秋は好きな季節だ。
世界が鮮やかな色を纏って、穢れたものや目にしたくないものを、平等に覆い隠してくれる。それに、落ち葉の匂いは落ち着く。あの土臭いけれども、鼻の奥でほんのり甘くなる独特な匂い。
それは、生きとし生けるものからすれば、厳しい冬に備えるために歓迎すべきもの。一帯がその匂いに包まれると、その中に存在している自分すら、誰かに必要とされているような気になるからだ。
今年も、山の木々は様々な色で自身を着飾っている。
ハラハラと舞い散る落ち葉を眺めて、ぼうっと日がな一日過ごす。
それが――神として人々を救うために生まれたはずの、俺の日常だった。
誰に言われたわけではない。生まれた時から、自分が特別であることは理解していた。同時に、小さな……それでいて、儚い命への慈愛も自覚していた。その中でも、特に人間を守らねば、という使命感がいつも心のどこかにあった。
神――。
そう、俺は神としてこの世に生まれ落ちたのだ。
俺を産み落としたのも、また神だった。家系図を遡れば、国産みをしたと言われている、伊邪那岐神と伊邪那美神にたどり着く。俺は……いや、俺たちは、この小さな島国に生きる人間たちを、ずっと見守ってきた。母神や父神がしてきたように、俺も彼らを守るのだ――そう思っていた。
神というものは、人々から信仰を集め、それを己が力として取り込む。だから、大きな社を持ち、たくさんの信者を抱えた神の力は強大だ。
この日本には、八百万の神という言葉があるくらいに、多くの神が存在する。けれど、信者の数は有限だ。神であっても、人々から信仰を集めるために努力するのは、当たり前だった。
その点で言えば、俺は非常に恵まれていると言えた。
『相手の望むものが理解できる能力』
それが、俺が生まれ持った力だったからだ。
人というものは、神に色々なことを望むものだ。それは、人という生き物の、弱さと欲深さからくるものなのだろう。そのこと自体は、多くの信者を必要とする神にとって高都合だった。願いを叶えてやれば、人は簡単に神を信じたからだ。
しかしどの神も、人が「本当に」望むものがなにかを知るのに、苦労しているようだった。人の価値観や心というものは、そんなに単純なものではない。的外れな叶え方をして、呪いだのと敬遠されてしまった神も多くいる。
けれど、俺はそんなことを気にする必要はない。
俺が人と相対する時、小さな囁き声が聞こえてくる。
それは、その人が心から望んでいるものだ。たとえば、寂しさを紛らわせるものだったり、心を満たすためのものだったり、空腹を紛らわせるためのものだったり、夢を叶えるためのものだったりする。人によって、聞こえてくる内容は様々だ。けれどもそれは、現在進行形で、その人が求めているものには違いない。
想像してみても欲しい。自分が望んだものを、思うがまま叶えてくれる神がいたとすれば、それはどの神よりも人の心を捉えて離さないのではないだろうか。
だから、俺には誰よりも偉大な神になる自信があった。
「きっと、俺の社は供物で満杯になるぞ。境内は信者で溢れ、いつも賑やかだ。どの供物も選び放題だな。祭も盛大に行わせよう。俺にはそれだけの力があるのだ」
当時の俺は、同じ神である友人に、得意げに語っていたのを覚えている。
けれども、ことはそう簡単にはいかなかった。
神として人の前に現界するやいなや、俺は躓いてしまったのだ。
「ひっ……! ば、化け物……‼ 命だけは、どうか命だけは……ッ‼」
「逃げろ、食われるぞ‼」
「化け物よ、ここはお前がいていい場所ではない。去れ、ここから立ち去れ‼」
俺は愕然とした。別になにをしたわけでもない。むしろ、自分から人間に寄り添おうとしたくらいだ。なのに、俺が姿を見せた途端、誰も彼もが泣きわめき、逃げ出してしまう。石を投げ、時には弓を射かけた。洞窟に封印しようとしたり、油をかけられて燃やされそうになったこともある。
――どうして。どうして、人は俺を恐れるのだ。
この姿がいけないのだろうか。初めはそう思った。だから、長い年月をかけて、人形に変化する術を覚えた。人が好むように、容姿に拘ってもみた。けれども、それも無駄だった。俺の存在そのものが、恐怖を駆り立てるらしい。
「朧よ、信者からこんな供物を貰ったのだ。これが大層美味くてな。これを、私の好物ということにしようと思う。そうすれば毎年貰えるだろう?」
誰からも、供物どころか心も預けて貰えない俺は、友が嬉しそうに語る様を、羨ましく思いながら眺めていた。
自身を好いてくれ、信じてくれる人から貰える供物とは、一体どんな味がするのだろう。きっと、筆舌に尽くしがたいほどの美味に違いない。
――……俺が人と相対する時、小さな囁き声が聞こえてくる。
現世に来る前は、真摯に願う人々の声ばかりが聞こえるのだろうと思っていた。
……なのに、なのに、なのに‼
『死にたくない死にたくない死にたくない』
――俺の耳に届く声は、いつだって悲鳴混じりの命乞いだった。
