苑子の好きなひとは誰だろう。
 いっこうに、苑子が私に打ち明けてくれることはなかった。ただ、頬杖をついてぼんやりして、私が話しかけても気づかなかったり、休み時間のたびにトイレに行って髪を整えたり、そんなことが増えた。
「晴海ーっ。数学の宿題見せてよーっ」
 明るくてよく通る声が、まったりとあたたかい昼休みの教室に響く。
 となりのクラスの杉崎亮司くんだ。バスケ部のエースで、次期キャプテンとか言われているひと。すっきり爽やかで、笑うとえくぼができて、常に注目を浴びている。当然、すごくもてる。私はそういうのに興味はないけど、それでも、杉崎くんの八重歯は、ちょっとかわいいかなって思わなくもない。
 杉崎くんは最近、昼休みのたびにうちのクラスに来て、ハルにちょっかいを出す。
 ハルの席は苑子の席のとなりで、私は休み時間はいつも苑子のそばの椅子に座っておしゃべりしているから、杉崎くんたちのやり取りはばっちり目に入る。
「んだよ、またかよ。たまには自分でやってこいよ」
 ハルが「しょうがねーな」と言いたげに、杉崎くんにノートを投げてよこす。
「ごめん。だってハルの答え完璧なんだもん」
 杉崎くんは笑いながらハルの背中をぽんと叩く。
「ぜんっぜん勉強してなさそうなのにすげーよな?」
「勉強しなくても、数学はパズルみたいなもんだし」
「言ってみたいよ、そういうセリフ」
 明るくふざけながら、杉崎くんは、苑子のことを、ちらりと見た。
 ほんの、一瞬。
 だけど、その〝一瞬〟が、何度も何度も訪れるのだ。
 恋愛方面に疎い私でも、さすがに気づく。杉崎くんは、苑子に会いたくて、ハルのところに来るのだ、と。それぐらい、杉崎くんの〝視線攻撃〟はあからさまで、苑子はどうなんだろう、と、こっそり親友を観察してみれば、赤い顔をして、どうにも居心地が悪そうに縮こまっている。
 杉崎くんなのかな、と思った。そのときは。苑子の、想いの矢印の、先にあるひと。
 その日の帰り道、聞き出そうと思っていた。だけどきっかけがつかめないまま、いつものようにオガワでお菓子とジュースを買い、嫌味な数学教師の悪口を言いながら、長い坂道を上った。
 団地の敷地内の小道を歩く。
道路側はけやきの並木、駐輪場、反対側の道沿いにはあじさいがずらりと植え込まれ、その葉をこんもりと茂らせている。その奥にA棟がある。敷地に勾配があるから、A棟の奥にB棟、C棟、D棟、E棟……、と、段々畑のように連なって見える。奥の棟へ行く小道にも、ゆるやかな傾斜がついている。
 案内板の脇にも、あじさい。
 敷地内には、遊具のある小さな公園があって。その公園と集会所の間に、藤棚がある。その下のベンチは、今日は空いている。ラッキー。今、ちょうど花盛りだから、ここは、いつも誰か――お年寄りとか、公園で子どもを遊ばせている若いママたちとか――に、占領されているのだ。
 うすむらさき色の藤の花が、風を受けてはらはら散っている。
 苑子と私はとなり合って座り、さっき買ったジュースのペットボトルを開けた。
 ひと口、飲んでから。私は切り出した。
「ずっと気になってたんだけど、苑子の好きなひとって、す」
 杉崎くん、の、す、まで言ったところで、苑子はふっと立ち上がった。その視線の先をたどれば、うすい背中を丸めて駆けてくるハルがいた。