〈空と湖の青と木々の緑。それから、朱塗りのお社がお伽噺の一場面みたい〉
〈ミニチュアみたいなお社がかわいい!〉
そんな好意的な感想が次々に書き込まれた。
しかし、次第に――。
〈恋神神社の〝恋神〟が、御利益に〝恋の成就〟を授けるって本当?〉
〈本当! だから、参拝者は片想いの人か結婚を願うカップルが多いみたい〉
〈でも、御利益が授かるのは御守りじゃないよ!〉
〈そうそう! 宮司様が授けて下さる〝おむすび〟に込められているんだよ〉
と、まことしやかに、何とも摩訶不思議なコメントが書き込まれ始めた。
だが、人間とは不可思議と思えるようなものに惹かれる傾向があるようだ。
恋する者にとって――いや、恋をしていない者にも、恋神神社は十分興味深い神社となった。
これに尾ひれが付き、さらなる噂が流れたのは程なくしてだ。
その噂とは――。
〈恋神神社には、おばあちゃん宮司様と十代のかわいらしい巫女さんがいらして、その二人がなんと! その〝恋神様〟なんだって。驚きでしょう?〉
と、そんな噂だった。
その噂に対しては、肯定論否定論と様々な意見が飛び交い、そのSNSは間もなく炎上した――と同時に、恋神神社に対するコメントがあちこちに飛び火して、それを見た人々で神社もまた騒然となった。
しかし、それはほんのひと時のことだった。湖面に描かれた波紋が凪ぐように、自然に静かにすぐ収まった――まるで神が火消しを行ったかのように……。
その後は、信じる者は救われる、と思っている者だけが参拝しているようで、ネットの口コミ欄も穏やかなコメントばかりとなった。
――だが、その噂……実は本当のことだった。
噂の二人は正真正銘、恋神神社の〝恋神〟だった。
二人の恋神は人々の願いを聞き、恋を結ぶとされる〝おむすび〟を握り、それを授け、願いを成就させてきたのだ。
巫女である若い恋神は、そんな平和で穏やかな毎日に満足していた。
しかし、その出来事から数日経ったある日、その平穏な日々を脅かす危機的事態が起こった。
恋神神社の宮司である〝おばば様〟が、大神様に召喚されてしまったのだ。
三日経ってもおばば様は戻らず、人々の〝願い〟は昇華されずに溜まっていった。なぜなら、残された若い恋神は半人前以下の見習恋神だったからだ。
「どうしよう! このままでは願いが腐り、恋神神社が廃れてしまう」
恋神神社を維持するには、良質のパワーが必要だった。
良質のパワーとは、願いが叶った(成功)時に、祈願者から発せられる良質(幸福)のエネルギーのこと――と、若い恋神〝結〟は理解していた。
神社を包むその良質なパワーを失ったら、恋神神社は消滅。いわゆる、神社を閉鎖しなくてはならないのだ。
しかし、それだけではない。祈願者にも――いや、願いにかかわる大勢の人々にも、多大なる悪影響が及ぼされることを結は知っていた。
「ハク、どうしたらいい?」
〝ハク〟というのは、結を手助けする神使の白狐のことだが、白狐といってもまだ子狐。彼もまた頭を抱えるだけだった。
そんなハクを横目に、「本当にどうしよう……」と、結はおばば様がいるであろう、抜けるような青い空を見上げ、深い溜息を零した。
少し冷たくなった初秋の風が、朱色の袴をフワリとはためかせた。結は風で乱れた肩までの黒髪をソッと撫で上げる。
おばば様の姿が消え早半月。緑々としていた木々に、ちらほらと赤や黄色の葉が混じり始めた。
「結様、空ばかり見ていても何も変わらないよ」
とはいえ、多かれ少なかれ日常に変化は付きものだ。だが、日々やらなければいけないことは変化云々に関係無くやらなければいけない。なぜなら、後に困るのは自分だからだ。
「それよりさっさと掃除を済ましてしまおうよ」
美少年の童に変化したハクが、もどかしそうに白銀の髪を左右に振り、神使の勤めとばかりに意見する。
「そうだねぇ……でも……何がどうなっているんだろうね?」
「大神様の思惑は僕には分からないけど、きっと何か事情があるんじゃない」
その事情が何なのか知りたい、と思ったところで誰に訊けばいいのやら、だった。
再び空を見上げて大きな溜息を吐く結を、「ほらほら!」とハクが急かす。
「僕はね、お腹が空いてるの、早く朝ご飯が食べたいの」
そう言えば、と結もお腹に手を当てる。
「どんな状況でも空腹って感じるものなのね……」
「それは人間でも神様でも神使でも同じ。腹が減っては戦ができぬ、だよ」
「戦をするつもりはないけど……」と言いながら、結は箒を持つ手を素早く動かし始めた。
「終了! 朝ご飯にしましょう!」
懐からスマートフォンを取り出して時間を確認する――ジャスト午前六時。
これからご飯を炊いて……と、結は今日一日のスケジュールを思い浮かべる。