世界が鮮やかな色を纏って、穢れたものや目にしたくないものを、平等に覆い隠してくれる。それに、落ち葉の匂いは落ち着く。あの土臭いけれども、鼻の奥でほんのり甘くなる独特な匂い。
それは、生きとし生けるものからすれば、厳しい冬に備えるために歓迎すべきもの。一帯がその匂いに包まれると、その中に存在している自分すら、誰かに必要とされているような気になるからだ。
今年も、山の木々は様々な色で自身を着飾っている。
ハラハラと舞い散る落ち葉を眺めて、ぼうっと日がな一日過ごす。
それが――神として人々を救うために生まれたはずの、俺の日常だった。
誰に言われたわけではない。生まれた時から、自分が特別であることは理解していた。同時に、小さな……それでいて、儚い命への慈愛も自覚していた。その中でも、特に人間を守らねば、という使命感がいつも心のどこかにあった。
神――。
そう、俺は神としてこの世に生まれ落ちたのだ。
俺を産み落としたのも、また神だった。家系図を遡れば、国産みをしたと言われている、伊邪那岐神と伊邪那美神にたどり着く。俺は……いや、俺たちは、この小さな島国に生きる人間たちを、ずっと見守ってきた。母神や父神がしてきたように、俺も彼らを守るのだ――そう思っていた。
神というものは、人々から信仰を集め、それを己が力として取り込む。だから、大きな社を持ち、たくさんの信者を抱えた神の力は強大だ。
この日本には、八百万の神という言葉があるくらいに、多くの神が存在する。けれど、信者の数は有限だ。神であっても、人々から信仰を集めるために努力するのは、当たり前だった。
その点で言えば、俺は非常に恵まれていると言えた。
『相手の望むものが理解できる能力』
それが、俺が生まれ持った力だったからだ。
人というものは、神に色々なことを望むものだ。それは、人という生き物の、弱さと欲深さからくるものなのだろう。そのこと自体は、多くの信者を必要とする神にとって高都合だった。願いを叶えてやれば、人は簡単に神を信じたからだ。
しかしどの神も、人が「本当に」望むものがなにかを知るのに、苦労しているようだった。人の価値観や心というものは、そんなに単純なものではない。的外れな叶え方をして、呪いだのと敬遠されてしまった神も多くいる。
けれど、俺はそんなことを気にする必要はない。
俺が人と相対する時、小さな囁き声が聞こえてくる。
それは、その人が心から望んでいるものだ。たとえば、寂しさを紛らわせるものだったり、心を満たすためのものだったり、空腹を紛らわせるためのものだったり、夢を叶えるためのものだったりする。人によって、聞こえてくる内容は様々だ。けれどもそれは、現在進行形で、その人が求めているものには違いない。
想像してみても欲しい。自分が望んだものを、思うがまま叶えてくれる神がいたとすれば、それはどの神よりも人の心を捉えて離さないのではないだろうか。
だから、俺には誰よりも偉大な神になる自信があった。
「きっと、俺の社は供物で満杯になるぞ。境内は信者で溢れ、いつも賑やかだ。どの供物も選び放題だな。祭も盛大に行わせよう。俺にはそれだけの力があるのだ」
当時の俺は、同じ神である友人に、得意げに語っていたのを覚えている。
けれども、ことはそう簡単にはいかなかった。
神として人の前に現界するやいなや、俺は躓いてしまったのだ。
「ひっ……! ば、化け物……‼ 命だけは、どうか命だけは……ッ‼」
「逃げろ、食われるぞ‼」
「化け物よ、ここはお前がいていい場所ではない。去れ、ここから立ち去れ‼」
俺は愕然とした。別になにをしたわけでもない。むしろ、自分から人間に寄り添おうとしたくらいだ。なのに、俺が姿を見せた途端、誰も彼もが泣きわめき、逃げ出してしまう。石を投げ、時には弓を射かけた。洞窟に封印しようとしたり、油をかけられて燃やされそうになったこともある。
――どうして。どうして、人は俺を恐れるのだ。
この姿がいけないのだろうか。初めはそう思った。だから、長い年月をかけて、人形に変化する術を覚えた。人が好むように、容姿に拘ってもみた。けれども、それも無駄だった。俺の存在そのものが、恐怖を駆り立てるらしい。
「朧よ、信者からこんな供物を貰ったのだ。これが大層美味くてな。これを、私の好物ということにしようと思う。そうすれば毎年貰えるだろう?」
誰からも、供物どころか心も預けて貰えない俺は、友が嬉しそうに語る様を、羨ましく思いながら眺めていた。
自身を好いてくれ、信じてくれる人から貰える供物とは、一体どんな味がするのだろう。きっと、筆舌に尽くしがたいほどの美味に違いない。
――……俺が人と相対する時、小さな囁き声が聞こえてくる。
現世に来る前は、真摯に願う人々の声ばかりが聞こえるのだろうと思っていた。
……なのに、なのに、なのに‼
『死にたくない死にたくない死にたくない』
――俺の耳に届く声は、いつだって悲鳴混じりの命乞いだった。