バスケ部の杉崎くんは、毎日毎日飽きもせず、ハルのところへ遊びにくる。毎日毎日飽きもせず、苑子に熱のこもった視線を投げる。
 苑子はうつむいて、ノートにひたすら英単語の書き取りをしている。五時間目の英語の小テストのためだろうけど、私と違って、苑子は、そんなにがむしゃらにならなくたって、難なく高得点をとれる子なのに。
 やっぱり、恥ずかしくて杉崎くんと目を合わせたくないんだろうな、と思った。そばにいるだけの私ですら赤面しそうだもん。奥手な苑子なら、なおさら。
 この先、苑子はどうするんだろう? この調子で、杉崎くんとつき合ったりできるんだろうか。
 そんなことを考えていたら。杉崎くんとふざけ合っているハルが、一瞬、苑子に視線をやった。そして、書き取りに集中している苑子の様子を見て、ほっと表情をゆるめた。
 ハル。杉崎くんと一緒にいても、無邪気にふるまっていたから、何も気づいていないのかなって思ってたけど。
 私は咄嗟に顔をそらした。開けっ放しの窓から吹き込む風を受けてカーテンがふくらむのを、ただ、じっと見つめる。
「果歩。ちょっと、いい?」
 肩を叩かれて、思わずからだがはねた。
 振り返ると、野村真紀がいた。うちのクラスで、一番目立つグループにいる子。小学校は違うけど、一年のときは同じクラスだった。ナチュラルに、華やかなポジションに立つことができる子だ。敵に回したらめんどくさいという噂があるから、今まで、つとめてにこやかに、つかず離れずの距離を保ってきた。
「何?」
 にっこりと、笑顔を浮かべる。真紀のことは嫌いじゃないけど、好きでもない。カテゴリーの違う子、という認識。制服の着こなしもあか抜けてるし、髪もさらさらで、多分ストレートパーマをかけてるんだと思う。うちだったら、「そんなことに使うお金はない」とか言って許してくれない、絶対。
 真紀は、口の端を曲げて意味ありげに笑うと、私の制服のひじのあたりをちょんとつまんだ。立ち上がって、苑子に手を合わせて、「ごめん」と口パクで伝える。
 真紀は私の袖をつまんだまま、廊下に連れ出した。
 廊下の窓も開かれている。さらりとした風にのって、萌え出たばかりの緑のにおいが運ばれてくる。
「もうすぐ五月だねえ……」
 目を細めて、わざと、おっとりとした口調で言ってみる。真紀はいつもよりピリピリした雰囲気で、うかつに触れると感電してしまいそうだ。
「そうだね」
「好きだなあ、五月」
「それより果歩」
 真紀はじれったそうだ。速攻で本題に切り込むつもりなんだろう。
「二宮さんから何か聞いてる?」
「何かって?」
 どうやら、苑子の話、らしい。とすると、おそらく。
「何か、って。その、リョウくんのこと」
「杉崎亮司くん?」
 やっぱりそうか。心の中でため息をつく。めんどくさいことになった。
「そう。ぶっちゃけ、つき合ってるの? あのふたり」
 私は首を横に振った。真紀はあからさまにほっとしている。
「真紀ちゃんって、まさか、杉崎くんのこと」
 違う違う、と、真紀は慌てて手をぶんぶんと横に振った。
「いや、あたしじゃなくって瞳がね」
「森川さん? 一組の」
 しゃべったことはないけど存在は知っている。目立つから。小っちゃくてよく笑う、くりくりと大きな目が印象的な子。仲間に囲まれて、天然キャラだっていじられているのをよく見かける。
「そう。あたしの親友なんだけど。瞳ね、リョウくんとつき合ってるんだよね」
「そうなの?」
 それは知らなかった。
「だけどさ、リョウくん、いきなり、瞳のこと彼女じゃないって言い出したらしくて」
「ふうん……」
 私には無縁の話すぎて、腑抜けたリアクションしかできない。真紀や森川さんは、やっぱり私とは異なる次元に生きている子だ。
「ひどくない?」
「あ。うん。そだね」
 ひどいんだろうか。そもそも、杉崎くんと森川さんに、認識の違いがあったというだけなんじゃないんだろうか。そう思ったけど、とてもじゃないけど言い出せない。
 真紀は私のことを探るような目で睨めつけた。
「二宮さんのせいだと思うんだよね。絶対」
「…………」
 まずい流れになってきた。
「あたし。前から思ってたんだけど。二宮さんってさ」
 チャイムが鳴った。昼休みが終わる。真紀は、続きを飲み込んだ。
「行かなくちゃ。私、単語テストやばいんだよね」
 とりあえずそう言って笑みを浮かべてみせたけど、頬の筋肉がうまく動いてくれなくて、きっと私の顔は引きつっているんじゃないかと思う。真紀はふうと息をつくと、
「今さら単語帳見ても遅いよ」
 と、少し笑った。