ドアの隙間から、雫に声をかける。

「しずくー!いるんだろ。ドアチェーン外してくれ」

 室内はシーンと静まり返り、返事はなかった。

「しずくー!開けないと大声で叫ぶぞ」

 隣のドアが勢いよく開き、隣人に怒鳴られた。四十半ばの厳つい男だった。
 
「うっせぇーぞ!何時だと思ってんだ!これ以上騒いだら警察呼ぶぞ!」

「すみません」

 取りあえず隣人に謝り、ドアの隙間から雫に呼びかける。

「雫、ドアを開けてくれよ」

 隣人の怒鳴り声を聞き、雫がやっとリビングから出て来た。

 その目は泣き腫らし、痛々しいほどに充血していた。

「話がしたいんだ。頼むからドアチェーンを外してくれよ」

「保……近所迷惑になるから騒がないで。これ……」

 雫はドアの隙間から、俺の部屋のスペアキーを渡した。

「どういうつもりだよ……」

「返すわ……。もう、いらないから……」

「いらない?」

「そうよ……。私の鍵も返して」

 雫はドアの隙間から、指を差し出した。俺はその指を掴むと、グイッと引っ張った。

「痛いっ……」

「ずっとこの手を離さないよ。チェーンを早く外せ」

「……いやよ」

 雫の目に涙が滲む。

「雫……俺が悪かった。話がしたい。謝りたいんだ」

「話なんて何もない。今さら何を話せというの。別れよう……保、もうさよならだよ……」

「……雫?本気か?」

「本気だよ……。だから、手を離して……」

 雫は泣きながら……
 真っ直ぐ俺を見た。

 雫の真剣な眼差しに、俺は……雫の手を離した。

「保……鍵を返して、お願い……」

 俺はスペアキーを雫の指先まで近づけ、グッと握り締めた。

「鍵は……返さないよ。返して欲しかったら、俺のマンションまで取りに来い」

「保……」

「今日は……おとなしく帰る。待ってるぞ、雫」

 俺はそのまま雫のマンションを後にした。

 ドアの隙間から見える雫は涙に濡れ、今にも崩れ落ちそうに体を震わせている。

 俺が……こんなにも雫を傷つけてしまったんだ。

 泣き腫らした目が……
 あまりにも痛々しくて……。

 抱き締めてやりたくても……
 それすら出来なくて……。

 俺は雫の部屋の鍵を握りしめたまま、車に乗り込む。

 雫……もう一度だけ俺にチャンスをくれ。
 雫……話しがしたいんだ。

 雫……待ってるからな。
 必ず鍵を取りに来て欲しい……。