保は私の意に反して覆いかぶさる。保と私の体重でベッドのスプリングがギシギシ音を鳴らして沈む。

 これだから安物のベッドは嫌だ。
 その音だけで、恥ずかしくなる。

「やだ。言うから……言うから……。た、保……」

「よし、よく言えました。じゃあ……襲う」

「えー!どうしてよ!名前ちゃんと呼んだでしょ。嘘つき……!」

 尖らせた唇を保に塞がれ、私は身動き取れない。

「やめて。病院遅刻するでしょう」

「一緒に遅刻しようぜ」

 再び重なる唇。
 保はキスをしたまま、指先で器用にパジャマのボタンを一つずつ外していく。

 この腕の中から、抜け出せないよ。
 もうお酒のせいにはできないし、一夜のアバンチュールじゃなくなってしまうでしょう。

「どうせ脱ぐんだろう。着替えを手伝ってやるよ」

 それはそうだけど……。

 保のキスに体が火照る。
 パジャマのボタンは全部外され、肩からスルリと落ちた。

 ――遅刻してもいい……。

 頭では拒否ってるのに、一度熱を帯びた体は保を求めている。

 私……
 自分の気持ちが、いまだに分からない。

 好きだからこうなるのか……
 それとも……。

 ――その時、ベッド脇のサイドボードに置かれた保の携帯電話が、けたたましい音を鳴らした。

 保は私にキスをしながら、自分の携帯電話に右手を伸ばした。保は携帯電話を見つめ、眉をしかめ言葉を吐き出す。

「あーあ、おあづけか」

 すぐさま上半身を起こし電話に出た。
 電話をしている保は、さっきまでのふざけた顔とは別人みたいに、キリッとした目をしている。  

「はい、わかりました。すぐに署に行きます」

 真剣な表情で丁寧に応対し、保は電話を切った。

「どうしたの?」

「ごめん、住宅火災発生だ。かなり広範囲に燃え広がっているらしい。緊急出動命令だ」

 保は慌ててベッドから飛び降り、身支度を整えた。

「あっ、雫」

「……何?」

「続きは、また今夜な」

 優しく微笑むと、私の後頭部に手を回し顔を近付け、額にチュッとキスをした。

 また今夜……?
 えっ?また……来る気?

 嘘……!?

 保は急いで部屋を飛び出す。バタンと閉まる玄関ドアの音を聞き、少しホッとする。

 ――火災は心配だけど……。
 あのままだったら、すっかり保のペースだよ。
 
 確実に遅刻するところだった。

 いい加減で、礼儀知らずな男だと思っていたけど、保の別の一面を見た気がした。

 本当に消防士だったんだね……。
 仕事は真面目にしてるんだ。

 保が出て行った後、私も慌てて身支度を整え、勤務先の病院へ向かった。

 ◇

 ――橘総合病院――

 ロッカールームで白衣に着替えていると、茜が飛び込んできた。いつもながら、遅刻ギリギリだ。

「おはよう雫、昨日はごめんね」

 息を切らした茜が、申し訳なさそうに私に声を掛ける。

「私こそごめん。昨日のことは忘れて」

 ていうか、私が忘れたい。

「剛がまさか消防士で、中居さんの友人だったなんて思わなかったし、雫と中居さんがあんなに仲が悪いと思わなかったから。でも、いつのまにキスをしたの?」

「いや……それは……。もうそのことは言わないで」

 キスどころか、昨夜、私と保は……。
 こんなこと、口が裂けても茜に言えないよ。

 保、また今日来るのかな?
 どうしよう……。

 困惑している半面、自然と頬が緩む。

 キスから始まる恋って、そんなドラマチックなことが本当にあるの?

 私、そんな恋、今まで一度もしたことがないよ。

 でも……保に見つめられたら、魔法にかかったみたいに拒否することができないんだ。

 この気持ちが恋なのか、自分でもよく分からない。でも……会いたい。

「それより、あれから剛とどうしたの?上手くいった?」

「うん。雫と中居さんが喧嘩したことで、逆に緊張がほぐれて、盛り上がっちゃって。また会う約束したんだ」

「そっか、それなら良かった。昨日気になってたんだ。私達のせいで二人がギクシャクしたらどうしようって……」

「私達はバッチリだから、気にしないで。でもさ、昨日雫が帰ったあとに、中居さんもすぐに帰ったのよ。雫のこと、追いかけなかった?」

「えっと……追いかけて来たよ……」

「それで大丈夫だったの?また、喧嘩にならなかった?」

「……うん、全然大丈夫だよ。気にしないで」

 昨夜のことを断片的に思いだし、妙に気まずい。

「ほら、茜時間だよ。仕事仕事」

「あっ、いけない。もうそんな時間?あっ、雫、今日さ仕事終わったら、ご飯食べに行かない?」

「今日……?ごめん。今夜は用事があるんだ。また今度にしようよ」

「なーんだ。せっかく昨日の話を聞いてもらおうと思ったのになぁ」

「ごめんね。また今度ゆっくり聞くよ」

 朝、保が言ったことを思い出し、茜の誘いを断ってしまった。

 ――『続きは今夜……』

 仕事中も鼓膜に残る保の言葉。
 甘い誘惑に、頑なな心が支配されている。