「そうね、中居さんのことはもう知ってるから大丈夫です」

 茜が笑顔で答える。
 茜の手前、穏便に済ませようと心がけるが、苛立ちは隠せない。

 ――妙に気まずい。
 顔を上げることができないよ。

「……で、話し変わるんだけど。雫、どうして電話してこない?」

 いきなり保が私に話し掛けた。しかも馴れ馴れしく名前を呼び捨てにした。

「えっ?雫?」

 茜がポカンとした顔で、私を見る。

 どうして、茜の前で呼び捨てにするのよ。
 誤解されるでしょう。

「ああそっか、雫は患者さんから『雫ちゃん』って呼ばれてるもんね。こう見えて人気者だから。だから中居さんも名前で」

 茜は自分で言って、自分でツッコみ、納得している。

「そうなんだ。いい病院だね」

 剛と茜は顔を見合わせにっこり微笑んだ。

 どこがいい病院だ。
 あいつが勝手に呼んでるだけだ。

 気分を害した私は、口を尖らせ保を睨み付ける。

「何、睨んでんだよ。渡しただろ、携帯の番号もアドレスも。何でだよ、この一ヶ月俺は毎日電話を待ってたんですけど」

 保は煙草をくわえ、私の顔面に『ふぅーっ』と白い煙を吐き出した。まるで火を吹く怪獣だ。

「コホッ、コホッ、止めてよっ!感じ悪いな」

「感じ悪いのはどっちだよ!その気がないなら携帯番号を受け取るな」

「だ、だって、あれは……そっちが無理矢理渡したんでしょ」

「はぁ?無理矢理!?何それ?あのメモ捨てたんだ」

「あの日、大変だったから。担当していた患者さんが一人亡くなって……。あのメモは白衣のポケットに入れていたから、一緒にクリーニングに出してしまったのよ」

「ふーん、それが雫の言い訳?」

「言い訳って、本当の事だから」

「俺とキスしたのに?連絡先を捨てちまうのか」

「えぇー!キ、キ、キスッ!?」

 茜が目を見開いて叫んだ。
 剛と茜が口をアングリ開けたまま、私達をマジマジと見た。

 私はキスしたことを暴露され、カーッと頭に血が昇る。

 なんでよ。
 なんで、無神経にペラペラペラペラ喋るのよ。口が軽いにもほどがある。

「ごめん、茜。私さ……今日は帰る。ここにいたらせっかくの初デートを邪魔しちゃうから。楽しみにしていたのに、雰囲気を壊してごめんね」

 私はソファーから立ち上がった。

「えっ……帰っちゃうの?雫……もうちょっといてよ。料理もたくさんオーダーしたし、ねっ」

「茜、ごめんね……」

 私は保を睨みつけ、プイッと個室を出た。階段を駆け降り、足早にカラオケ店を出る。

 やっぱり来なければよかった……。

 こんなところにノコノコとついてきた自分のバカさ加減に腹が立つ。

 歩道を早足で歩いていると、背後から腕を掴まれた。

「雫、待てよ!」

 振り返ると、息を切らした保が立っていた。
 わざわざ走って追いかけなくても。まるでストーカーだね。
 
「な、何よ!まだ、私に何か用ですか!」

 私は怒りにまかせ、大声を出す。
 その声に驚くどころか、保はヒートアップした。

「お前、俺に喧嘩売ってるのか?俺、悪いけど、女だからって手加減しないよ」

 保は低い声で凄んで見せた。

 ちょっと……怖い……。
 腕力では勝てそうにないが、気持ちは負けないんだから。

「中居さん、恋人いるでしょう。ほら、病院に来てた綺麗な人。それなのに私にキスをしたり、携帯電話の番号を渡したり、女性をからかうにもほどがある」

「えっ……?誰のこと?俺は恋人はいない。だから雫に……」

「なにをしらばっくれてるの。着替えを手伝ったり、あなたのパ、パ、パンツ洗濯したり……。彼女が恋人じゃなければなんなのよ」

「あっ……もしかして、怜子のことを言ってるんだ。ははぁ~ん、お前、妬いてるんだ?」

「や、妬く訳ないでしょう。どうして私が妬くのよ」

 保に見透かされているようで、心は乱れしどろもどろだ。

 保は携帯電話で時間を確認すると、大きく頷いた。

「まだ準備中だけど。まっ、いっか。雫ついて来い」

 保は私の腕を強く掴んだまま、歩き始めた。

「痛いってば!何処に行くのよ!」

 スタスタと足早に歩く保。
 腕を掴まれている私は、小走りでついて行く。

 保はスタンドやバーがひしめく狭い路地に入った。

「ど、何処に行くのよ」

「黙って着いて来いよ」

 保は狭い路地に入り突き進む。タイル張りの外観のビルに入り、エレベーターに乗る。

 ビルの三階で降り、小さなスタンドバーの前に立った。赤い照明のついた看板には【怜子】の文字。

 やっぱり……。
 若いのに、バーのママだったんだ。

 水商売のホステスではないかと感じてはいたが、あの若さでスタンドバーのママだとは思わなかった。