六

 校舎に戻ると、東雲君は五階の資料室ではなく中庭に向かっていた。
 普通科、難関大学進学を目的とした特進科に加え、あらゆる専門の技術を学ぶ専門科は、カリキュラムの関係で校舎が分かれている。普通科と特進科は技術や美術、音楽がない限り近付かないうえ、クラス同士の関わりもほとんどないため、同じ学年でも顔と名前が一致しないことが多い。
 専門科の校舎――多くの生徒は別館と呼んでいる――は中庭を中心にして分かれており、その片隅にはゴミ捨て場になっている倉庫がある。四畳くらいの大きさの倉庫は古い丸落としがかかっているだけで、誰でも出入りが可能だ。
 扉の引き戸を開けて中に入ると、東雲君はおもむろにゴミ袋の口を開いて漁り始めた。
「祥吾、お前なにしてんの? 腹でも減った?」
 彼の行動を不審に思った巳波先輩が声をかける。若干顔が引きつっているのは気のせいではないだろう。流石に私もゴミを漁ってまで食事を求めるのは抵抗がある。
「裕司先輩は俺がゴミを食べるところ見たことあんの?」
「いや、見たこと無いから聞いてんだよ」
「専門科のゴミだったら、金属くらい一緒に捨てられるだろ」
「……あ!」
 思わず声が出た。
 首を傾げる巳波先輩を横目に、私も倉庫の中に入ってゴミ袋の中を漁り出した。
「え……牛山、お前も腹減ってんの?」
「減ってません! 先輩、暇だったら技術室と金工室を見てきてください」
「は? 技術室と、金工室? ……ああ」
 そういうことか! と大きな独り言を叫びながら先輩は専門棟へ向かった。
「なんだ、やっぱりアンタもわかってたんじゃん」
 可燃物の入ったゴミ袋を漁りながら、東雲君が私に向かってニヤリと口許を緩めた。
 彼が探しているものは誰かの食べ残しでもテストの答案用紙でもなく、実咲の南京錠を開けるために使用した合鍵だ。
 先程瑛太が気付いた【焦げ臭い】匂い。もしこの匂いが関係しているとするならば、低コストで鍵を作り、開けることができあの方法が考えられる。そして作った合鍵は、普段から置かれているゴミ袋の中に入れて捨てることも可能だ。
 もしこの推測が間違っていなければ、犯人は合鍵を捨てた可能性が高い。さすがの犯人も、合鍵をずっと持っている訳にはいかないだろう。それが学校以外で破棄されていたとしたら――もう遅いかもしれないけど。
「東雲君、どうしてわかったの?」
「さぁな」
 答えにならない返事をしながらも、彼は手を止めることなくゴミ袋を漁る。
 異臭が充満するこの狭い倉庫に、長時間滞在するつもりはお互いに毛頭ない。しかし小さい倉庫ながらも可燃やプラスチック、ビン、缶といった様々な種類の袋に分けられ、足元を埋め尽くした挙げ句、上に重なって乱雑に置かれているゴミ袋の山は、二人で手分けしても時間がかかってしまうのは明白だった。
 専門棟に向かわせた巳波先輩が早く戻ってくることを願いながら、次のゴミ袋を開けた瞬間、袋から溢れ出した腐った臭いが顔に直撃した。
 飲み残しが入ったまま捨てられたのか、袋の口元には飛び散ったジュースがシミのように張り付いており、底には黒ずんで溜まった液体が異臭を放っている。思わず袋を閉じて顔をしかめてえずく。肺の空気を入れ替えたくても、吸って出ていくのは埃と異臭だけ。
 ああ、最悪。触りたくもない。でもこの袋の中に鍵が入っていたとしたら……?
「…………うう」
 ……やるしかない。でも嫌だな……。
 手を入れることを躊躇していると、東雲君が私の目の前に可燃ゴミの袋を差し出した。
「牛山ちゃん、その袋とこっち交換して」
「え? でもこれ飲み残しが……」
「いいから。変えて」
 有無を言わさず強引に袋を取り替えられると、東雲君は袋を開けてすぐ顔をしかめた。それでも恐る恐る二本の指で慎重に空き缶を持ち上げて確認していく。
 私が嫌な顔をしていたから無理して取り替えてくれたのかもしれない。ちょっとはいいところあるじゃん。――なんて思いながら渡された袋を開ける。
 それにしても、可燃ゴミにしてはやけに軽い。中から聞こえてくる音も紙きれだけのようだ。職員室のシュレッダーにかけられたプリント類だろうか。
 袋を開けてみると、シュレッダーのような綺麗に揃えられた紙ではなく、雑に破かれたプリントが大量に入っていた。
 その中から何となく手に取ると、緑色の線が入った原稿用紙には「反省」の文字が書かれていた。気になって似た筆跡のものを探して二、三枚ほど繋ぎ合わせて見ると、丁寧に綴られた反省の言葉が並べられていた。

