「たっくん、椅子にちゃんと座っててね。机の上を触っちゃダメだよ」

「うん……」

 拓は大人しく椅子に座って待っている。

 私は冷凍庫から氷を取り出し小さく割って、氷枕の中に詰めた。

「出来たよ。たっくん行こうか」

「……うん」

 私は拓と手を繋いで、恵の病室の前に立つ。

 拓の不安が……
 繋いだ手から伝わってくる。

「廊下で待てるかな?すぐに戻って来るからね」

「……うん」

 恵の氷枕を取り替え、『元気になったら、たっくんと同じ病室でまた遊ぼうね』と告げると、恵は高熱に魘されながらも微笑み、コクンと頷いた。

 ◇

 恵の高熱は翌日も下がらず、発熱から五日目、昏睡状態に陥り個室からICUに移った。

「ねーねーしずく、恵ちゃんは?」

 拓が個室の空になったベッドを見て、不安そうに聞く。

「恵ちゃんは大丈夫だよ。元気になるために、病室を移っただけだよ」

「ほんとに?」

「本当だよ。みんなに風邪が移ったら大変だからね」

「そっか。早く戻ってこれたらいいなぁ」

「うん……そうだね。すぐに戻ってくるよ」

 その後も恵の容態は回復することはなく、一日一日が生きることとの闘いだった。小さな命のともしびが、ゆらゆらと生死の境をさ迷っている。

 ――ICUに移って三日後……。 
 
 その日、夜勤だった私に……
 ICUから連絡が入る。

 それは……
 とても悲しい知らせだった。

 ――嘘だ……。嘘だ、嘘だ……。

 婦長の指示で、ICUに急いだ。
 
 ◇

 ――ICU――

「けい――……。どうして……どうして……」

 泣き叫ぶ母親の声と……
 子供の体に取り縋る父親……。

 ――治療の甲斐もなく……
 恵は眠るように五歳の生涯を終えた。

 小さな子供の死……。
 その現実を受け止めることは、あまりに過酷すぎる……。

 私は恵の死を聞き、御遺体をICUから個室に移し体を清め、葬儀社の迎えが来るまで傍に付き添った。

 その間、涙を堪えることは出来なかった。
 溢れる涙を拭うことが出来ないほどに、動揺している……。

「看護師が泣いてはダメでしょう。ご家族の前では気丈に振る舞いなさい。あなたが取り乱してどうするの」

「……すみません」

 婦長に注意されたが、気丈に振る舞うなんて、私には無理だよ。

 涙が勝手に溢れてくるんだ……。

 恵の最期の言葉は「パパ」でも「ママ」でもなく、「たっ……く……ん」だったと、ご両親から聞いた。

 恵の母親が私に小さな熊のぬいぐるみを差し出した。

「これは恵の宝物なんです。きっと……最期はたっくんと遊んでいる夢でも見ていたのでしょう。苦しまず、楽しい夢を見たまま……天国に逝くことが出来たのだと思うと、それだけがせめてもの救いです。このぬいぐるみは、たっくんに渡して下さい。きっと恵も、その方が喜ぶでしょう。朝野さん、本当にありがとうございました。一緒に泣いて下さって、ありがとうございました」

 私は熊のぬいぐるみを胸に抱き、また泣いてしまった。

 ――午前三時、ご両親と恵を見送る。

 恵ちゃん……よく頑張ったね。

 もう……苦しいことも、痛いことも何もないよ。

 ゆっくり……やすんでね……。