高校最後の夏休み、私は親友の友紀(ゆき)に誘われて夏祭りに繰り出すこととなった。


『いい? 当日は絶対に浴衣を着てきなよ』


 そう念を押されていたので、正直、面倒臭いと思いながらタンスの奥に眠っていた浴衣を出し、お母さんに頼んで着せてもらった。

「それにしても、どういう風の吹き回し? あんたが自分から『浴衣着たい』って言い出すなんて……」

 やっぱり、お母さんも疑問に思ったらしい。

 私は苦笑いを浮かべると、「友達に言われたから」と答えた。

「なんか知らないけど、浴衣着て来い、って強く言われた」

「なるほどねえ」

 何が『なるほど』なのかは分からないけれど、私が浴衣を出した理由だけは納得したようだ。

「ま、とにかく、あんまり遅くならないようにするのよ?」

 母親はそう言うと、最後の仕上げとばかりに、結ばれた帯を、ポンと叩いた。
 ◆◇◆◇

 待ち合わせ場所の児童公園に着くと、友紀はすでにいた。
 が、彼女はひとりではなかった。

「おお! やっと来た!」

 私に手を振っている友紀のすぐ側には、見覚えのある男子がふたり。

 ひとりは同じクラスにいる友紀の彼氏、もうひとりは、これまた同じクラスの上村(かみむら)だった。

 ――なんで上村がここに……?

 訝しく思いながら三人に視線を送ると、それに気付いた友紀が少し気まずそうに肩を竦めた。

「ごめんね。ほんとは莉子(りこ)とふたりっきりで楽しみたかったんだけど、こいつがどうしてもって言うから……。でも、そうなると人数が半端になるし……。で、どうしようかってこいつと相談して、上村君も誘っちゃおうかって話になってね」

「――ふうん……」

 どうにもわざとらしい言い回しに、私の疑惑はさらに大きくなった。
 けれども、これ以上は追求する気にもなれなかったので黙っていた。

 一方、友紀達に無理やり連れて来られた――と思われる――上村は、私に向けて微笑しながら軽く頭を下げてくる。

 けれども、私は笑い返すどころか、よけいに眉間に皺を寄せた。
 愛想笑いは苦手なのだ。

「さ、とにかく早く行こっ!」

 気まずくなりかけている空気を払拭するかのように、友紀は明るく言った。
 ◆◇◆◇

 お祭りの会場となっている神社は、いつもの淀んだ雰囲気とは打って変わり、ズラリと掲げられた提灯と、ひっきりなしに響くお囃子でずいぶんと賑わいでいた。
 当然ながら、人混みも凄まじい。

「うわ! マジで迷子になっちゃいそ……」

 不安げに言いつつ、それでも友紀は、ちゃっかりと彼氏の手を握っている。
 しかも、ただ握っているのではなく、指の間と間を絡め合わせる、いわゆる〈恋人繋ぎ〉をしていた。

「ねえ、ほんとはふたりだけで見て回りたいんじゃないの?」

 手元に冷ややかな視線を送りつつ、私は訊ねた。

 すると友紀は、あからさまにばつが悪そうに、あらぬ方向に目を泳がせた。

 ――分かりやすい奴……

 私は小さく溜め息を吐くと、「いいよ」とふたりに向かって言った。

「せっかくだし、ふたりで楽しんだら? 私は私で適当に見るから」

 我ながらずいぶんと投げやりな口調になっていたと思う。
 けれども、当の友紀は、私の言葉がよっぽど嬉しかったらしく、急に表情をパッと輝かせ、空いている方の手で私のそれを握ると、大袈裟に何度も上下させた。

「やーん! やっぱ莉子っていい奴ー!
 じゃ、この際だからお言葉に甘えちゃう! あ、莉子は上村君と一緒に回りなよ! うん、それがいい!」

 まくし立てるように言いきった友紀は、挨拶もそこそこに彼氏と共に人混みの中へと消えて行った。

 残された私と上村は呆然としていたけれど、擦れ違った人に、邪魔だと言わんばかりに睨まれたとたん、ハッと我に返った。

「とりあえず歩かないか?」

 上村に促され、私も「そうだね」と頷く。

 何が何だか、よく分からない展開になってしまった。
 軒を連ねて並ぶお祭りの屋台は、なかなか壮観だ。
 かと言って、ただ見るだけでは面白くないから、途中で手頃な食べ物を買って、食べながらまた歩く。
 これこそ、お祭りの醍醐味だと思う。

 けれども、今回はどうも、楽しむどころか気を遣う。

 上村はクラスメイトだし、何度か話はしたことがあるものの、親しい間柄かと言われれば、決してそうでもない。
 話すといっても、本当に当たり障りのない挨拶とか、先生からの頼まれごとを伝える程度だ。

