「なーんだ。ハルか。あいつもヒマだよね」
ハルは一応生物部に所属してるはずなんだけど、ちっとも活動している気配はない。というか、生物部自体、何をしている部なのか、いまいち謎だ。
藤棚にたどり着いたハルは息をはずませて、じゃーん、と、ガチャガチャのカプセルを私たちに見せつけた。
「まさか、ついに出たの? 恐竜の歯」
「残念ながら」
ハルは首を振って、それから、にんまり笑った。
「だけど、いいのが出た。おまえらもテンション上がると思う」
カプセルの中身は、琥珀だった。
「わあっ……」
これって本物なんだろうか。ハルから受け取った石のかけらを、ためつすがめつ眺める。透明で、黄味がかったうす茶色で、陽に透かすときらきら光った。この前もらった直角石とは大違い。宝石の輝きだ。
「何かいる。虫?」
苑子がつぶやく。氷砂糖ほどのかけらの真ん中に、小さな小さな、こげ茶色の粒が見える。
「多分ね。めちゃくちゃラッキーだよ。虫入りの琥珀なんて」
ハルが得意げに鼻をふくらませた。本当に? 小さすぎてわかりづらいけど、言われてみれば、羽のようなものがついているような気が、しなくもない。
「ヤダ。虫とか」
「バカだな果歩は。すげーんだぞ。琥珀っつーのは樹脂の化石なんだけど、その中に生き物が閉じ込められて、当時の姿のまま、綺麗に保存されてんだよ。奇跡だろそれって」
「当時っていつよ」
「さあ……。数百万年とか、数千万年とか、それぐらい前じゃね?」
すうせん、まん。
苑子の小さなつぶやきが風に揺れた。藤の花房が、私たちの頭上で、さやさや音をたてる。
数千万年だなんて途方もなく長い時間、むしろ永遠にひとしい。
私たちは、そっと、琥珀をハルの手のひらの中へ戻した。
大昔、空を飛んでいた小さな虫。何の因果で、この時代の、日本の冴えない地方都市の、しかも中心部からはずれた山手の町に住む、男子中学生のもとへたどり着いたんだろう。そう思うとおかしくなって、少し笑った。ハルもつられて、ちょっとだけ笑った。
苑子は笑わなかった。
「ちょっと、怖くなるときって、ない? そういうの」
かわりに、そう言った。
「そういうのって?」
「数万年前とか、数億年前とか、地球が始まる前とか、宇宙が始まる前とか、そういう話」
「わかる」
ハルの声は、低くて、普段よりずっしり重く響いた。ハルが苑子のとなりに腰掛けると、苑子は一瞬、ビクッとからだを震わせて、そして、すぐに気を取り直したように、続けた。
「あのね。私。本当は、弟がいたんだって」
あまりに唐突な告白に、面食らってしまう。
「どういうこと?」
「ふたごだったらしいんだ。でも、弟の方はおなかの中で死んでしまって、私だけが無事に生まれてきたらしいの」
「それじゃあ……」
苑子のお母さんは、苑子と、すでに死んでしまった赤ちゃんと、両方を産んだってこと?
苑子はうなずく。長い黒髪がさらりと揺れる。
「お母さんのおなかの中で、ずっと一緒にいたはずの弟が死んじゃって、生まれてこなかった弟はどこに行っちゃったんだろうって、ずっと不思議で」
はじめて聞いた。苑子が生まれたとき、苑子のお母さんは、喜びと、そして、悲しみを、同時に味わったんだ。
私には、とても、想像できない。
「誕生日が来るたびに、弟のことを考えるんだ、私。多分、お母さんも、お父さんも、そうだと思う」
四月の午後の陽は、やわらかく傾き始めている。藤の花のにおいが、急に、濃く深くなったように感じて。訪れた沈黙が、怖くなってしまって、
「でも、その話と、宇宙の始まりとか、そういうのが怖いって話。どうつながるの?」
私はつとめて明るい声を出した。苑子は少し考えて、首を横に振った。
「うまく説明できない。でも……」
「俺はわかるな」
言い淀んだ苑子の言葉を継ぐように、ハルが言った。それまでずっと黙って、私たちの会話を聞いていたハル。苑子は顔を上げてハルを見つめた。
「わかる。つながってる」
妙にきっぱりと言い放つハルに、苑子はほっと表情をゆるめた。
「私は、わかんない。ふたりが何を言ってるのか」
拗ねているみたいな言い方になる。苑子の一番深いところを理解できるのは、私じゃなくてハルなんだ。咄嗟に、そう思ってしまったから。
それよりさ、と、ハルは続ける。私の子どもっぽいやきもちは、「それより」のひと言で、簡単に片づけられてしまった。
「明日、新月だろ?」
「だから何? ていうか知らないし」
ばかハル。
「夜。月見神社、行ってみない?」
「はあ?」
突拍子もない提案に、私は眉をひそめた。
団地近くの息吹が丘公園の裏手に、鬱蒼とした森があって、木々の間を裂くように長い石段が続き、上りきったところに社がある。そこが月見神社。
社の、さらに奥に進めば、清い水が湧く小さな泉があって、ほたる池、と呼ばれている。ほたるが飛ぶなんて話は聞いたことないけど、昔はいたのかもしれない。
「ほたる池が、あっちの世界とつながってるらしいって噂。知らない?」
ハルが声をひそめた。その目が、好奇心でらんらんと輝いてる。
「あっちの世界って、あの世ってこと?」
ハルはゆっくりとうなずいた。ばかばかしい。
「ほんと好きだよね、ハルって。うさんくさい都市伝説とか、そのテの話」
小さいころは、よくひとりでUFO探してたっけ。
神社の噂に関しては、私も、ちらっと聞いたことはある。
新月の夜。午前零時ちょうどに、「あっちの世界」とのチャンネルがつながって、死者を呼び出すことができる、とか何とか。月見神社は、神(かん)主(ぬし)さんもいない、参(さん)拝(ぱい)するひともほとんどいない、ただ古いだけの小さな神社で、だからこそ、こういう怪しげな噂が、あぶくのように現れるのだと思う。
「まさかとは思うけど、信じてんの?」
ハルは首を横に振った。
「さすがに、まるきり信じてるわけじゃねーけど」
「真夜中でしょ? 怖くない?」
「大丈夫だって。いざとなれば俺が守るし」
ハルはそう言って、黙り込んでいる苑子に、にっ、と、笑いかけてみせた。
「なーにが『俺が守る』よ。あんたがいるから不安なんでしょ」
「どういうイミだよ、それ」
とはいえ、小さいころ、苑子が男子に追い回されていたのをハルがいつもかばっていたことはしっかり記憶に焼きついている。でも。「俺が守る」とか、そんなセリフを無邪気に言い放たれると、どうにもこそばゆい。
「……私、行ってみたい」
かぼそい声が、そう、つぶやいた。苑子だ。
「え?」
「行きたい。弟に、会いたい」
今度は、きっぱりと。芯のある声で、苑子はそう言った。
「でも。単なる噂だし、絶対会えるってわけじゃ……」
というか、会えるわけがない。
なのに、渋る私の手を、苑子はつかんだ。その頬が、ばら色に染まっている。
「会えないかもしれないけど。行ってみようよ、三人で。真夜中だよ? こっそり、団地を抜け出して、森の中に行くんだよ?」
「だろ? 面白そうだよな。そうこなくちゃ」
言い出しっぺのハルが、待ってましたとばかりに、乗っかった。私はため息をついた。
しょうがないな、という態度をとってみせたけど。
ほんとは、私も。少し、胸の奥が騒ぎ始めていた。