「僕、今朝は結様と同じでおむすびがいい! 甘辛い揚げを刻んで混ぜ込んだやつ」
そう言うとハクはゴミ袋を振り回しながら「早く、早く」と足を早める。
結の朝食は毎朝おむすびだった。〝おむすびを握ること〟も修業の一つだからだ。
「お稲荷さんじゃなくていいの?」
拝殿の隣に建つ〝恋神茶寮〟と呼んでいる、小さな数寄屋に足を向けながら結が問うと、クルッと振り向き満面の笑みを浮かべたハクが頷いた。
「うん、キツネ寿司も好きだけど、結様のおむすびは最高」だから、と続けて言おうとしたハクの背後で轟たる地響きがした。
「うわっ!」
ハクはとても臆病だ。だから、驚き飛び上がった拍子に変化が解けてしまった。
白狐の姿に戻ったハクは素早く結に駆け寄ると、彼女の背中に隠れ、もふもふの尻尾で自分の身を覆いブルブル震える。
そんなハクを結は背に囲いながら、もうもうと舞い散る白い砂埃をポカンと見つめていた。が――。
「えっ?」
しばらくするとその中に黒い影のようなものが現われ、目を見張った。
「人……?」
シルエットだったものが徐々に鮮明となり――。
「痛いぞクソ親父! 何てことするんだ、覚えてろよ!」
叫んだ。
それは十代後半ぐらいの若者だった。
落下したからなのか、ファッションなのか、栗色の髪がツンツンとあちらこちらに向いている。一見パンクに見えなくもないが……着物? 彼は和服姿だった。
打見で絹と分かる、光沢ある高級そうなグレーの羽織と着物のセットは、パンクっぽい風体にもかかわらず、意外にも彼によく似合っていた。
「あ……貴方は誰?」
「あー? お前こそ誰だ?」
和装男子が慇懃無礼に質問に質問を返す。それには、普段は比較的温厚な結だが、流石にちょっとムカついた。
それでも最初に尋ねたのは結からだったので、素直に名乗った。
「私は恋神神社の巫女です」
ただし、相手が誰だか分からないので人間界用の自己紹介をすると――。
「お前か、恋神神社の恋神見習いって奴は?」
驚いたことに、偉そうな彼はそう尋ね返した。
「まだチビじゃないか」
チッと舌打ちをすると彼も名乗った。
「まぁいい。俺は大神の三男、縁だ」
「――貴方……神様なの?」
「縁を司る神だ」
やんちゃっぽい偉そうなこんな人が? 驚き呆れる結に、縁は天を指差しながらこれまた偉そうに言った。
「あそこから来たんだ、当然だろう? 今日からお前の師匠は俺だ!」
「はい?」
突然の『師匠』発言に、全く意味が分からないといったように結が首を傾げると、「ったく!」と縁は苦々しい顔で毒づき始めた。
「お前、恋神としても半人前以下なのに、おつむの中身も半分以下みたいだな」
「縁様、お口が過ぎます」
失礼極まりない縁の言葉に、頭上から降ってきた低音の声が被さる。その途端、「うわっ、止めろ!」と縁が悲鳴を上げた。
急降下してきた白梟が、縁の頭を激しく突っつき始めたからだ。
「カイ、やめろ、暴力反対!」
「なら、今すぐ結様に謝罪を」
「うわっ、痛い! ごめん」
「ということで」
地面に舞い降りた白梟が、瞬時にキリリとした男性に変化する。その姿はまるで――執事? だった。
「結様、本当に申し訳ございませんでした」
男性が深々と頭を垂れる。人間年齢で言えば二十七、八といったところだろうか? 黒髪にメタルフレームの眼鏡がクールな印象を与えているが、物腰は柔らかだった。
その横で縁はブスッと顔を歪ませたままだったが、それにはお構いなしに、「お初にお目にかかります」と男性が挨拶を始めた。
「わたくし、カイと申します。縁様の神使兼お目付役をしております。よしなにお頼み申し上げます」
丁寧すぎる物言いに、結は恐縮しつつ、つられて「こちらこそよろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。
「結様は噂どおり礼儀正しい恋神様でございますね。しかしながら、神使に気遣いは無用でございます」
眼鏡のブリッジ部分をクイッと上げながら、「それに比べて」と縁を見る。
「貴方様は大神様に背いてばかり……」
「カイが『自分の意見ははっきり述べろ』と教えたんじゃないか!」
縁の反論に眼鏡の奥の眼が鋭利に光る。
「意見と文句は似て非なるもの。全くの別物でございます。縁様のは単なるガキの我が儘でございます」
「ねぇ……そのお小言、後でもいい?」
反論に出ようと縁が口を開きかけたが、一瞬早くハクが話に割り込んだ。
「僕、お腹が空いてクラクラするんだ。だから、結様のおむすびを食べてからじゃいけない?」
気弱なハクだが、基本、彼はマイペースだ。そんなハクに縁もカイも毒気を抜かれたのか、思わず顔を見合わせる。
「おむすび……?」
