十三
――私がある例え話をしたのを、貴方は覚えているだろうか。
ある日、貴方がとある人物と金銭トラブルで口論になったその数時間後、その人物が何者かの手によって殺されてしまった、という突飛すぎるある話だ。
貴方は現場からかなり離れた場所にいたが、一人で行動していたこともあってアリバイがなく、自身の無実を証明できるものがない。そんな中、現場付近に隠すように捨てられていた包丁から、相手の血痕と貴方の指紋が残っていた。
それがきっかけとなり、警察と名探偵から事情聴取に呼ばれてしまった貴方。――ここまでのことは思い出してくれただろうか。
突飛で過激な例題をなぜまたここで出されたと疑問に思ったことだろう。あの例え話に変更した点があった訳ではない。内容は同じものだ。だからこそよく考えてみて欲しい。
名探偵はあらゆる情報を集約して、貴方を指してこう語り始めた。
「貴方は最近、被害者と揉めていたそうですね。犯行時刻に貴方を見かけたという目撃者からの情報があるんですよ。
「……自分じゃない? いやいや、証言してくれた人はちゃんと貴方の顔を見たと話しています。それに包丁に付着した貴方の指紋はどう説明していただけます? 言い逃れはできませんよ。
「私は許せないのです。なぜ貴方のような人がこんなことをするのか。何かしらの事情があったにせよ、包丁の指紋が事件を物語っているように思えて仕方がない。金目的で殺すなんて、よほどの殺意があったのでしょうね。どうして周りの人に相談してくれなかったんですか。
「……きっと被害者も、貴方の口から答えを待っています。貴方だって、心のどこかで絶対後悔していると思うんです。今ならまだ間に合います。自分に嘘をつかないで。……さぁ、今こそ真実を話すのです!」
名探偵はいかにも悲しそうな顔で、知りもしない貴方と被害者の心理を勝手に組み立てた推理を押し付けてくる。
ここで貴方と名探偵との間にズレが生じている。
口論になったきっかけはただの小銭の借り貸しで、知っているのは貴方と相手のみ以外、誰も知らない。いや、誰かに相談すればほど馬鹿らしいと笑われる額だ。名探偵には恥ずかしくて金額を伝えてはない。そして貴方は犯行現場から離れた場所にいたことも事実で、殺せるはずがない。
それでも血まみれの包丁に付着していた指紋は貴方のもので、貴方が近くにいなかったことを証明してくれる人も物も存在しない。貴方が誰にも話していなくても、被害者が誰かに相談していたのかも不明だ。
人望の厚い名探偵の言葉を受けた警察は勿論、周りの人々は冷たい視線を向け、貴方から離れていく。匿ってくれる味方はいないと思ってもいい。この状況下で自分の今後が危うくなっても、笑いながら無実を訴え続けることができますか?
――という問いかけに、貴方は答えられただろうか。
周りには誰もいなくて、頼れるものが何もないこの状況に、貴方は耐えられたのだろうか。
……あれ、もしかして貴方も迷っているの?
それじゃあ、ここで少し、登場人物を増やしてみようか。
大勢の支持を集めた名探偵に自首を促された貴女が何も言えず口ごもっていると、名探偵は不敵な笑みを浮かべた。
この重圧な空気に耐え切れなくなって、認めてしまおうと口を開きかけたその時、名探偵と貴方との間に突然『羊』が割り込んできた。人目も気にせず入ってきたその羊は、とても眠そうな目を擦ると首を傾げながら名探偵に問う。
「俺抜きで随分楽しそうなことをしてるじゃん。
「なんの話? 教えてよ。
「金銭トラブルからの殺害……これはまた、随分大きな事件だな。
「で、そこの人が犯人?
「ふーん……本当にこの人が犯人なのかな?
「何千円とか何十万、何百万円の貸し借りだったら別だけど、貸し借りしていたのは小銭でしょ。人を刺す程の殺意が芽生えるかな?
「例えば被害者が相当な小銭マニアだったとして、十円玉の淵にギザギザの模様が入っている――『ギザ十』欲しさに交渉していたとしても、代わりの十円を用意するのは当たり前なんじゃない? フェアな取引は必要だってことくらい、誰でも理解していると思うんだけどな。
「そうそう、指紋が付いた凶器の包丁ってさ、この人の家から余計なところを触れないように盗めばそのまま捨てられるよね。ちゃんと調べたの?
