放課後、苑子と連れ立って校舎を出たときには、空は厚い雲で覆われていた。
「やばい。雨降るかなあ。私、今日、傘忘れたんだよね」
「私は持ってるよ」
 苑子が自分の傘を得意げに掲げた。真っ青な、傘。
「それ、はじめて見る」
「下ろしたてなんだ。はっとするほど青いでしょ? ひと目見て、気に入っちゃって」
 わりと大きいから、相合傘も余裕だよ、と、苑子は笑う。
 今日は遠回りして帰る。苑子の、レターセットを買いに行くのだ。
 空気はぬるく湿っていて、歩いているからだにまとわりついてきて不快だ。
 郵便局の裏手にある小さな文具店は、店自体は古いけど、今の若い店主に代替わりしてから、品揃えがおしゃれになった。だけど、紙やインクのにおいが満ちているところは昔と同じで、なんだかほっとしてしまう。
 苑子が手に取るのは、やっぱり、青系統の色ばかり。
「ねえねえ。これかわいくない? 水玉模様だけど、よーく見たら、しずくのかたちが混じってるんだよ」
 苑子は目をきらきらさせて、私の袖を引く。
「かわいいけどさー。どうせハルに渡すんでしょ? あいつ、レターセットのデザインなんて見ないって、絶対」
 それに、わざわざ新しく買わなくたって、手紙好きの苑子はかわいい便箋も封筒もたくさん持っているのだ。私にちょっとしたことを書いて渡してくれるメモ用紙すら、愛らしい。
「そうかもしれないけど」
 苑子はほっぺたをふくらませた。
「だってラブレターだもん。勇気振り絞るんだもん。一生一度の大告白だもん。気合入っちゃうよ」
「一生一度って、そんな大袈裟な。これからずーっと、大人になっても、ハルとしかつき合わないつもり?」
「そうだけど?」
 苑子は首をかしげた。
「もし、ハルくんがオッケーしてくれたら、だけど。できれば、一生、ハルくんのそばにいたいなって」
「わわっ。結婚する気なの? もう、そんなこと考えてんの?」
「へん? ……ていうか、重い、かな」
 それは……。そんなのわかんないけど、と、私はもごもごと口ごもった。
「あっ。これ、素敵」
 いきなり苑子のテンションが跳ね上がった。手にしているのは、淡いブルーの、シンプルなレターセット。
「普通じゃん」
「よく見て。ところどころ、銀色で、三日月や星たちが型押しされてるでしょ。きらきらしてるけど、さりげなくって。こういうの、好きだなあ」
「私はしずく水玉の方が好きだけど」
 一応、そう言ってみたけど、苑子は、もう迷わなかった。ひと目ぼれしたレターセットを手にレジへ向かう。これと決めたらその意志は揺るがないのだ。見た目も雰囲気も儚げで、話し方もおっとりしてるけど、中身は違う。一本芯が通ってるというより、固い固い石が詰まってるんじゃないかとさえ思う。こんなふうに、苑子の買い物に付き添ってアドバイスしても、結局私の意見が通ったことはない。
 お店を出たとたん、ぽつぽつと、雨が降り出した。苑子は傘を開いた。ぱんっ、と、気持ちのいい音が響く。
「どうぞ」
「ありがとう」
 苑子が差しかけてくれた傘に入る。青。鮮やかな。目の覚めるような。まじりけのない青の中に、苑子とふたり。
 まばらな雨が傘を叩く音が響く。
 私は苑子に、前から不思議に思っていたことを、聞いた。
「どうして急に、ハルに告白しようだなんて思ったの?」
 苑子の、透き通るようなきめ細かい肌が、青を反射している。美しく、反射している。
 焦っちゃったんだ、と、苑子は言った。
「このままじゃ、誰かに取られるかもって思ったら、いても立ってもいられなくなった」
「誰も取らないってば。そんな物好き、苑子ぐらいじゃない?」
 冗談めかして、あははと笑ってみせる。だけど苑子は笑わない。
「……そうかな。ほんとにそう思う?」
 苑子の声はかぼそくて、消え入りそうだった。
 粒の大きな雨は次第に勢いを増してきて、これ以上ひどくならないうちにと、ふたりで身を寄せ合って家路を急ぐ。苑子の華奢なからだが触れる。熱を持っていた。苑子の中にある、固い固い石のようなもの。芯、が。燃えている。
 団地のあじさいが咲き始めている。青みがかった紫のグラデーションが、雨のしずくをまとって艶めいている。
 苑子は、E棟までついてきてくれた。雨のせいで空気が冷えて、制服も濡れたせいか、なんだか肌寒い。
 互いに「ばいばい」を交わしたあと。去ろうとしていた苑子が、ふいに、振り返った。
「あのね果歩ちゃん。私、本気だから。本当に、手紙、ハルくんに渡すから。止めるなら今だからね?」
「何言って……」
 戸惑う私に、苑子は、ふふっ、とほほ笑んだ。艶やかな黒髪は雨でしっとり濡れて、白い頬には赤みが差していて。あまりにも完璧に美しくて、まるで天使か、妖精か、あるいは女神か。大袈裟じゃなく、私はその一瞬、本気でそう感じていた。
 苑子は、どんどん綺麗になっていく。