十一

「……ちょっと待ってくれ、何を言っているんだい?」
 A組の教室内が騒然とする中、高岡先生は口元を引きつらせて東雲君に問う。
「私が黒幕? 言いがかりも程々にしてくれ、推理ごっこをしているんじゃないんだ。教師の私がそんなことをするわけ……」
「そう、これは『ごっこ遊び』でもなければ『推理』でもない。俺が話すのは仮説であって真実とは程遠いかもしれない。それでも今日は牛山の潔白を証明するって大勢の前で宣言したから。まぁ、冗談だと思って聞いてくれよ」
 二人が睨みあった途端、緊迫した空気にがらりと変わったのがわかる。
 教師という立場からの威圧感なのか、それを上回る東雲君の見下し加減なのか。私はただ、教壇の下から他の生徒と同じようにじっと見ていた。
 東雲君は先程取り出した、犯人の手がかりが書かれている証拠と謳った紙を開いて見せる。当然、中には何も書かれていない。
「とりあえず最初に証拠品って言ってたコレ。先生の言った通り、この紙には証拠も何も書かれてないただのコピー用紙の端切れ。……先生、大正解! どうしてここに書いてないってわかったの?」
 音が出ない拍手を送ると、東雲君は高岡先生の目の前で、綺麗に折られていた白い紙をぐしゃりと握り潰してその場に落とした。ぐしゃぐしゃになった紙が教壇に転がると、高岡先生のつま先に当たって止まった。
「し、東雲が自分で言ってたじゃないか、さっき原稿用紙に書かれていたって」
「可笑しいな。ねぇ牛山ちゃん、さっき俺はコレを『原稿用紙』だって言ったっけ?」
「……ううん。『紙』としか言ってなかったよ」
 これは確かだ。東雲君も桜井さん達も、一度も原稿用紙とは言っていない。
「紙と言ってもたくさんある中で原稿用紙に限定したのはなぜ? 偽物だと見抜いた紙は開いてもないよね?」
「そ、それは……反省文を……」
 あ、自爆した。
「反省文! そう、校則違反者には書かせる反省文はいつも原稿用紙だ。……あれ、可笑しいな。五人は反省文の話はしても、何の紙に書いたかは誰も口にしなかった。それはつまり……アンタは最初からその反省文の存在を知っていたってことになるよね?」
「知っていて当然だろう。私は生徒指導の担当だ。反省文を書く紙は原稿用紙だと知っているのは私以外にも数名の教師がいる。私だけが知っているわけじゃない。大体、用紙はバラバラに破られていた。見つかるわけが……っ!」
「あーあ。……俺、読めなかったとしか言ってないんだけど」
 東雲君は次々と高岡先生が隠していることを吐かせていく。
 口を滑らせた自覚があったのか、高岡先生は唇を噛んだ。
「……仮に、私が彼らに反省文を書かせたとしても、それが黒幕である証明にはならないじゃないか。それにロッカーにつけられていた南京錠とダイヤル錠のピッキングはどう説明するんだい? 私にそんな技術はないし、私がやったという証拠もない。牛山がやったことをすべて私に擦り付けようとしているんじゃないのか? 動画だって彼女を映していただろう!」
「動画の人物は桜井の変装だ。彼女なら牛山と身長が同じくらいだし、残りの四人のうち一人が所属している演劇部からウィッグくらい拝借しても問題ねぇだろ」
 私はふと、少し離れた場所にいる桜井さんを見る。最初に撮られた動画も、今の立ち位置と同じくらいの距離であれば見分けはつかないかもしれない。
「桜井……? だったらロッカーの鍵を開けたのは桜井じゃないか。なぜ私が関わっていると言い切れるんだい? 大体、撮られた動画は授業中だったんだろう? 私が関係のないクラスの教室で生徒と二人きりなんて、誰かに見られていてもおかしくはないはずだ」
「オイオイ、早とちりしすぎだろ。動画はピッキング中の場面を撮影していたわけじゃない。盗んだ後、アンタはもう一度同じ手順で盗んでいる動画を撮らせて編集したんだよ」
 昨日彼が見抜いた動画の仕組みを説明しても、先生は眉間にしわを寄せたままだった。
