九

 翌朝の空は快晴で、太陽の日照りが容赦なく降り注ぐ。こんなに良い天気なのに、駅から学校までの数十分が、今日ほど憂鬱だとは思ったことはない。登校中の私に刺さるのは日照りではなく、先程からジロジロと見てくる、同じ制服を身に着けた生徒の視線だ。
 それもそうだろう。今の私は最近頻繁に起こっている盗難騒ぎの容疑者で、理事長の息子を殴り飛ばした――実際はビンタしただけである――、今最も注意しなければならない生徒であるからだ。
 それだけだったらよかった。切実に。
「……ちょっと、なんで生徒会長まで一緒なのよ?」
「しょうがねぇだろ、同じ学校なんだから」
「裕司先輩、朝からうるせぇ……」
「生徒会長サン、声のボリュームを抑えてくれません? それか俺達から離れて歩いてください」
「朝から辛辣すぎやしないかお前ら!?」
 私を中心に、実咲と東雲君、瑛太が一斉に巳波先輩を弄っている。それはいつもの朝の光景にしてはとてもとても賑やかで、他の生徒が驚いて二度見をして凝視する程、注目の的だった。
 なんせ容姿端麗の実咲、スポーツ特待生で女子からの人気も高い瑛太、そして人望の厚い生徒会長の巳波先輩――この三人が揃えば周りがぼやけて見える。加えて眠そうに目を擦る東雲君も、問題児として既に校内に知れ渡っているうえ、啖呵を切った当人でもあるから、より注目度は高いだろう。
 彼らに囲まれていると、特に私のような普通――いや、窃盗犯の容疑者みたいな立ち位置の私が彼らの間に挟まれていると思うと気が重い。
「ツヅミ、ちゃんと眠れた?」
 先程から苦笑いが収まらない私に実咲が声をかけてくれる。
「まあ……うん。巳波先輩はともかく、二人とも部活は?」
「今日は朝練がない日なの。それにツヅミに何かあったら困るから一緒に登校しようって。そしたら瑛太も同じこと考えてたらしくて」
「まさか同じタイミングで、そっちの二人が声かけてくるとは思ってなかったので滅茶苦茶腹立たしいんですけど」
「一応俺、先輩なんだけど?」
「後輩ですけど何ですか? 年下に圧力かけても何も出てきませんよ」
「このっ……!」
 鼻で哂う瑛太に何も言えずに唇を噛み締める巳波先輩。どこかで見たことのあるような光景だ。
「でも私は純粋にツヅミと学校に行きたかっただけよ?」
 ニッコリと笑みを浮かべて言う実咲に、少し後ろにいる東雲君が苦い顔をして俯いた。
 彼女のこの表情は、本心では口が悪くなっているときだ。後ろの巳波先輩と瑛太の話を聞いて「煩いなぁ、さっさとどっか行け」くらい思っていてもおかしくはない。実際、何度かそれに近い小言を聞いたことがある。そしてそれは、東雲君にとっては昨年からずっと見ていたトラウマの笑顔だったのかもしれない。
「あら、どうしたの東雲?」
「ななななんでもない! 今日も馬場ちゃんは元気だなって思っただけです!」
 朝なのによく喋る東雲君は新鮮だ。二人のやり取りに呆れながらも、自分の頬が少し緩んだ気がした。ふと視線を変えると、どことなく嬉しそうに微笑んだ瑛太と目が合う。
「瑛太? どうしたの?」
「いえ。……先輩、やっと笑ったなって」
「へ?」
「ほら、疑われるようになってから無理に笑っている気がしていたんで。特に教室で公開処刑されたとき、俺は近くにいなかったから、少しだけ心配してました。……って、馬場先輩が」
 最後は後付けのように早口で言うと、瑛太は相変わらずの仏頂面で口元を少しだけ緩めてくれた。
 私が容疑者扱いされたのはほんの二、三日前のことだというのに、そんなに暗い顔をしていたのだろうか。鏡を見なければ自分の顔は見れないから、他人から見れば死んだ顔をしていたのかもしれない。
 瑛太とは中学からの付き合いではあっても頻繁に話していたわけではなかったけど、普段から周りの人の顔色を察して無意識に気遣う優しい人だということを、私はよく知っている。
「……心配かけてたね、ごめん。ありがとう」
「お礼なら全部終わってからにしてください。それに心配していたのは馬場先輩ですから。俺は先輩に付き添ったくらいで……」
 拗ねたようにそっぽを向く。後輩ながら可愛いところもあるものだ。
 すると突然、後ろと隣から冷たい視線が背中に刺さった。それは瑛太も同じだったらしく、同時にそっと振り返ると、実咲と東雲君がじっとこちらを睨みつけていた。
「瑛太? ツヅミと何楽しそうに話しているの?」