「どういう意味って、そういう意味だよ。
「わからない? この人の家に堂々と立ち入った人物が、この中に紛れていないかって聞いてんの。
「そもそも目撃情報がおかしいんだよね。見た人がいるって言葉だけで証明できるものがない。
「被害者が刺されたのは人通りが多い場所ではないけど、そういう場所にこそ、見つからない場所に監視カメラが設置されているモンじゃない? そこから割り出すことができなかったのはなぜ?
「もしかしたら襲われる場面が映っていたかもしれないのに、どうして目撃者の証言だけで幕引きを図ろうとするのか、不思議で仕方がないなぁ。
「そういえば包丁っていつ見つかったの? タイミングによっては警察官が探しているフリをして、偶然見つけたように偽装することだってできるじゃん。
「つか、そもそもなんでアンタがこの人と被害者の口論の内容を知っているわけ? 相談でもされてたの?
「……この人が、言ったから? でもアンタ、たかが二十円って言ってたよね? この人、金額入ってなかったよ。
「知ってたってことはアンタは両者と面識があったってことだよな? そしてその相談の内容が殺害動機だってことも事前にわかっていたとしたら……やばいね?
「まあ、二十円くらいで殺意芽生えちゃう神経質もやばいけど。
「名探偵でも見落とすこともありますよねぇ……。あれ? でも面識があったことは証言できるよな。なんで隠してんの?
「――ところで、そこの鑑識の制服を着た人。さっきから挙動不審だけど、なにか後ろめたいことでもあるの?」
饒舌に話す羊が目を向けた先にいる人物は、冷や汗をかいて一歩下がった。大勢の人が眉間にしわを寄せて、彼らを見合う。困った表情を浮かべる人もいれば、名探偵を睨みつける人もいる。羊に指摘された鑑識の制服姿の人物は、恐れているかのように震えていた。
動揺を必死に隠そうとする名探偵に、羊は一気に詰め寄った。
「名探偵さん、今どんな気分? 俺はすっごく楽しいよ。
「周囲の迷惑を考えることなく圧倒的な権力で犯人を特定して叩き潰す――アンタの一番得意とするパフォーマンスが、俺の法螺話一つで崩れた挙げ句、疑われる側に逆転してしまったこの状況。
「最高だね。
「アンタのシナリオ通りにはならなかったのは残念だったね。こういうのは気にしちゃダメだよ。何事も切り替えが大事。また次があるよ。
「……あ。次なんてないか。だってこの後の行き先は決まっているもんね。
「明らかに殺意が込められた刺し傷と、他人に罪を擦り付けるためのアリバイ工作、慎重に事を進める為に細かく立てられた実行計画。
「これはもう間違いないね。はいお疲れ様。
「ん? 『人を嵌めて何が楽しいか?』だって?
「ちょっと待ってよ、もしかして俺の話を本気で捉えたの?
「俺が今まで話してきたのはすべて仮説さ。推理とも正解とも、何も言っていない。
「誰が好んで推理なんかするか。
「別に俺は推理ごっこに興味があるわけじゃない。完璧な推理を謳うアンタに、俺がちょっかいを出したくなっただけ。
「だって、正しい答えだけの推理なんて面白くないじゃん!
「俺は、どや顔のアンタの推理を壊したくてたまらないだけ。これ以上に楽しいことなんて、今の俺にはないよ。むしろご馳走さ!」
高々と嘲笑うその羊の姿を前に、名探偵は口を開けたまま震えていた。
「この羊、本当に大丈夫か、刺激が強すぎるぞ」――その疑いは正しいと思う。第三者とはいえ、個性が強すぎて誰もがひっくり返ってしまうのは困りものだ。
……自分で勧めておいて、だけど。
羊はケタケタと嗤うと、急に真顔になって貴方の方を向く。
「アンタは……ええっと、誰だっけ?
「あ、初めましてか。悪いね、人の顔と名前を覚えるのが苦手でさ。
「こんなことに巻き込まれてアンタも大変だね。
「ところでさ、失礼なの承知で聞いてもいい?
