六月なかば、再びの席替えがあり、あたしは陸と離れた。「大橋は小宮の殺人光線にやられてハートブレイク」みたいなことを男子たちが面白おかしく触れ回り、陸はそれを笑って受け流していた。内心、まじでこっちの奴らはみんなガキだな、って思ってるのかもしれない。
 あの日以来、陸もあたしを避けていた。
 あやまらなきゃいけないと思っている。だけど、そうすると、あたしがあの時陸の手を振り払った理由を説明しなきゃなんない。ていうか、理由って何? 自分でもわからない。
 そのうち、陸が女子にコクられたって話を、ちらほら耳にするようになった。奈美は今度はひそやかに、「でも断ったらしいよ」とあたしに耳打ちする。つき合えばいいのに。あたしには「つき合おう」って言ったのに。どうせ冗談だろうけど。
 鬱陶しい梅雨時の空。窓を叩く雨の音。
 陸はあたしと違って神経が細やかで、優しい。昔、ボスゴリの逆襲に悔し泣きした時も、怒られて泣いてた時も、ずっと隣で頭を撫でてくれた。その手をあたしは払いのけた。
 だって。だって。心臓がへんになるんだもん。あたしがへんになるんだもん。
 何度か。陸の家まで行って、うろうろして、勇気が出なくて帰って、っていうことを繰り返した。まったく、いやになる。もうとっくにおかしくなってるよ、あたし。
 気象庁が梅雨明け宣言をした日の、夜だった。お母さんが作りすぎた天ぷらを陸んちに届けるっていうから、あたしが持っていくって言った。毎日陸くんがごはん作ってるのよ、偉いよねー、ってお母さんは笑う。知らなかった。あいつ、何にも言わないし。
 陸の家の玄関のピンポンを鳴らす。はい、と声がして扉があいた。陸じゃない。お父さんだ。ちょっとだけがっかりしたような、ほっとしたような。天ぷらのお皿を渡して帰ろうとすると、呼び止められた。
 陸は学校ではどんな様子なのか。そんなことを聞かれた。あの子はこっちに越してきてから、夜、あまり眠れないようだ。最近は食欲もない。無理するなよって言っても、無理なんかしてないよって笑う。そう、陸のお父さんは言った。
 あたしは夜の道を駆けた。ふらりと散歩に行ったっていう陸を探す。いつもの坂道から脇にそれて、林の中へ。
 むかし一度だけ、夜、ふたりでUFO基地に行ったことがある。陸の両親が離婚を決めた日だった。陸は「一度壊れたものはもうもとに戻らないんだよ」って言った。子どもの力じゃどうにもならない現実に、あたしたちは泣くしかなかった。
 陸は今。きっと、あの基地にいる。
 会いたい。陸の、本当の気持ちを聞きたい。
 木々が途切れて視界が開ける。厚い雲の退いた空には丸い月がのぼり、星もまたたいている。草の端が、ひかえめな光を受けて、きらりと艶めく。
 原っぱの草のうえ、陸は仰向けに転がっていた。あたしに気づいてゆっくり身を起こす。その目は涙に濡れている。
「いつもひとりで泣いてるの?」
 お母さんを思って。さびしさに耐えながら。
「はーちゃん。……なんで」
「探してた。あやまりたくて」
 陸はゆっくり首を横に振る。
「俺が悪いんだ。調子のってたから。つい、昔思い出しちゃって。つき合おう、とか、……言ったり。うざかったよね?」
「ちがうよ」
 胸が痛くてたまらない。
「ちがうよ。どうして陸はそうなの? 怒ればいいのに。ひどいことしたのはあたしなんだよ?」
 あたしのばか。これじゃ逆切れだ。戸惑っている陸のとなりに座って、足元の草をぶちぶちちぎる。奈美の声が耳の奥でひびく。どうしてそういう言い方しかできないの。ここは、……ここは。何て言うところ? 
 認めるのがはずかしい。くやしい。でも。
「好き」
 陸の顔が見れない。からだぜんぶが心臓になったみたい。
「陸のこと好きみたい 。だけどあたし、そういうの、はじめてだから。どうしていいかわからなかった」
「はーちゃん。ほんと、に?」
 ゆっくりと陸の手があたしの手にのびてくる。まだためらっているその大きな手を、あたしからぎゅっと握りしめる。あたたかい。
「はーちゃんがいてくれて、よかった。ここに住んでたころ、家の中ぐちゃぐちゃで、ボスゴリにもいじめられて。でも、はーちゃんがいた。こっちに来て、また会えて、はーちゃんは昔の、まっすぐなはーちゃんのままで」
 まるく開いた空に浮かぶ月。やわらかく注ぐ光。
 すごく、すごく、居心地が悪い。
「だからっ。はーちゃんって呼ぶの、やめろって……」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「…………」
「葉月」
 つないでいる手をぐっと引かれて、引き寄せられる。そのままあたしは陸の胸の中にすっぽりとおさまってしまう。あたしを抱きしめる力の強さとか、広い胸とか。ああ男の子になっちゃったんだ、って思ってくやしくて。だけど陸だってまだ、あたしと同じ十四歳で。
「陸。ぜんぶひとりで抱えこむのやめて」
 陸の背中に手をまわして、ぎゅっと、する。
「だって」
 陸の声がふるえている。
「だって頑張らなきゃ。複雑な家の子だから、ひとり親の子だから、って言われるから。父さんや母さんが悪く言われるから」
「ばか」
 陸の背中を、やさしく、撫でる。
「そんな事言うやつ、あたしがぶん殴ってやる」
 陸が笑った。笑って……泣いた。
 小さいころから変わらない。あたしはずっと、陸の味方。いつだってそばにいる。
 雲が流れて月を隠した。一瞬、闇が訪れて、再び光が射す。
 目を閉じて祈る。
 このやさしい光が、陸に、ずっとずっと、降りそそぎますように。