――ありえない。

「もうニ~三ヶ所つけとく?次は見えないところに」

 まるでヤブ蚊だ。

「やめて。もう、私、怒ってるんだからね」

「怒ると、もっとたくさんキスしたくなる」

 保は私の唇をなぞりながら、悪戯っ子みたいに笑った。

 保の笑顔と、保のキス……。
 胸がキュンと締め付けられる。

 やっぱり……保のことが好き。

 ずっと自分の気持ちを認めたくなかったけど、本当は病院で初めてキスされた時から、保のことを意識していた。

 キスから始まる恋も……あるんだね。

「お、れ、は、雫が好き。誰にも、お前の体には触れさせない。この唇も、誰にも触れさせない」

 独占欲が強い保。
 それに応えるように、保と唇を重ね背中にしがみつく。

 ――保……。
 保の言葉を信じていいの?

 甘い魔法にかかったみたいに、二つの想いが一つに重なる。

 夜の闇に包まれ、求め合う体。
 まるで海底に漂う人魚のように、心も体もゆらゆらと揺れる。

 保の逞しい腕に抱きしめられたまま、私は愛の余韻に浸る。

 保の右腕にはあの熱傷の瘢痕が残っていた。
 熱を帯びた指先で、私は保の熱傷の瘢痕をなぞった。

「雫、どうした?」

「……やっぱり、瘢痕が残ったね」

「そうだな。熱傷の瘢痕って、思ってたより酷いな。でもさ、これは俺の勲章なんだ。俺さ、あの日仕事が休みだったんだ。偶然民家の火災現場に出くわして、燃え盛る火の中から助けを求める声が聞こえて、消防が来るのを待てなくて、体が勝手に動いてた。水を被って火の中に飛び込み、逃げ遅れたお婆ちゃんの小さな体を抱き上げた。その時火のついた柱が崩れて右腕にあたった。その火が服に燃え移り熱傷を負った。でもお婆ちゃんは無事救出できたんだ。お婆ちゃんの命と比べたら、こんな瘢痕なんてどうって事ないさ」

 自慢げに笑った保がすごく凛々しくて、その真剣な眼差しは消防士の仕事に誇りを持つ男の目だった。

「雫の仕事だってそうだろう?看護師の仕事も、人の生死に関わってるもんな。今まで、たくさん辛いことがあったんだろう」

 ――『今まで、たくさん辛いことがあったんだろう』

 保の言葉に、一人で必死に生きてきた、張り詰めた心の糸がプツンと切れた。

 私の目に、涙が滲む。

 父と……。

 母と……。

 良の……顔が浮かんだ。

「雫、どうしたんだよ?」

 急に泣き出した私に、保が戸惑っている。

「ごめんなさい……。思い出したの。私の両親と弟の良は、私が十六歳の時に飛行機事故で亡くなったんだ。二十歳の時に祖父母が相次いで亡くなり、私はそれからずっと一人で生きてきたから……」

 家族を亡くした悲しみと辛さに胸が押し潰されそうになり、涙がとめどなく溢れた。

 黙って聞いていた保が、私をギュッと抱きしめた。

「あの事故で家族が……。そうだったのか。雫……辛かっただろう。寂しかっただろう。でも、もう一人じゃないよ。俺がいるから。ずっと俺が……お前の傍にいるから」

 保の逞しい胸に顔を埋め、私は声を押し殺して泣いた。

「雫、我慢しなくていいんだよ。泣きたい時は、声を張り上げて泣けばいいんだ」

 保の優しい言葉に……
 私は声を上げて泣いた。

 人前で形振り構わず号泣したのは初めてだった。

 保は溢れ出す涙を掬いとるように、そっと口づけた。私の頬にも、そっと口づけた。

 そして……
 私の唇に……そっと口づけた。

「大丈夫だよ、もう寂しい思いはさせないから……」

 私は……両親の温かなぬくもりに包まれて、生きていたかった。

 ――保の温かな胸の中で……

 その逞しい腕の中で……

 私をずっと……

 包み込んでくれるの……?

 保……信じて……

 いい……の……?