「……動画については理解した。でも実際にロッカーを開けて現金と折り紙の交換は行われている。
それはいつ、誰がどうやってできたんだ?」
「実際に盗まれたのは昨日の昼間……D組が体育の授業で教室が空になった時だ。
「五人のうちの誰かは、黒幕のアンタに言われるがまま、南京錠とダイヤル錠の鍵を外して折り紙を月謝袋に入れ、抜いた二千円を財布に戻した。その日の放課後に桜井を変装させ、ピッキングをしている動画を撮影し、編集したものを桜井経由で戸田に送った。
「これは最初に現金をロッカーで保管していた男子生徒の時も同じ方法で動画を撮影したんだろ。
「桜井が実際にピッキングをしたかは別の話だ。ピッキングって確か針金とか専用のツールとかで開けるんだっけ。でも桜井には使えないんだよ」
「使えない? どういうことだ?」
「桜井は二週間前、所属しているバトミントン部の練習中に手首を捻ってドクターストップをかけられている。初めてC組に殴り込みに来た時、アンタ、腕掴まれて痛そうにしてたよな」
 殴り込みなんて物騒な言葉が出ると、教室中がざわついた。
 実際には私を犯人として突き出そうとしていたところで、東雲君が間に入ってくれて有耶無耶になった時の話だ。
 そういえばあの時、私に向かって平手打ちをしようしていた桜井さんの腕を掴んでいたっけ。私のヘアピンのタコといい、東雲君はある意味視野が広い。
「もしかして先輩に調べてもらっていたのって、このことだったの?」
「まあね。ほら、俺の唯一慕っている先輩って人望があるでしょ? 誰がどの部活に入っているかなんてすぐ調べられるよ」
「手首を痛めている人間が、難しいピッキングなんてできるわけがない。それが素人なら尚更だ。
「開けられたとしても、教室に誰もいない時間は限られているし、鍵穴に新しくできたひっかき傷がなかったことからして素人ではなくプロか経験者。だから考える視点を変えてみた。
「――黒幕である人物が事前に作っておいた合鍵を、五人の誰かに渡して使わせたんじゃないかって」
 少し間を置いて、ゆっくりと言い放った彼の言葉に高岡先生は顔を歪めた。
「合鍵を作る……? そんなことのために金を出したとでもいうのか?」
 戸田君が不思議そうに問う。その傍らで震える桜井さんを一度だけ見て、東雲君は容赦なく突っ込んでいく。
「いやいや、それがさぁ……合鍵なんてライターとセロハンテープさえあれば型取りできるんだよ」
「ライターと、テープ……?」
「そう。実際に使っている鍵をライターで炙ると煤が付く。その煤をセロハンテープに張り付けて型を取るんだ。それを空き缶に貼り付けて形に添って切っていくと……あら不思議、鍵屋に行かなくても合鍵ができちゃった!」
 説明しながらポケットから空き缶で作った鍵を高岡先生の目の前に差し出す。更に実咲が使っていたオレンジ色の花のシールが付いた南京錠を掲げ、鍵穴に差し込んだ。すると、いとも簡単に即席の鍵が回り、掛け金が小さく音を立ててツルが弾けるように開いた。
 これには教室にいた全員が驚き、食いつくように南京錠を見る。
「これは合鍵の作り方をネットで探したら、鍵の修理を請け負っている会社のサイトから出てきた方法。でもこの方法は非常事態のためのものであって、悪用されるために載せているわけじゃないってことくらい、先生ならわかるでしょ。それをわかってて合鍵を作った。
「これを作るには、馬場が持っている南京錠の鍵の型が必要。でもそれは桜井を含む五人には無理な話。教師による巡回が授業中に行われていたら、すぐ見つかって生徒指導室行き、反省文を書かされて暫く要注意人物として監視されるだろうよ。
「――でもいるんだよ。見つからないうえ、校則違反を受けない立場にいる集団が。
「――そう、教師だ。高岡先生、生徒指導のアンタなら巡回にも出てたよな? 無人の教室に入って見つかったとしても『教室に空き缶が転がってました』とか言い訳できるもんな。