「アンタ、犯人なの?」
小首を傾げながら聞いてくる羊は、問いかける言葉もそのキョトンとした表情もすべてが腹に立つ。
――実は、私も似たようなことをを問われたんだ。
あの時は自分のことで頭がいっぱいで、考えることさえも嫌になっていた。自分を信用してもらえない悲しみの方が強かったから、余計に彼に強く当たってしまった。
溜め込んだ苛立ちも悔しさも全部吐き出して落ち着いた後、彼の顔を見たときにぞっとした。
どんな理不尽な理由で八つ当たりをされても、優しく笑っていた彼を恐ろしく思えてしまったのだ。
今思えば随分ふざけた質問をしてきたり、聞いている方がヒヤヒヤする煽りを途中で入れてきたりしたのは、本気で怒らせることによってその人の本音を吐かせるためだったとしたら――? そんな仮説を立ててしまう程、真顔で問う彼の目は本気だった。
もう過ぎた話だし、一瞬のような出来事をいちいち覚えていられないけれど、それでもあの場面はやけに印象深く残っている。
だからだろうか。その一瞬があったから、私は自分の今後の学校生活を、将来を、人生を彼に賭けることができた。
結果的に私は彼に無実を証明してもらい、それからの生活にそれほど変わることはなかったけど――ちょっとした脅しはされたが――、あの時彼に賭けなかったらどうなっていたのだろうか。
もしかしたら、あのまま犯人扱いされて学校を退学していたかもしれないし、全てが嫌になってこの世を自ら命を絶っていたかもしれない。 騒ぎが落ち着いた今でもふと考えてしまうことがある
私は、そんな最悪のシナリオのせいでに貴方に悲しい思いをしてほしくない。
だからこれは、私が迷っている貴方に贈る、最初で最後の選択だ。
そりゃあ、かなり曲者で変人で、興味のあること以外はほとんど寝ている問題児だろうけど、いざとなった時にまともなことを言葉にできる羊が居れば、少しは気が楽になるんじゃないかな。
一人でも賭けられる味方が傍にいるって最高じゃない?
最初は信用できないふざけた野郎でも、少しずつ知っていけばいい。そして天と地くらいの二択の賭けに出ると決めたとき、きっと味方は貴方の隣にいてくれるだろう。
「どうする? アンタの無実、俺が証明してやるよ。ただし、仮説だから真実も法螺話も混ざる。真実に辿り着かないかもしれない。どうする?」
目の前に現れた羊が、不敵の笑みを浮かべて問う。
「俺はアンタを信じるよ」なんて真っ直ぐな瞳で言われてしまったら、賭けてみたっていいんじゃない?
【折り紙窃盗騒ぎ 了】
――私がある例え話をしたのを、貴方は覚えているだろうか。
ある日、貴方がとある人物と金銭トラブルで口論になったその数時間後、その人物が何者かの手によって殺されてしまった、という突飛すぎるある話だ。
貴方は現場からかなり離れた場所にいたが、一人で行動していたこともあってアリバイがなく、自身の無実を証明できるものがない。そんな中、現場付近に隠すように捨てられていた包丁から、相手の血痕と貴方の指紋が残っていた。
それがきっかけとなり、警察と名探偵から事情聴取に呼ばれてしまった貴方。――ここまでのことは思い出してくれただろうか。
突飛で過激な例題をなぜまたここで出されたと疑問に思ったことだろう。あの例え話に変更した点があった訳ではない。内容は同じものだ。だからこそよく考えてみて欲しい。
名探偵はあらゆる情報を集約して、貴方を指してこう語り始めた。
「貴方は最近、被害者と揉めていたそうですね。犯行時刻に貴方を見かけたという目撃者からの情報があるんですよ。
「……自分じゃない? いやいや、証言してくれた人はちゃんと貴方の顔を見たと話しています。それに包丁に付着した貴方の指紋はどう説明していただけます? 言い逃れはできませんよ。
「私は許せないのです。なぜ貴方のような人がこんなことをするのか。何かしらの事情があったにせよ、包丁の指紋が事件を物語っているように思えて仕方がない。金目的で殺すなんて、よほどの殺意があったのでしょうね。どうして周りの人に相談してくれなかったんですか。
「……きっと被害者も、貴方の口から答えを待っています。貴方だって、心のどこかで絶対後悔していると思うんです。今ならまだ間に合います。自分に嘘をつかないで。……さぁ、今こそ真実を話すのです!」
名探偵はいかにも悲しそうな顔で、知りもしない貴方と被害者の心理を勝手に組み立てた推理を押し付けてくる。
ここで貴方と名探偵との間にズレが生じている。
口論になったきっかけはただの小銭の借り貸しで、知っているのは貴方と相手のみ以外、誰も知らない。いや、誰かに相談すればほど馬鹿らしいと笑われる額だ。名探偵には恥ずかしくて金額を伝えてはない。そして貴方は犯行現場から離れた場所にいたことも事実で、殺せるはずがない。
それでも血まみれの包丁に付着していた指紋は貴方のもので、貴方が近くにいなかったことを証明してくれる人も物も存在しない。貴方が誰にも話していなくても、被害者が誰かに相談していたのかも不明だ。
人望の厚い名探偵の言葉を受けた警察は勿論、周りの人々は冷たい視線を向け、貴方から離れていく。匿ってくれる味方はいないと思ってもいい。この状況下で自分の今後が危うくなっても、笑いながら無実を訴え続けることができますか?
