「初香《はつか》ちゃん。二人きりでデートしたくない?」
わたしにそうやって耳打ちをしたのはつい先日まで恋心を抱いていた相手、真田《さなだ》だった。
つい二ヶ月ほど前までわたしは真田が好きだった。
今となってはそんな恋愛感情はカケラすらも残ってはない。
その真田はというと今も以前もわたしの親友、沙織《さおり》に好意をいだいている。そしてその好意を向けられている沙織もまた真田に想いを寄せていた。だが沙織は元々恋愛関係にはとても疎く、真田の好意には気づいていなかった。そしてわたしに付き添って真田の試合を観ている時、必ず視線で真田の姿を追ってしまっていることにも、沙織の中に確かにあるはずの真田への想いにも気づいてはいなかった。
わたしはそんな沙織の気持ちに気づけなかった。ずっと真田を追うので精いっぱいだった。
『恋は盲目』とはよく言ったものだ。冷静になってみれば真田はずっとわたしではなく、隣にいる沙織の姿を探していたのに……。
わたしが沙織と真田の気持ちに気づくことが出来たのは秋庭《あきば》のおかげだった。
真田と幼なじみの秋庭。彼はシトラスの制汗剤を愛用する、爽やかな雰囲気の真田とは違い、ガッチリとした体型で女の子よりも男子から親しまれるタイプだった。クラスも一緒になったことはなく、ただ真田の幼なじみとしか認識していなかった秋庭の顔をまともに見たのは二ヶ月ほど前のこと。
体育館脇の自動販売機まで飲み物を買いに行った時、体育館から出て来た秋庭がわたしの目を真っ直ぐと見ていった。
「真田を諦めろ」
初対面なのにハッキリと。
「何言ってるの?」
「あいつはお前を見ていない。今も、そしてこれからも。だからムダだ」
「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないわけ?」
「それは……」
初めて秋庭が視線を逸らした。その時、少しだけ残念に思えた。わたしが好きなのは真田なのに、ずっとそのまっすぐな目を逸らさないでほしいと思ってしまったのだ。わたしの願い通り、再び真っ直ぐにわたしだけを捉えてた秋庭は気合を入れるように小さく息を吸い込んで、爆弾を投下した。
「真田はあんたの友達が好きなんだ」
「え……?」
あんたの友達って沙織のこと?
「なん……で?」
「……ずっと応援に行っていただろう」
「わたしだって!」
応援に行っていた。……沙織と一緒に。
『一人じゃ寂しいからついて来てほしい』――そう誘ったのはわたしだった。
沙織はそれからずっとついて来てくれていた。今日だってそう。
「あんたがずっと真田の応援に行っていたのは知っている。柔道場とサッカーのグラウンドは意外と近いからな。もちろん当の本人、真田だってそのことはよく知っている。だが真田の目が捕らえたのはあんたじゃなかったって話だ。あいつは昔から真っ直ぐだから、一度ほれたら他なんか目もくれない。……だからムダなことは止めて諦めろ」
沙織はわたしの一番の友達で、だからこそ沙織がどんなに可愛くて、そして優しいことをよく知っていた。
もしそれが他の子だった諦められるわけもなく、秋庭の言う『ムダ』な行動をくり返すのだろうけど……よりによって沙織なんてね……。
あの子だったら仕方ないって、諦めるしかないって思える。
だってもしもわたしが男だったら確実にほれている。ファーストコンタクトで微笑まれては恋に落ち、本当に面白いって思った時に遠慮なく大きく笑いの花を咲かせる姿に心をときめかせ、極め付けにお弁当で胃袋をつかまれてノックアウトだ。もう一連の流れは完璧にイメージ出来てしまう。付き合ってくださいを通りこしてお嫁さんに来てくださいと言ってしまってもおかしくはないだろう。
「そっか……」
それだけを言い残して、生ぬるくなった二つのペットボトルを両手に持って沙織の待つグラウンドへと向かったのだ。
「沙織、お待た……せ」
沙織の姿を見つけ、駆け寄った。するとちょうど沙織と真田の目が合っている瞬間だった。秋庭の、真田が沙織にほれているという情報の正しさが目に見えてわかる。あれは恋する目だ。わたしだってさっきまであんな目をしていたはずだ。そしてもう一つわかってしまったことがある。同じ目を沙織もしていることに。
秋庭だって気づいていないだろう。
きっとわたしだけが気づいている。
ピーっとホイッスルの音で真田の視線が沙織から逸れると「さーおりっ!」と後ろから抱きついた。
「初香ちゃん! お帰りなさい」
「ただいまー」
「おそかったね?」
「うん、ちょっと……ね。はい、たのまれてた紅茶買ってきたよ」
「ありがとう」
そう言って微笑む沙織はやっぱり可愛かった。
深窓のご令嬢のような見た目で笑う姿は小動物のよう。思わずわたしより頭一つ分小さい沙織の頭に手が伸びる。
「沙織は可愛いなぁー。よーしよしよし」
ワシワシワシと頭の上で手を動かしても沙織の髪はすぐにもどる、がっつりストレートだ。だから遠慮なく。
「え? 何? 何なの、初香ちゃん」
沙織はその様子に焦ったようだったが、イヤではなさそうで、楽しそうに声をあげた。
沙織の細い身体をギュと抱きしめて「……沙織は一番の友達だよ」とつぶやくと、沙織は不思議そうに首を傾げる。
「? わたしも初香ちゃんが一番のお友達だと思ってるよ?」
ああ、本当に可愛くてたまらない。やっぱり沙織はわたしの大事な親友だ。
「だよね!」
「うん」