「犬塚君、ちょっと牛山ちゃんに近いんじゃねぇ? 馬場ちゃんに怒られる前に離れたら?」
「……俺、別に馬場先輩に怒られても仕方がないとは思って割り切っているんですけど、なんで昨日会ったばかりで性格の悪い東雲サンに注意されるのか、マジで意味不明です」
「奇遇だなぁ。俺も同じこと思ってたんだよ」
「あ、そうなんですか? そんなに後輩を妬まないでくださいよ。『嫉妬は悪い』言い方してたの、先輩でしょう?」
「アンタのどこを妬むって? ちょいちょい先輩後輩の上下関係を入れてくんじゃねぇよ。下剋上でもしたきゃそこの仲間外れ生徒会長にしとけ」
「生徒会長サンに下剋上したところで何を得られますか? ああ、少なくとも人望だけは東雲サンに勝てるか」
「俺の人望に勝とうだなんて随分ちっぽけな野望だね。止めた方がいい。絶対後悔するから」
「自分で言ってて悲しくなりません?」
「ああもう……顔を付き合わせるたびに喧嘩腰になるのやめて!」
 昨日初対面の癖に喧嘩を勃発させ、数十時間後にまた同じ繰り返しをする二人。言い争いの内容は先輩も後輩もない、小学生以下の悪口対決だ。
「放っておけばいいのよ、ツヅミ。やらせておけばいいの。……それより瑛太も東雲も生徒会長も、私のいないところでツヅミに手を出したら許さないわよ!」
「ちょっと待て。俺、何も言ってないしやってなかったよね? 無関係だったよな?」
 放っておけと言う割に加勢する実咲、更に理不尽な扱いを受けている巳波先輩。皆の後ろ姿がなんだか可笑しくて、いつの間にか笑って見ていた。

 校内に入り、教室の階が違う巳波先輩と瑛太と分かれて二年C組の教室に向かうと、待ち構えていたように戸田克之と桜井朋美が満面の笑みを浮かべて扉の前に立っていた。
「おはよう。焼かれる準備はできたかな?」
「朝からその煩い笑顔をどうも、今日はちゃんと歯磨きしてから来たか?」
 戸田君と東雲君がいきなりぶつかる。ああもう、どいつもこいつも朝から喧嘩して楽しいのか。
「それより牛山、お前は昨日の放課後どこに行っていた?」
「放課後? 東雲君と一緒だったけど……」
「ああ、それはもちろん知っている。お前らはどこにいた、と聞いているんだ」
 昨日の放課後は五階の資料室と中庭にあるゴミ置き場の倉庫くらいしか出入りしていない。
 資料室で原稿用紙の修復を試みていたが、五枚全て直すには時間がかかりすぎて、いつの間にか完全下校時刻の数十分前になっていた。流石にこの時間まで私が残っていると更に容疑がかかってしまうからと言って、三人でどうにか二枚分だけ完成させて帰宅したのだ。
 ちなみにゴミ置き場の臭いが付いた制服は、家に帰ってすぐ消臭スプレーを何度吹きかけても、ゴミ置き場の独特な異臭は残ってしまった。
 朝から嫌な臭いが染みついた制服を着るのが憂鬱だったことを思い出すと、戸田君はポケットから自慢のスマートフォンの画面を見せつけてくる。映し出された動画は、昨日閉じ込められた倉庫が映し出されていた。扉の隙間から細い針金のようなもので、鍵代わりの丸落としが突かれて外れると、中から私と東雲君が出てきた。そしてその場で二人で何かを話し、可燃物のゴミ袋を持って画面から去るところまで映し出されていた。
「お前ら、倉庫で何をしていた? なぜゴミ袋を漁って持ち去った? この倉庫の鍵を外したのは牛山、お前か?」
 真っ直ぐ私を見て戸田君が問う。すると隣にいた実咲が前に出た。
「ちょっと、何百人の生徒がいる中でツヅミを犯人扱いしすぎじゃない? 何を根拠にそんなこと言えるわけ?」
「盗まれた際の動画の件しかり、ピッキングができる人物が確定されている。状況証拠がそろっている以上、疑わない理由はないだろ」
「思い上がりもいい加減にして! 私はツヅミと中学の頃から一緒なの、この子は泥棒まがいなことは絶対にしない!」
「牛山を庇うか。別にいいが、お前のこれからの立場が危うくなるぞ。容姿端麗、成績優秀。他人が口々に言うお前への誉め言葉を、お前自身が知らないわけがない」
「私の評価なんてどうでもいいわ。理事長の息子だからって、個人的なことで権限使ってんじゃないわよ!」
「実咲、駄目!」
 歯をギリッと噛んで、今にも殴りかかりそうな実咲の腕を掴んで抑える。同じ性別でも関わらず、実咲の力は強くて自分が飛ばされてしまうのではと錯覚してしまう。そういえば彼女は馬鹿力の持ち主だった。