「アンタは事前に馬場の鍵を型取りして、金工室で合鍵を作った。そしてそれを昨日盗む前に桜井に渡したんだよ!」
「な、んで……っまさか!」
 高岡先生は不意に桜井さんを睨みつけるが、彼女はすぐ首を横に振った。
「私、捨てました! ちゃんとゴミ箱に捨てたのに、なんでそれが……!」
「ゴミ袋の底でも破れていたんじゃない? あの倉庫に何分も閉じ込められていたから、見つけられたのかもなぁ」
「嘘……」
「桜井……お前っ!」
 頭に血が上ったのか、顔を真っ赤にした高岡先生が東雲君を押しのけ、桜井さんに向かって拳を固めた右腕を大きく振り上げた。怯えた表情で足がすくんで動けない桜井さんを庇うように、戸田君が彼女の腕を引いて前に出ようとすると、颯爽と入ってきた瑛太が高岡先生の振り上げた腕を掴んだ。
「……ったく、これどういう状況? どっかの誰かさんが煽りに煽りすぎてこうなったんですか?」
「え……瑛太? なんで、教室に行ったんじゃ……」
「馬場先輩に呼ばれた。……間に合ってよかった」
「いっ……! 君は、教師になにを……!」
「何って、先輩方に危害を加えようとしていたので仲裁に入っただけですけど。これが俗に言う、スクールハラスメントってやつですか?」
 瑛太は高岡先生の腕を掴んだまま、長身を活かして数センチ低い先生の目をじっと見つめる。本人は睨んでいるつもりはないのだが、接点の少ない教師なら威圧的に見えるだろう。
「それに、そこのクッソムカつく東雲サンにお届け物もあったんで」
「クッソ可愛くない後輩、犬塚君。『ギリギリ滑り込みセーフ、いいタイミングで助かったよ!』とかそんな優しいこと言わねぇからな?」
「それは望んでいないので結構です。そんなに言うんだったら東雲サンも手伝えばよかったんじゃないですかー?」
「アンタらが来るまで時間稼ぎしてやったんだよ、少しは称えてくれたっていいんじゃねぇの?」
「誰を? バカですか、俺が東雲サンなんかを称える訳ないデショ」
「こんな時まで喧嘩してんじゃねぇよ! ったくお前らは!」
 遅れて突っ込みながら入ってきた巳波先輩は息切れを起こしていた。きっとミサキから連絡が来てすぐ来てくれたんだろうけど、陸上部の瑛太には追い付かなかったらしい。
 ……ちょっと待って。
「東雲君、今『時間稼ぎ』って言った?」
 私が聞くと、東雲君と瑛太は目を見合わせると鼻で嗤った。
「俺達、ツヅミ先輩達と別れてから別室で修復作業してました」
「犬塚君、器用そうだったから利用するしかないと思って」
「修復……?」
「本当に無茶苦茶なことやらせやがって! ……って、牛山、わかんねぇの? これだよこれ!」
 巳波先輩がそう言って手に持っていたボロボロの五枚の紙を掲げた。どれも沢山のセロハンテープに繋ぎ合わせられており、皺くちゃになっていながらも原稿用紙の線やそれぞれの反省文が、ボロボロの原稿用紙全てに黒幕の名前がはっきりと読めるほど修復されていた。

『――反省文。私は放課後、駅近くの薬局でリップグロス一点を万引きしました。勉強や家のことで考えることに疲れてしまい、気がついた時にはリップをポケットに入れていました。深く反省し、今後高岡先生の全ての指示に従うことを誓います。二年A組 桜井朋美』

 大量の原稿用紙の切れ端を、たった二人で残りを作り直したというのか。巳波先輩が額の汗を拭いながら言う。
「間に合ってよかったぜ。昨日の夜のうちに持ち帰って三枚は完成してたんだけどな、あと二枚がどうしてもできなくてダメだと思ったけど、犬塚が手伝ってくれて助かった。マジでありがとうな」
「本当、信じられない。まさか昨日数分しか会ってない見知らぬ上級生なんかに、こんなにこき使われるとは……」
 高岡先生の腕を掴んだまま、瑛太が大きな溜息を吐いた。
