私の新しい名札は、『中居』
 私はもう『中居雫』なんだね。

 両親や弟と同じ『朝野』ではなくなり、改めて『中居家』に嫁いだのだと、実感する。

「婦長さん、皆さん。ありがとうございました。結婚しても看護師は続けるつもりなので、引き続き宜しくお願いします」

「よかった。退職されたらどうしようって、内心ヒヤヒヤしていたのよ。じゃあ、朝の申し送りをしましょう」

 退職か……。
 考えたこともなかった。

 この仕事は過酷で辛いこともたくさんあるけど、回復して退院する患者さんを見送る時の喜びは計り知れない。

 朝の申し送りを済ませ病室へ行くと、拓は元気がなくベッドの隅で膝を抱えて丸くなっていた。

「たっくん?どうしたの?どこか痛むのかな?」

「……しずく」

 拓は下を向き、今にも泣き出しそうだった。

「何かあったの?私に話してごらん」

「しずく、恵ちゃんが……しんだってほんと?」

「えっ……?」

 拓の目から……
 大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。

 私はベッドに腰掛け、拓を膝に抱きかかえる。

「誰がそんなことを言ったの?」

「きいたの……。おばちゃんたちが、ろうかではなしてた」

「……そう」

「おれも……しんじゃうの?」

 ガタガタと震える拓をギュッと抱き締める。私の腕の中で、拓が声を上げて泣いた。

「大丈夫だよ。たっくんは死なないよ」

「……ほんと?」

「本当だよ。雫がついてるからね。たっくんは絶対に元気になるから」

「うん……うん……」

 拓が泣いている。たった六歳で、死の恐怖と闘ってる。

「大丈夫だよ……。大丈夫」

 私は拓の小さな背中を擦りながら、抱き締めることしか出来なかった。

 ◇

 ――新年が明け、一月。
 新しい年の始まり。都内は雪景色となる。

 私は保と二人で初詣をし、義母である怜子の店へ行く。家族だけの新年会をするからと、店に招待されたからだ。

 怜子とは結婚後に初めて会う。
 同じ二十代なのに、義母であることに違和感は拭えない。

「ハッピーニューイヤー!かんぱーい!」

「明けましておめでとう!保、雫ちゃん、結婚おめでとう!」

 四人で新年を祝い、保の両親は私達の結婚も祝ってくれた。

「やったね保!てっきり雫ちゃんに振られると思ってたけど、ちゃんと堕とすなんてね」

 怜子がワイングラスを傾け、楽しそうにクスクス笑った。

「よさないか、そんな下品な言い方は雫さんに失礼だろ」

 父親が怜子をたしなめる。
 明るい家族、笑顔溢れる賑やかなお正月。

 胸が熱くなり、思わず涙ぐむ。

「どうしたの?雫ちゃん?私、イケないこと言ったかな。気に障ったならごめんね」

「いえ、私……嬉しくて……」

「やだ、嬉しくて泣いてるの?」

「私……今まではお正月も一人だったから。だから……こうして家族と過ごせるなんて……夢みたいで」

 私の話しを、三人は顔を見合わせ微笑みながら聞いている。

「私達は完璧な家族じゃないけど、大切な家族だよ。ねっ、パパ。雫ちゃんはもう娘も同然なんだから」

「そうだよ。雫さん」

「なぁ怜子。俺達に子供が出来たら、お前は二十代でバアちゃんだよな?ハハッ、超受ける」

「やめてよ。失礼ね、おばあちゃんなんて、死んでも呼ばせないんだから。でも……早く作っちゃいなよ。きっと可愛いよ。私も一人くらい生んでもいいんだけどね。ねっ、パパ。私達も頑張ろうよ」

 怜子が笑いながら父親を見つめる。
 その色っぽい眼差しに、父親は顔を赤らめ慌てている。

「よ、よさないか……。雫さんの前ではしたない」

「親父、何を照れてんだよ。俺は弟や妹が出来ても別に構わないぜ。俺に遠慮するな。けど、もしそうなったら、子供と孫が同級生になるかもな」

「た、保、よさないか」

「あら、それもアリね。パパ頑張って」

 父親の狼狽振りに、保がグラスを傾けながら爆笑した。

「雫ちゃん。私達はあんまり上品な家族じゃないけどさ。遠慮なく甘えてよ。あっ、でも『お義母さん』とは呼ばないでね。私は子供が出来ても『怜子さん』でお願いします」

「はい、お義母さん」

「うわ、雫ちゃん、可愛い顔してなかなかキツいね」

 お酒を飲みながら、みんなが一斉に笑った。

 みんなの優しさが……
 すごく嬉しかった。

 私は……幸せだよ。
 保があったかい家族を与えてくれた。

 何気ない会話が……。
 家族で囲む食卓が……。
 こんなにも幸せだったなんて、あらためて思ったよ。

 天国のお父さんも、お母さんも良ちゃんも……。

 きっと……
 喜んでくれてるよね。