『――反省……私は……グロス一点……万引きし……』
『気がついた時には……入れて』
『反省し……従うこ……』

 これだけではない。他にも反省文らしき紙切れがいくつか見つかった。インクが滲んで読めないものや、細かく千切られているものがあってすべてが読めたわけではないが、その中でも気になる人物の名前がはっきりと残っていた。
『二年A組 桜井朋美』
 桜井朋美――戸田君と一緒に教室に乗り込んできたA組の学級委員だ。
 そういえば彼女は、B組の教室から出てきた私を目撃したと言っていた。
 実際に私は、B組の教室の前は通っても中に入ったことは一度もない。――知り合いのいない教室に好んで入る意味が、私にはわからない。――それに加え、彼女は私がピッキングができるのではと鎌をかけてきた。苦い顔をして答えてしまった私を見て、彼女は確信を持ったのだろう。あんなに堂々としていられたのは、それがあったからかもしれない。
 いつの間に隣に来ていたのか、東雲君が横から顔を覗かせて反省文の切れ端を見つめていた。
「戸田と一緒に来てた女子か。へぇ、あんな優等生ぶってんのに万引きしちゃうとか、世の中何があるかわからねぇモンだな」
 何を感心しているんだこの人は。
「それにしても、反省文って本当に書かされるんだな。初めて見た」
「え? 東雲君は書いたことないの?」
「ねぇよ。それなりに授業は出てるし成績も問題はない。案外身なりだけで判断する教師ばかりじゃねぇってことはわかってる。大体、反省文を書く程しでかした奴が……」
 彼はそう言いながら可燃ゴミ袋の中に手を入れ、他の切れ端を持ち上げて見比べる。いくつか見ているうちに、彼は眉をひそめた。
「……これって、誰が管理してるか知ってる?」
「誰って……生活指導だから担任か……生徒指導の先生じゃない?」
「これ見て」
 ゴミ袋から紙の切れ端を私に差し出す。桜井さんが書いたものの他に、明らかに他の生徒が書いたであろう原稿用紙が破れた状態で出てきた。――「万引き」「暴行」「口論」「ゲーム機」どれも反省文の一部分であることが見受けられる。どれも筆跡がバラバラだから少なくとも四、五人分の反省文が混ざっているだろう。名前までしっかり破られているから人物を特定するのは困難だ。辛うじてどの用紙にも【二年A組】と書かれていることがわかった。
「どういうこと……?」
 A組は特進科――普通科よりも倍の授業量と教師陣の目が光る、いわゆるエリートクラスだ。そんなクラスから生活指導が入るのは、学校としては宜しくない事態といえるだろう。しかし、反省文の通りに指導が入るような出来事があったとしても、すべて事実であるという証拠はない。
 この学校の生徒は皆、口が軽いうえ噂話が好物であることは、私が騒ぎの犯人扱いされて――半分は東雲君のせいで――理事長の息子と教師に喧嘩を売ったという話が、たった数時間で校内全体に広がったことで実証されただろう。
 それにも関わらず、反省文を書いた生徒達が噂にも引っかからないのはどう考えてもおかしい。生徒が問題を起こしたなどという生徒絡みの情報は、必ずどこかしら漏れているようなものだ。仮に私と東雲君が校内の噂や流行に疎くても、生徒会長の業務とはいえ、校内で起きたあらゆる事件を一からまとめてファイリングしている巳波先輩が知らないはずがない。巳波先輩がどれだけ間抜けだったとしても、あの几帳面な性格が反省文を書かされるレベルのことをしでかした生徒を調べないわけがない。
「反省文を書いている全員が二年A組の生徒……生徒指導担当か担任の教師が反省文を書かせたとしても、保管せず破り捨てることはないだろ」
「誰かが破いて捨てたってこと? ……もしかして証拠隠滅のため? 学校の内外に広まらないように、とか……」
「同じことを繰り返しさせない為に反省文を書かせたにも関わらず捨てるか?」
「うっ……せ、先生が捨てたとか限らないんじゃないかな? 生徒だって職員室には入れるし、手で破くなんて誰でもできるでしょう?」
「在り得ない話ではない……が、リスクが高すぎる。仮に生徒がこれを盗んで捨てたとして? 見つかったら即呼び出されて謹慎処分、校内に噂は広まるだろう。管理しているのが職員室ならもっと大事かもになっているかもな。それにしてもこのタイミングで見つかるってことは、これを捨てた奴は随分焦ってたのか? 俺達が何か探しているのもわかってたのかもしれねぇ。……これは、不味いかもなぁ」
「不味いって?」
「学校側が隠蔽しようとしていた証拠を見つけちゃって、退学に一歩近づいちゃったかも?」
「そ、そんなことある……? だってこれは校内で起こった盗難とは関係のない反省文でしょ?」
「関係あるかどうかは、俺達が判断できることじゃねぇよ。でも少なくとも、このタイミングで桜井の反省文が見つかったってことは、嫌な予感してるんだよなぁ……」
 眉をひそめ、難しそうな顔をする。そしてまたブツブツと独り言を呟き始めると、ああでもない、こうでもないと頭を抱えた。
 これって結構やばいんじゃない?
「東雲君、とりあえず一度出て先輩と合流しない? 桜井さんが万引きしたっていう話も、もしかしたら先輩のファイルに書いてあるかも――」
 ようやく重い腰を上げた瞬間、倉庫の引き戸が嫌な音を立てながら閉まった。
「ちょっ……待って!」
 急いで引き戸に駆け寄った途端、扉にかけられた丸落としが落ちた音がした。
 思い切り引き戸を叩いて中にいることを伝えようとするが、外にいる誰かは反応してくれない。建付けが悪いことをいいことに、強引に引っ張って壁の隙間から覗くと、校舎に入っていく人物の後ろ姿と、壁を繋ぐように跨いでいる扉につけられていた丸落としの鉄の棒が見えた。
 彼の嫌な予感は的中した。
 言うまでもなく、私たちはこの薄汚いゴミ置き場に閉じ込められたのだ。