのよね。

「ああ、えっと、手嶋さんだよ、手嶋美雪さん! 美雪ちゃんでいいよ」と紹介したあとに、
「ごめんねぇ、咲々芽(ささめ)のやつ人の名前を覚えるのが苦手だから!」と、私を指差してクスクス笑いながら、手嶋さんとやらに話して聞かせる花音。

「……雪実」
「え?」
手嶋(てじま)……雪実(ゆきみ)です。私の名前……」
「あ……ああ……そうそう! ゆきみだよね、ゆきみ! 雪実だいふくちゃん!」

 と、もう一度手嶋さんの紹介をし直す花音。

――あんたの方がよっぽど失礼だわ!

「知ってるかもしれないけど、一応……柊咲々芽(ひいらぎささめ)。呼び捨てでいいよ」と、私も自己紹介する。
「あ、うん……よろしく、お願いします。柊……さん」

 呼び捨てでいい、と言ってるのに苗字にさん付けかぁ……。
 いきなり呼び捨ては無理でも、せめて『咲々芽さん』でいいと思うんだけど……こうなると私も、下の名前で呼びにくくなるのよね。
 私も人付き合いは上手い方じゃないから、なかなか打ち解けないタイプ、めんどくさくて苦手なんだよなぁ。

「雪実ちゃんとはさ、席が隣で最近話すようになったんだけど……」

 と、花音が話の続きを始める。
 およそ他人との壁というものがない、パーソナルスペースがゼロの花音。
 そんな彼女が隣の席の子と、ゴールデンウィーク前のこの時期になってようやく話すようになった……ということが逆に、驚くべき事実だ。

 えっと、私から話してもいいの? と、花音が手嶋さんに確認する。
 無遠慮に他人の心に上がりこんだうえ、平気で座り込むような花音にしてはなかなかの気の使いようだ。
 小さく顎を引く手嶋さんの反応を横目に、しかし、元々そうするつもりだったかのように躊躇なく花音が口を開く。

「実は雪実ちゃんの弟がね、昨日から行方不明になってるかもしれないのよ」
「行方不明!?」