春の、ぬるい空気を胸いっぱいに吸い込む。咲き始めた花の匂い、芽吹いた若葉の匂い。中学校のある町の中心部から離れて、あたしは、畑や田んぼに囲まれた長い坂道を自転車で登っている。
 中学三年、最初の日。今日、転入生が来た。大橋陸、と大きく黒板にその名が書かれ、先生の後ろにいた背の高い男子が前へ出てぺこりと頭を下げた。
「大橋です。小四までこっちに住んでいたので、覚えている人もいるかと思います。また、よろしくお願いします」
 狭くでこぼこした道の脇には雑草が茂り、ピンク色の小さな花を咲かせている。この花、小さいけど蜜が甘いんだ、陸と一緒に蜜の花蜜の花って呼んでて……。
 陸。あたしの、かつての幼なじみ。
 自転車を降りて立ち止まる。陸が戻ってきたというのは知っていた。もうずいぶん前から近所の人たちが噂してたから。
 四年ぶりに現れた陸は、あたしの記憶の中の陸とはほど遠かった。背は伸びているし、髪も伸びているし、声も低くなっているし、何より初対面のクラスメイトの前で物怖じせず自己紹介をこなした。ありえない。あたしの子分だった陸はチビですぐ泣くし、あがり症のビビりで、運動会ではコケるし発表会では声が出ない。要するに、どうしようもないみそっかすだったんだ。
 ホームルームの後、同じクラスの奈美はきゃあきゃあ黄色い声をあげて騒いだ。
「ねえねえ、転校生、イケメンじゃない?」
「べつに普通じゃね? 転校生補正がかかって良く見えるだけだよ多分」
 すげなく突き放しても奈美は食い下がった。
「だって葉月は男子に興味ないからっ! そういうの、わかんないんだよっ」
 確かに。あたしは男子なんて興味ない。奈美がはしゃぐ気持ちもわかんない。
 陸は速攻でクラスの男子に囲まれて質問攻めにされ、女子たちはそれを遠巻きに見つめてそわそわしていた。これが転校生の通過儀礼というやつか、と妙に冷めた気持ちでその様子を眺めていた。
 陸はあっという間に男子たちの輪の中に溶け込んだ。その明るい笑い声はさわやかでさえある。光をまとっているみたいだ。きっとクラスの中で一番陽のあたるポジションに行くんだろう。あいつマジで四年の間に他の誰かとすり替わったんじゃないか。
 家に着くと、ちょうどお母さんも畑仕事から戻ってきたところだった。
「おかえり葉月。陸くん同じクラスだったんでしょ? どんな感じ? 何か話した?」
 情報、早すぎ。相変わらずの我が母をあたしはひややかに見つめた。四年前、陸の両親の離婚はイナカの閉じられたコミュニティの中ではセンセーショナルな事件だった。みんな口さがなく噂していた。うちの親もそう。
 陸のお母さんは、お姑さん、つまり陸のおばあちゃんと反りがあわなくて追い出されたらしい。つばをまき散らしながら陸のお母さんを罵っていたおばあちゃんも、二年前に亡くなった。陸は葬式には来ていない。