翌週。席替えがあった。
 くじを引いて自分の番号の席に机を移動させると、となりに陸がいた。あたしに気づくと、にんまり笑った。
 つぎの授業は数学で。むすっとふくれて方程式の解を求めるあたしのひじに、小さな紙片が当たった。「よろしくね。はーちゃん」とある。
 はーちゃんって呼ぶなって言ったのに。ちらととなりを見やると、陸は涼しい顔でシャーペンを動かしている。なんか、くやしい。何かがくやしい。陸のくせに。陸の分際で。
 陸は。休み時間は男子たちに囲まれて楽しそうに笑ってるけど、退屈な授業中とか、よく、頬杖をついて窓の外をぼんやり眺めている。その目はここではないどこか遠くをさまよっていて、お母さんを思ってるのかなって、思った。だけどつぎの休み時間にはもう明るい声をあげて笑ってる。ほんとに陸はばかだ。
「はーづきっ」
 昼休み。奈美があたしの前の席のいすに座った。
「アメあげるっ」
 どーも、とアメ玉を口に放る。レモンの味がする。
 いつもきゃらきゃら騒がしい奈美は裏表のない子で、だけどそのぶん空気を読むのは下手で、女子の間でちょっと浮いている。みんなが血液型占いの話で盛り上がってる時に、「でもこれって科学的根拠ないんだよねっ」と満面の笑みで言ったりするのだ。あたしは奈美のそういうところがおもしろい。
 奈美はぐっとあたしに顔をよせ、声をひそめた。甘いレモンのにおいがする。
「ねーねー知ってる? 大橋くん、二組の三上さんにコクられたらしーよ」
 まじで? もう? 早すぎじゃね?
 声にならない言葉をくんだのか、奈美はうんうんと大きくうなずくと、でも断られたんだってー、と嬉しそうに言った。
 そうか、ついにコクられたか。
 五時間目、国語の教科書ごしに陸の横顔を盗み見る。相変わらず涼しい顔してる。告白とか慣れてんのかな。前の学校でもよくされたのかな。つーか何でコイツがモテんの? くっそ生意気……。
 と、ふいに陸がこっちを見て、ばっちり目が合ってしまった。陸は、思いっきり目じりを下げてにやあっと笑うと、自分のノートの端っこをぴりりと裂いた。ささっと何か書きつけてあたしの机に投げる。
「西岡先生、鼻毛出てる」とある。教壇のほうに目をやると、「論語」を朗々と読み上げる西岡の鼻から、確かに、毛が。気づいた瞬間、あたしは「ぶほっ」とふき出してしまった。
「小宮? なんだ?」
 西岡がつかつかと寄ってくるけど笑いを押さえることができない。真っ赤になって西岡の顔を直視しないように耐えてたら、件の紙切れを取り上げられた。
 当然のように西岡はぶち切れて、あたしと陸は立たされて長い説教をくらった。授業中だけでは収まりがつかず、放課後も職員室に呼び出されて延々くどくどやられた。
 解放されて、職員室の扉を閉めるやいなや、陸があたしにこっそり耳打ちする。
「西岡先生、ちゃんと鼻毛切ってたね」
 扉の前でしゃがみこんでげらげら笑うあたしたちに西岡が気づいて、こらあっと怒鳴られた。やばっ、とふたりして一目散に逃げる。全速力で駆けて、靴を履きかえて駐輪場へ。学校指定のださいヘルメットかぶって、猛烈にこいだ。空はオレンジ色に染まりはじめている。あたしの横を走る陸もださいヘルメットかぶってて、すごいスピードでこいでいるのに余裕の笑みをうかべている。くそ。昔はとろくてあたしについてこれなかったくせに。
「わかったろ? 西岡って粘着質なんだよ。あいつ怒らせるとしつっこいから」
「はーちゃんが笑うからバレたんじゃん。『ぶほ』って何だよ『ぶほ』って。ゴリラかよ」
「うっさい。ってか、はーちゃん言うなっつったろ」
 そのまま陸と一緒に帰るような感じになってしまう。家が近所だからしょうがない。
 田んぼや畑の間をぬう長い上り坂。いつも途中で自転車を降りて押していくんだけど、陸が汗ひとつ流さずに立ちこぎしていくんで、悔しくて無理してあたしもこいでいく。ペダルが重い。バレー部辞めてからなまってる。
「ゴリラっていえば、ボスゴリどーしてんの? 元気?」
 陸が聞いた。ボスゴリは三つ年上の最凶いじめっこで、小学生の時陸はさんざん泣かされてて、あたしがいつも守ってやってた。
「さあねー……。どうしてんのかなー?」
 あいまいに言葉をにごす。ボスゴリは三年前から引きこもって部屋から出てこないらしい。一時期近所のひとが噂してた。ゴリんちの家庭環境とか、学校での成績とか。ボスゴリは嫌いだけど、そういうのは、いやだ。
「なんか、色んなことが変わってくんだよね」
 空は夕焼けに染まって、光が陸のやわらかそうな髪を金色にふちどっている。あたしはついに自転車を降りた。ヘルメットをぬぐ。陸も自転車を降りて押し始めた。あたしに合わせてるんだ。くやしい。陸のくせに。
「つーか早くヘルメット取りなよ。ださっ」
 乱暴に言い捨てて、ごまかす。陸がくすくす笑ってる。それがまた、むかついた。