「俺もまさか犬塚を巻き込むとは思ってなかった。フォローできなくて悪かった」
「もういいです。……ツヅミ先輩を餌に釣らせようなんて、人使いが荒い変人は趣味が悪いことがよくわかりました。いつか詐欺師になりますよ、この人」
「結局釣られたんだから文句言うなっての。……まあ、いろんな人の協力があったおかげで、原稿用紙の修復と、合鍵を発見できたってワケ」
「あと金工室のゴミ箱から合鍵の型を取った空き缶の残りを見つけた。さらに専門科が資材を保管している準備室から針金が数本無くなっていると連絡がきた。資材管理には厳しい教師が毎日つけているチェック表は嘘をつかない。……となると高岡先生、貴方が小型カメラを木に取り付けたのに使った針金の可能性が高いのですが……見覚えはありませんかね?」
 巳波先輩が原稿用紙と一緒にビニール袋に入った、鍵の形に切り取られた空き缶、さらに木に括りつけてあったであろう曲がった針金を突き出す。
「更にある筋から、高岡先生が授業中の巡回しているときの時間帯を教えてもらいました。二年生の体育の時間に必ず出ているそうですね。加えて桜井含め五名の生徒と頻繁に生徒指導室で何か話をしているところを目撃されています。
「加えて昨日の放課後、専門棟と中庭を行き来しているところも確認済みです。専門棟には美術品もありますから、出入り口に防犯カメラが設置されていることくらい、高岡先生もご存じですよね? いろんな先生に許可貰ってカメラ映像を確認させてもらいました。生活指導の担当ではあるものの、一般教科担当の貴方が行くことのほとんどない専門棟を出入りしてた説明、していただけますか?」
 巳波先輩は淡々と話しながら複数の写真を教卓の上に並べていく。
 そこには私と東雲君の後を付いていく高岡先生の姿が鮮明に映っており、更に別館から針金を数本持って出てくる様子もしっかり捉えていた。
「そして極めつけは……犬塚君、犬並みの嗅覚はどうだ?」
「犬扱いしないでくれます? ……あ、本当だ。高岡先生、煙草吸ってますね」
 エイタは掴んでいた腕をじっと見つめた。鼻を小さく動くと、何か気付いたように話し始める。
「着火してからそんなに時間経ってないから、ここに来る前に一本吸ってから来てますね。日頃のストレスですか? 紙巻き煙草の中でも癖の強い銘柄のものとみた。
「なぜ銘柄がわかるかって? 親父の影響ですかね?
「あ、俺は吸いませんよ。当たり前じゃないですか。
「煙草の匂いを誤魔化すために香水をつけているみたいですけど、俺にははっきりわかります。だからあえて言いましょう。趣味が悪い。そこの東雲サンの人使いが荒い性格よりも何十倍も悪い。
「それと……ハンドクリームもつけていますね。確かこれは……『薬用ハンドケア・スベール』シリーズの無香料。馬場先輩の鍵からした匂いと同じです。
「確認の為にポケットにあるもの全部、教卓の上に出してもらえます? 
「胸ポケットの四角い箱と、合鍵を作るために使用したライター。勿論、ズボンのポケットに入れたハンドクリームも全部」
「はっ……!」
「このクッソ生意気で可愛くない後輩、犬塚瑛太君は犬並みに嗅覚が鋭い。きっと彼がいなかったら鍵についていた煤に気付かなかっただろうな、犬だけに!」
「いや、嗅覚良すぎだろ……」
 自慢げに話す東雲君の傍らで、ボソッと呟いた巳波先輩に頷く。
 嗅覚が鋭いのは中学の頃から知っていたとはいえ、二十人以上いる教室の中から高岡先生のものだけをピンポイントで嗅ぎ分け、更に商品名までわかるとは。流石の先生もドン引きしている。
 先生は唇を噛んでエイタに掴まれている腕を払って振り向くと、東雲君が待ち構えていた。
「……さて、一応これだけ証拠揃ってるんだけど、どう?」
 ――まだ続けんの?
 とても丁寧な口調で嘲笑った彼の目はまるで静かに伸びた氷柱のように鋭くて冷たくて、脅迫まがいなその言葉に高岡先生はその場に立ち崩れた。