校舎のぐるりに植えられた桜は、もうすっかり新しい葉を茂らせて、風にそよいで揺れていた。吹奏楽部のロングトーンの音が響いている。
 私と苑子は、まっすぐ帰ることもせず、音楽室や図書室のある別館裏の、非常階段に座っている。
「ここに、呼び出されたの」
「ふうん……」
 勇気あるな、と思った。杉崎くんが、だ。苑子にひそかな想いを寄せる男子は、これまでもいたけど、実際に告白したのは、杉崎くんがはじめてだ。
 すん、と、苑子が洟をすすった。
 どうして苑子が泣きそうになっているのか、わからない。パニックになると、涙が勝手に出てくるものなんだろうか。杉崎くんが自分に気があることに、まったく気づいていないわけでもなかっただろうに。
「杉崎くんって、ハルくんと、仲いいじゃない?」
「うん」
 杉崎くんに限らず、ハルは男子にもてる。もてる、という言い方は適切じゃないかもしれないけど、他に言いようがない。休み時間、ハルのまわりにはいつも誰かしらがいて、ちょっかいを出したり話しかけたりしている。ハルは、ふざけて乱暴なことをしたり、ひとの悪口を言ったりしないし、わりと優しいというか、ひとがいいから、好かれるのはわかる。
 苑子は、抱えたひざに、小さな顎をうずめた。
「じゃあ、ハルくんも知ってたのかなって。杉崎くんが、その、私のことを」
「さあ、それはどうだろう。そもそも男子って、誰が好きとか、そういう話、するのかなあ?」
 百歩譲って、男子(というか、杉崎くん)も恋バナをするとしても。ハルに相談したところで、得られるものはないと思う。
「そっか、そうだよね」
 苑子は顔を上げて、浮かびかけていた涙を指で拭った。
「心配になったんだ? ハルが、杉崎くんに協力してたんじゃないか、って」
 長い、長い。間が、あった。
 苑子は顔を赤くして、長い髪を揺らして、こくりと、うなずいた。
「どうしてハルくんなのかわからない。いつの間にか、ハルくんばかり見るようになってて、私。ひょっとしてこれが、……って、思ったら、もう、止められなくなった」
 自分の、気持ちを。
 そう、苑子は続けた。
「ごめんね果歩ちゃん。もっと早く打ち明けたかったけど、どうしても恥ずかしくて」
「何で謝るの? べつに、親友だからって、何でもかんでも打ち明け合わなきゃいけないって決まりはないじゃん」
 苑子の細い肩に、そっと手を置く。そだね、と、小さく言って、苑子は笑った。
 あのね果歩ちゃん、と、苑子は制服のポケットから、小さな巾着袋を取り出した。
「何?」
「もらったの。ハルくんに」
 巾着袋に入っていたのは、琥珀。
 化石ガチャガチャで、ハルが当てた、数千万年前の虫を閉じ込めた、透き通った石。
「この前、神社の泉に行ったじゃない、三人で」
 団地をこっそり抜け出した、新月の夜。またたきながら、ふわふわ漂うほたるの光。
「次の日の夕方にね、ハルくんがうちに来て。これ、やる、って言って。そのまま、ダッシュで帰ってった」
 苑子は、私の手のひらにある、小さな樹脂の化石を、人差し指でつついた。いとおしそうに、目を細めて。
「びっくりした。けど……。私の、宝物」
 ふうん。
 琥珀を、苑子の手の中へ押し戻す。私なんかが触れていちゃいけない気がした。
 杉崎くんに呼び出された苑子の机の上、置き去りにされた文庫本を見つめていたハルの横顔が、ちらりと蘇る。
 どうしてだろう。息が、しづらい。
 苑子も、ハルも。私を置いて、どこかべつの場所へ行ってしまうような、そんな気がしたのだ。
 ただ、それだけだ。