中睦まじい二人の様子を見ていられなくて、病室を出ようとした時……。

「おい、雫。これ!」

 彼が私にオレンジを投げた。
 怜子が持って来た、差し入れのオレンジだ。

 空中で放物線を描くオレンジを、私は両手を伸ばしてキャッチする。

「……あ、ありがとうございます」

「どう致しまして」

 彼は彼女と顔を見合わせ、ニカッて笑った。

 ナースステーションに戻った私は、デスクの上にオレンジを置いて、ジッと眺める。

 彼がくれた……オレンジ。
 怜子が持って来たオレンジ。
 口にしてもいないのに、じわっと甘酸っぱさが広がる。

「雫、何?ボーッとしてるの。美味しそうなオレンジだね。食べるなら早くしなさい。ダイエットしてるなら、私が食べてあげようか?」

 茜がオレンジに手を伸ばす。

「ま、待って……。あとで食べるから」

「はいはい。だったらボーッとしないで。お昼の薬や点滴はもう用意したの?」

「あっ……いけない。忘れてた」

「まじで?ありえないよ。雫、最近変だよ」

「……そうかなぁ。いつもと同じだよ」

「心ここに非ずって感じ。目が回るくらい忙しいんだから、誰かさんのことばかり考えてないで、手を動かしなさい」

 茜に叱咤され、私は口を尖らせる。

 誰かさんって誰よ。
 私は中居保のことなんて、眼中にないんだから。

 デスクの抽斗を開け、彼からもらったオレンジを大切におさめた。

「朝野雫、バリバリ働きます!」

「……まったく、空元気なんだから」

 茜が私を見て笑った。
 私は椅子から立ち上がり、昼の投薬を病室の患者さんごとに用意する。

 確かに……
 私は変なんだ。

 ――中居保。
 彼が入院してから変なんだ。

 憎らしいくらい俺様で、デリカシーの欠片もなくて、セクハラ大魔王で、大、大、大嫌いなのに、一日中、彼のことが気になって気になって仕方がない。

 まるで熱病におかされたみたいに、思考回路が乱れて上手く作動しない。

 ◇

 翌日、いつものように朝の巡回。中居保は明日退院だ。あとは通院治療となる。

「おはようございます」

 いつものように明るく挨拶をし、病室に入る。

「おはよう。雫ちゃん」

 皆が私に声をかけてくれた。

 いつもの朝が始まる。
 それなのに、ちょっと寂しいのは何故だろう。

「どこか調子の悪いところはありますか?」

 順番に血圧を計り、患者さん一人一人に問診をする。そして最後に、彼のベッドに行く。

「中居さん、お熱は?」

「三十六度二分……」

「変わりはないですか?腕の痛みは多少和らぎましたか?」

「ん…………と、食欲がないかも」

「えっ?胃の調子が悪いの?抗生物質のせいかもしれませんね。先生に胃薬を出してもらいましょうね」

 彼はパジャマの上から胃のあたりを擦りながら、眉をしかめ私を見上げた。

 そんなに痛むの?

「今朝から、こう……胃がキリキリ痛むっていうか……。呼吸も苦しくて胸のあたりがキューッと締め付けられるように痛むんだよ」

「胸?心臓が痛むのですか?もしかしたら感染症かもしれません。大至急先生を呼びますね」

 彼の脈を測ると若干速い。血圧も高めだ。
 慌ててナースコールを掴むと、彼がその手を制止した。

「だからぁ、看護師なのにまだ病名がわからないのか?」

 彼は口角を引き上げニヤリと笑った。

「はっ?」

 その意地悪な顔。
 どう見ても心臓や胃に異常があるようには思えない。

「これは恋の病かもな」

「な、何を言ってるの?人にさんざん心配させて、ふざけないで」

 私は一人でテンパっている。同じ病室の患者さんが一斉に笑った。

「そうじゃ。わしも雫ちゃんに恋患いじゃ。雫ちゃんは明るくて優しくて可愛いから、この病院のマドンナじゃ」

「た、田川さんまで、変なことを言わないで下さい」

 あの大人しい吾郎まで、大口を開けて笑っている。

 なんなのよ。
 いつの間に、みんな彼に丸め込まれたの?

 私をからかって面白がるなんて、最悪だ。