「そうでございました。恋神神社の名物でございましたね」
「ああ」と何か思い出したように縁も小さく頷いた。
「なら、それを俺にも食わせろ」
「縁様! またそのような口の利き方を……」
「食わせて下さい。これでいいだろ?」
縁が慌てて言い直す。
「ええ。では、わたくしも馳走になるといたしましょう」
「はぁ」と未だに理解不能な現状に、結は微妙な返事をしながらも「では、茶寮の方へ」と客人を案内する。
*
「こちらが恋神茶寮でございますか。木々がふんだんに使われていて、とても居心地が良さそうでございますね」
カイは煌めく瞳で黒光りした剥き出しの太い梁を見つめ、恍惚とした溜息を吐いた。
どうやら、梟としての性が、年季の入ったこの古い建物をお気に入りにしたようだ。だが――。
「狭い! 茶室でももう少し広いぞ」
室内を見回した縁は舌打ちをする。
「縁様にピッタリの場所では?」
「お言葉ですが……」客人たちの言葉に業を煮やした結が口を開く。
「我が城に文句があるならお引き取り下さい」
いくら大神様の三男であろうと、その神使であろうと、おばば様と護ってきた大切な場所を貶されるのには我慢ならなかった。
「言葉が足りず誤解させてしまったようで、申し訳ございません。馬鹿にしたのではなく、縁様のねじ曲がった心根を治すには、このような温かな場所がピッタリだと言いたかったのです」
カイが申し訳なさげに項垂れると、結はコクンと頷き、縁の方に視線を向けた。
「貴方は……」
「貴方ではない。縁だ。縁師匠、または縁様と呼べ」
あくまでも偉そうな姿勢を崩そうとしない、そんな彼に結は呆れる。
「縁様、師匠と申されるなら、おむすびが上手に握れるのでしょうね?」
恋神神社で一番大切な仕事はそれだった。
「おむすび? 俺に手ずから握れと言うのか? そんなことはできない」
フンとそっぽを向く縁に結の口がポカンと開く。が、それは一瞬だった。フルフルと首を横に振り、フーッと息を吐き出すと体勢を整え、改めて尋ねた。
「それでどうやって私の師匠などと言えるのですか?」
「おむすびを握ることだけが師匠の仕事ではないからだ!」
キッパリ言い切る縁に、結は尚も食い下がる。
「だったら、何を以て師匠と申されるのでしょう?」
「それは分からん!」
「はぁぁぁ?」
「分からんが、親父殿がお前を一人前の恋神にしろと言ったんだ。でないと俺はあそこに戻れない」
そう言って天を指す。そして――。
「俺が戻らないとおばば様もここには戻って来られない」
そう言った。
「何ですって!」
衝撃的な言葉に結は夢でも見ているのかと頬を抓る。
「痛っ」
「結様、現実です」
「ハク……嘘だと言って……」
縋り付くような目でハクを見るが、童に姿を変えたハクは美しい顔をゆっくり横に振り、憐憫の目を向けるだけだった。
「分かったようだな」
仁王立ちした縁が仰け反り、腕を組み、片足でトントンと床を踏み鳴らす。
「だったら、さっさとおむすびを握れ、そのチンクシャ以上に俺は腹が減っているんだ」
そう言いながら縁は顎をしゃくりキッチンを指した。早く行けと言っているらしい。
「まったく! 全て置いて出て行けだと! くそっ、朝飯ぐらい食べさせてから追い出せって言うんだ」
ブツブツ文句を言いながら縁がドカリとソファに腰を下ろす。
茶寮は祈願者のために作った場所だった。だからカイの言うとおり、居心地の良い空間作りを心掛けてきた。ソファセットもその一つで、結とおばば様が吟味に吟味を重ねて選んだ逸品だった。
「それなのに……」
縁の態度がそれを無雑作に扱っているように見え、結は堪らなく悲しくなった。
「彼の容姿はイケメンの部類に入るけど、長い足を組み、ふんぞり返る姿は……やっぱり、どう見てもやんちゃ坊主にしか見えない」
その姿を盗み見しながら結は不安を抱く。彼の下で修業をして、本当に一人前の恋神になれるのだろうか……おばば様は本当に戻って来られるのだろうかと。
*
縁の要求を不本意に思いながらも、一日でも早くおばば様を取り戻したい結は従順に縁の求めに応じた。
「どうぞお召し上がり下さい」
ローテーブルにおむすびの並んだ大皿が置かれると、縁、カイ、ハクの六つの目が磁石にでも引き付けられたように、その一点に注がれる。
「わーい、結様、いただきます」
まず声を上げ、手を伸ばしたのはハクだった。続いて、手を合わせたカイがスクエア型の眼鏡の奥の目を細めた。
「これは見事なおむすびですね。早速、頂くことに致しましょう」
だが、二人とは対照的に、縁は「ずいぶん遅かったな」と文句を言う。
「それはしょうがないよ。だって、結様はお釜でご飯を炊くんだもん」
結の代わりにもぐもぐと口を動かしながらハクが答える。