――という問いかけに、貴方は答えられただろうか。
周りには誰もいなくて、頼れるものが何もないこの状況に、貴方は耐えられたのだろうか。
……あれ、もしかして貴方も迷っているの?
それじゃあ、ここで少し、登場人物を増やしてみようか。
大勢の支持を集めた名探偵に自首を促された貴女が何も言えず口ごもっていると、名探偵は不敵な笑みを浮かべた。
この重圧な空気に耐え切れなくなって、認めてしまおうと口を開きかけたその時、名探偵と貴方との間に突然『羊』が割り込んできた。人目も気にせず入ってきたその羊は、とても眠そうな目を擦ると首を傾げながら名探偵に問う。
「俺抜きで随分楽しそうなことをしてるじゃん。
「なんの話? 教えてよ。
「金銭トラブルからの殺害……これはまた、随分大きな事件だな。
「で、そこの人が犯人?
「ふーん……本当にこの人が犯人なのかな?
「何千円とか何十万、何百万円の貸し借りだったら別だけど、貸し借りしていたのは小銭でしょ。人を刺す程の殺意が芽生えるかな?
「例えば被害者が相当な小銭マニアだったとして、十円玉の淵にギザギザの模様が入っている――『ギザ十』欲しさに交渉していたとしても、代わりの十円を用意するのは当たり前なんじゃない? フェアな取引は必要だってことくらい、誰でも理解していると思うんだけどな。
「そうそう、指紋が付いた凶器の包丁ってさ、この人の家から余計なところを触れないように盗めばそのまま捨てられるよね。ちゃんと調べたの?
「どういう意味って、そういう意味だよ。
「わからない? この人の家に堂々と立ち入った人物が、この中に紛れていないかって聞いてんの。
「そもそも目撃情報がおかしいんだよね。見た人がいるって言葉だけで証明できるものがない。
「被害者が刺されたのは人通りが多い場所ではないけど、そういう場所にこそ、見つからない場所に監視カメラが設置されているモンじゃない? そこから割り出すことができなかったのはなぜ?
「もしかしたら襲われる場面が映っていたかもしれないのに、どうして目撃者の証言だけで幕引きを図ろうとするのか、不思議で仕方がないなぁ。
「そういえば包丁っていつ見つかったの? タイミングによっては警察官が探しているフリをして、偶然見つけたように偽装することだってできるじゃん。
「つか、そもそもなんでアンタがこの人と被害者の口論の内容を知っているわけ? 相談でもされてたの?
「……この人が、言ったから? でもアンタ、たかが二十円って言ってたよね? この人、金額入ってなかったよ。
「知ってたってことはアンタは両者と面識があったってことだよな? そしてその相談の内容が殺害動機だってことも事前にわかっていたとしたら……やばいね?
「まあ、二十円くらいで殺意芽生えちゃう神経質もやばいけど。
「名探偵でも見落とすこともありますよねぇ……。あれ? でも面識があったことは証言できるよな。なんで隠してんの?
「――ところで、そこの鑑識の制服を着た人。さっきから挙動不審だけど、なにか後ろめたいことでもあるの?」
饒舌に話す羊が目を向けた先にいる人物は、冷や汗をかいて一歩下がった。大勢の人が眉間にしわを寄せて、彼らを見合う。困った表情を浮かべる人もいれば、名探偵を睨みつける人もいる。羊に指摘された鑑識の制服姿の人物は、恐れているかのように震えていた。
動揺を必死に隠そうとする名探偵に、羊は一気に詰め寄った。
「名探偵さん、今どんな気分? 俺はすっごく楽しいよ。
「周囲の迷惑を考えることなく圧倒的な権力で犯人を特定して叩き潰す――アンタの一番得意とするパフォーマンスが、俺の法螺話一つで崩れた挙げ句、疑われる側に逆転してしまったこの状況。
「最高だね。
「アンタのシナリオ通りにはならなかったのは残念だったね。こういうのは気にしちゃダメだよ。何事も切り替えが大事。また次があるよ。
「……あ。次なんてないか。だってこの後の行き先は決まっているもんね。
「明らかに殺意が込められた刺し傷と、他人に罪を擦り付けるためのアリバイ工作、慎重に事を進める為に細かく立てられた実行計画。
「これはもう間違いないね。はいお疲れ様。
「ん? 『人を嵌めて何が楽しいか?』だって?