その言葉にわたしは腹を据えた。
わたしにそうやって耳打ちをしたのはつい先日まで恋心を抱いていた相手、真田《さなだ》だった。
つい二ヶ月ほど前までわたしは真田が好きだった。
今となってはそんな恋愛感情はカケラすらも残ってはない。
その真田はというと今も以前もわたしの親友、沙織《さおり》に好意をいだいている。そしてその好意を向けられている沙織もまた真田に想いを寄せていた。だが沙織は元々恋愛関係にはとても疎く、真田の好意には気づいていなかった。そしてわたしに付き添って真田の試合を観ている時、必ず視線で真田の姿を追ってしまっていることにも、沙織の中に確かにあるはずの真田への想いにも気づいてはいなかった。
わたしはそんな沙織の気持ちに気づけなかった。ずっと真田を追うので精いっぱいだった。
『恋は盲目』とはよく言ったものだ。冷静になってみれば真田はずっとわたしではなく、隣にいる沙織の姿を探していたのに……。
わたしが沙織と真田の気持ちに気づくことが出来たのは秋庭《あきば》のおかげだった。
真田と幼なじみの秋庭。彼はシトラスの制汗剤を愛用する、爽やかな雰囲気の真田とは違い、ガッチリとした体型で女の子よりも男子から親しまれるタイプだった。クラスも一緒になったことはなく、ただ真田の幼なじみとしか認識していなかった秋庭の顔をまともに見たのは二ヶ月ほど前のこと。
体育館脇の自動販売機まで飲み物を買いに行った時、体育館から出て来た秋庭がわたしの目を真っ直ぐと見ていった。
「真田を諦めろ」
初対面なのにハッキリと。
「何言ってるの?」
「あいつはお前を見ていない。今も、そしてこれからも。だからムダだ」
「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないわけ?」
「それは……」
初めて秋庭が視線を逸らした。その時、少しだけ残念に思えた。わたしが好きなのは真田なのに、ずっとそのまっすぐな目を逸らさないでほしいと思ってしまったのだ。わたしの願い通り、再び真っ直ぐにわたしだけを捉えてた秋庭は気合を入れるように小さく息を吸い込んで、爆弾を投下した。
「真田はあんたの友達が好きなんだ」
「え……?」
あんたの友達って沙織のこと?
「なん……で?」
「……ずっと応援に行っていただろう」
「わたしだって!」
応援に行っていた。……沙織と一緒に。
『一人じゃ寂しいからついて来てほしい』――そう誘ったのはわたしだった。
沙織はそれからずっとついて来てくれていた。今日だってそう。
「あんたがずっと真田の応援に行っていたのは知っている。柔道場とサッカーのグラウンドは意外と近いからな。もちろん当の本人、真田だってそのことはよく知っている。だが真田の目が捕らえたのはあんたじゃなかったって話だ。あいつは昔から真っ直ぐだから、一度ほれたら他なんか目もくれない。……だからムダなことは止めて諦めろ」
沙織はわたしの一番の友達で、だからこそ沙織がどんなに可愛くて、そして優しいことをよく知っていた。
もしそれが他の子だった諦められるわけもなく、秋庭の言う『ムダ』な行動をくり返すのだろうけど……よりによって沙織なんてね……。
あの子だったら仕方ないって、諦めるしかないって思える。
だってもしもわたしが男だったら確実にほれている。ファーストコンタクトで微笑まれては恋に落ち、本当に面白いって思った時に遠慮なく大きく笑いの花を咲かせる姿に心をときめかせ、極め付けにお弁当で胃袋をつかまれてノックアウトだ。もう一連の流れは完璧にイメージ出来てしまう。付き合ってくださいを通りこしてお嫁さんに来てくださいと言ってしまってもおかしくはないだろう。
「そっか……」
それだけを言い残して、生ぬるくなった二つのペットボトルを両手に持って沙織の待つグラウンドへと向かったのだ。
「沙織、お待た……せ」
沙織の姿を見つけ、駆け寄った。するとちょうど沙織と真田の目が合っている瞬間だった。秋庭の、真田が沙織にほれているという情報の正しさが目に見えてわかる。あれは恋する目だ。わたしだってさっきまであんな目をしていたはずだ。そしてもう一つわかってしまったことがある。同じ目を沙織もしていることに。
秋庭だって気づいていないだろう。
きっとわたしだけが気づいている。
ピーっとホイッスルの音で真田の視線が沙織から逸れると「さーおりっ!」と後ろから抱きついた。
「初香ちゃん! お帰りなさい」
「ただいまー」
「おそかったね?」
「うん、ちょっと……ね。はい、たのまれてた紅茶買ってきたよ」
「ありがとう」
そう言って微笑む沙織はやっぱり可愛かった。
深窓のご令嬢のような見た目で笑う姿は小動物のよう。思わずわたしより頭一つ分小さい沙織の頭に手が伸びる。
「沙織は可愛いなぁー。よーしよしよし」
ワシワシワシと頭の上で手を動かしても沙織の髪はすぐにもどる、がっつりストレートだ。だから遠慮なく。
「え? 何? 何なの、初香ちゃん」
沙織はその様子に焦ったようだったが、イヤではなさそうで、楽しそうに声をあげた。
沙織の細い身体をギュと抱きしめて「……沙織は一番の友達だよ」とつぶやくと、沙織は不思議そうに首を傾げる。
「? わたしも初香ちゃんが一番のお友達だと思ってるよ?」
ああ、本当に可愛くてたまらない。やっぱり沙織はわたしの大事な親友だ。
「だよね!」
「うん」
その言葉にわたしは腹を据えた。