「離して、さすがにこれは一発殴らないと気が済まない!」
「そんなことしたら実咲が悪者になる! そんなの絶対に嫌だ!」
「ツヅミ……っ!」
 ただでさえ実咲は盗難騒ぎの被害者だ。そんな彼女まで犯人扱いする戸田君は到底許せないが、それ以上に彼女がこんな事に巻き込みたくないという気持ちの方が強かった。
「――――ははっ! なんだこれ!」
 緊迫した空気の中、後ろから東雲君の笑い声が聞こえてきた。横目で見ると、彼の口元はとても楽しそうに緩んでいた。
「よく撮れてんじゃん。今度は……へぇ、中庭の木にでも括りつけたか。時間通りの撮影ができて良かったね、口臭が怪しい戸田クン」
「さっきからその虐め同然の呼び方はやめろ! ……ははーん。そうか、そうやって俺を挑発しながら言い訳を考えているんだな? 時間稼ぎも無駄だ。どうして二人がこんなところから出てくる? 人目に触れられては困ることでもしていたのか? さあ答えて見ろ! そのバカバカしい、笑ってしまうような言い訳を!」
「……ったく、最近の学生はギャーギャー騒がしいな」
「なに……?」
 いや、東雲君も最近の学生でしょ。――とは、この状況で口には出せなかった。
「歯磨き忘れた戸田クン、アンタの得意な推理ってので教えてくれよ。なんで俺達がアンタと同じくらい臭い場所に二人で入っていったのか、アンタが謳う真実ってのを話してくれよ?」
「え?」
「正解を知っているから俺達に問いただしているんだろ? この倉庫で何していたと思う?」
 東雲君は彼のスマートフォンの画面を指で突きながら問う。それに対し、戸田君は苦虫を潰した顔をして唇を噛んでいた。
「……う、牛山とお前は手を組んだんだ。でも誰かの財布から金目のものを盗るにはハードルが高くなっていしまい、仕方がなくゴミ袋から誰かを恐喝できるネタを探してたんじゃないのか?」
「おーおー。大きく外れている割にはおまけの三角がついてきたか。……アンタ、定期テストだったら赤点レベルな話をよく推理だと言えたな、ふざけてんの?」
「なっ……!」
「確かに俺達はある目的でゴミ置き場の倉庫に入って探していたよ。
「……そうだな、犯人を恐喝できるネタ探しってところだな。金銭目的じゃない。
「考えてみろよ、問題になっている盗難騒ぎの犯人が盗んだものはすべて現金だ。誰が好んで現金をゴミ箱に捨てる?
「捨てるほど札を持ってる奴がいるなら、一度拝んでみたいものだね。
「それとこの動画、倉庫から出てくるところはあっても俺達が入ってくるところは映っていないけど、どうしてこの中に俺と牛山がいるってアンタは断言できたのさ?
「実際に俺達が入っていくところを見ていたのなら、どうして倉庫の鍵がかけられた場面の動画がない? また誰から動画を貰ったのか?
「答えてみろよ、犯人が牛山だっていう理由がアンタにあって答えられるから、こうやって聞いてきたんだよな?
「……わからないとは言わせねぇぞ」
 東雲君の質問攻めに戸田君の目が泳いだ。論破できる相手ではないことを察したのか、戸田君が顔を背けたその瞬間、東雲君は彼のワイシャツの胸倉を掴むと、近くの壁に力づくで押し付けた。鈍い音が廊下に響くと同時に、顔を歪める戸田君を東雲君は見下すと、嘲笑うように口元を緩めて彼の耳元で言った。
「推理とか真実とか、知ったかぶりの言葉を自慢げに並べて語ってんじゃねぇよ。めちゃくちゃカッコ悪いぜ、アンタ」
 苛立ちを隠しきれない彼の声に、戸田君は放心状態でその場に立ち崩れた。近くにいた私はもちろん、今にも殴り掛かりそうな実咲も腕の力を弱め、戸田君の隣に立っていた桜井さんも、ただ唖然として彼らのやり取りを見ていた。
 戸田君を見下ろしていた東雲君の表情は笑みを浮かべていたにも関わらず、後ろ姿ではとても怒っているように見えた。
「アンタも、もう茶番に付き合う必要ないだろ」
「え……」
 東雲君はその表情のまま、桜井さんの方を向いて言う。先程と打って変わって優しい声だった。
「牛山ちゃん」
 彼は振り向かず、私に言う。
「化けの皮剥がしに行くから、付き合ってよ」
 東雲君は座り込んだままの戸田君が持っていたスマートフォンを拾い、横を通って歩き出す。廊下にいた生徒は皆、彼に道を開けるように両端に寄る。道の真ん中を堂々と行く東雲君の後を、恐る恐る追いかけた。