「ちょっと待ってよ、もしかして俺の話を本気で捉えたの?
「俺が今まで話してきたのはすべて仮説さ。推理とも正解とも、何も言っていない。
「誰が好んで推理なんかするか。
「別に俺は推理ごっこに興味があるわけじゃない。完璧な推理を謳うアンタに、俺がちょっかいを出したくなっただけ。
「だって、正しい答えだけの推理なんて面白くないじゃん!
「俺は、どや顔のアンタの推理を壊したくてたまらないだけ。これ以上に楽しいことなんて、今の俺にはないよ。むしろご馳走さ!」
高々と嘲笑うその羊の姿を前に、名探偵は口を開けたまま震えていた。
「この羊、本当に大丈夫か、刺激が強すぎるぞ」――その疑いは正しいと思う。第三者とはいえ、個性が強すぎて誰もがひっくり返ってしまうのは困りものだ。
……自分で勧めておいて、だけど。
羊はケタケタと嗤うと、急に真顔になって貴方の方を向く。
「アンタは……ええっと、誰だっけ?
「あ、初めましてか。悪いね、人の顔と名前を覚えるのが苦手でさ。
「こんなことに巻き込まれてアンタも大変だね。
「ところでさ、失礼なの承知で聞いてもいい?
「アンタ、犯人なの?」
小首を傾げながら聞いてくる羊は、問いかける言葉もそのキョトンとした表情もすべてが腹に立つ。
――実は、私も似たようなことをを問われたんだ。
あの時は自分のことで頭がいっぱいで、考えることさえも嫌になっていた。自分を信用してもらえない悲しみの方が強かったから、余計に彼に強く当たってしまった。
溜め込んだ苛立ちも悔しさも全部吐き出して落ち着いた後、彼の顔を見たときにぞっとした。
どんな理不尽な理由で八つ当たりをされても、優しく笑っていた彼を恐ろしく思えてしまったのだ。
今思えば随分ふざけた質問をしてきたり、聞いている方がヒヤヒヤする煽りを途中で入れてきたりしたのは、本気で怒らせることによってその人の本音を吐かせるためだったとしたら――? そんな仮説を立ててしまう程、真顔で問う彼の目は本気だった。
もう過ぎた話だし、一瞬のような出来事をいちいち覚えていられないけれど、それでもあの場面はやけに印象深く残っている。
だからだろうか。その一瞬があったから、私は自分の今後の学校生活を、将来を、人生を彼に賭けることができた。
結果的に私は彼に無実を証明してもらい、それからの生活にそれほど変わることはなかったけど――ちょっとした脅しはされたが――、あの時彼に賭けなかったらどうなっていたのだろうか。
もしかしたら、あのまま犯人扱いされて学校を退学していたかもしれないし、全てが嫌になってこの世を自ら命を絶っていたかもしれない。 騒ぎが落ち着いた今でもふと考えてしまうことがある
私は、そんな最悪のシナリオのせいでに貴方に悲しい思いをしてほしくない。
だからこれは、私が迷っている貴方に贈る、最初で最後の選択だ。
そりゃあ、かなり曲者で変人で、興味のあること以外はほとんど寝ている問題児だろうけど、いざとなった時にまともなことを言葉にできる羊が居れば、少しは気が楽になるんじゃないかな。
一人でも賭けられる味方が傍にいるって最高じゃない?
最初は信用できないふざけた野郎でも、少しずつ知っていけばいい。そして天と地くらいの二択の賭けに出ると決めたとき、きっと味方は貴方の隣にいてくれるだろう。
「どうする? アンタの無実、俺が証明してやるよ。ただし、仮説だから真実も法螺話も混ざる。真実に辿り着かないかもしれない。どうする?」
目の前に現れた羊が、不敵の笑みを浮かべて問う。
「俺はアンタを信じるよ」なんて真っ直ぐな瞳で言われてしまったら、賭けてみたっていいんじゃない?
【折り紙窃盗騒ぎ 了】