 案の定、私と上村との間には、周りの明るい雰囲気とは対照的に気まずい空気が漂っている。

 ――帰りたい……

 隣の上村に、聴こえるか聴こえないかといった、小さい溜め息を吐いた時だった。

「つまんない?」

 今まで、ほとんど声を発しなかった上村が、初めて私に話しかけてきた。

 私は弾かれたように上村を見る。
 ほんの少し、淋しげな表情に映ったのは気のせいだろうか。

「上村君こそ、私が相手じゃつまんないんじゃない?」

 これでははっきりと、上村の先ほどの言葉を肯定しているようなものだ。
 口に出してしまってから気付いたけど、今さら引っ込めることなど出来るわけもなく、必死で平静を装いながら上村を覗った。

 そんな私に、上村は困ったように苦笑いを浮かべた。

「俺は別につまんなくなんかねえよ。てか、退屈だと思ってたら、あいつらがいなくなった時点でとっくに帰ってるし。――けど、斎木《さいき》が帰りたいってんなら……」

 そう言われると、簡単に、『帰りたい』などと言えなくなってしまう。

 私はしばらく考えていたけれど、そんなことをしていても埒が明かないと思い直し、「帰らないよ」と答えた。

「せっかくお祭りに来たんだから、出店ぐらいは回って歩きたい。――浴衣だって着てきたのに……」

 私の言葉に、上村は、フッと柔らかく笑んだ。

「じゃあ、一緒に回る?」

 そう問われて、まさか、『NO』なんて答えられるわけがない。

 私が黙って頷くと、先ほどよりもさらに上村から満面の笑みが零れた。
 ◆◇◆◇

 人混みを掻き分けつつ、私と上村は一軒ずつ出店を見て回った。

 その中でも、やっぱり食べ物の匂いは魅惑的だった。
 お腹が空いていたのもあり、買っては食べ、買っては食べ、を飽きることなく繰り返す。

 あれから上村もよく喋ってくれたので、緊張も解け、一緒に過ごす時間が楽しくなっていた。

 そんな時、私はふと、あるひとつの出店に目が留まった。

「ヨーヨー釣りだ」

 ポツリと零した私の言葉に、上村も反応する。

 私達の目に飛び込んだのは、ゴムの付いた小さな風船が水に浮かんでいる光景。
 そこでは、小学生ぐらいの子達が群がり、プラスチックと紙で出来た簡素な釣り針を使って、それらを釣り上げようと真剣になっている。

「やりてえの?」

 上村の問いに、私は「さあ」と首を捻った。

「何となく気になるけど、凄いやりたいわけでもないし」

「何だそりゃ」

 上村の突っ込みはもっともだと思う。
 言ってる張本人が、どっちなんだよ、と突っ込みを入れたい気持ちなのだから。

「ああっ!」

 突然、ヨーヨー釣りをしていたうちのひとりが大声を上げた。

「んだよお……! せっかく二個取れそうだったのに……」

 ブツクサとぼやいている男の子に、屋台の兄ちゃんが、「残念」と歯を見せて笑う。

「まあでも、一個は釣れたんだし」

「そうだけどさあ……」

 男の子は、まだ不満を言いたそうにしていたけれど、結局は諦めたらしく、唯一釣れたヨーヨーを手に、黙ってその場から立ち去った。
「やるか」

 男の子が完全に見えなくなってから、上村は屋台まで行き、兄ちゃんに、「一回」と言って百円玉を渡していた。

「はいよ」

 兄ちゃんは、お金と引き換えに、プラスチックの釣り針を上村に渡す。

 それを受け取った上村は、水槽の前にしゃがみ、子供達に雑ざってヨーヨー釣りを始める。
 その顔は真剣で、傍から見ると少し怖いような気がした。

「彼女にいいトコ見せてやんな」

 兄ちゃんの言葉に、私の心臓はドキリと跳ね上がった。
 完全に誤解されている。

 一方、上村の神経は、完全にヨーヨーに行っている。
 狙いを定め、輪になったゴムに釣り針を引っかける。

 思いのほか、簡単に釣り上げられた。

 青よりも水のように淡い色のそれにはカラフルな彩色が施され、見た目もとても可愛らしい。

「釣れたね」

 横から顔を出して私が言うと、上村は、「まだまだだ」と再び水槽に釣り針を入れる。
 が、二度目は水分を吸った紙が重さに耐えられなくなったのか、あっけなくプツリとちぎれてしまった。

「惜しかったねえ」

 先ほどの男の子に見せたのと同じ笑顔を向ける兄ちゃん。

 上村はそれを忌々しげに睨んでいたが、やっぱり、男の子同様、何も言わずに立ち上がった。

「ま、しゃあねえか」

 屋台を離れてから上村はポツリと呟くと、手に持っていたヨーヨーを私に差し出してきた。

 一瞬、何がしたいのか理解出来なかった。

「やるよ。俺よりも、斎木が持ってる方が自然だろ?」

 私が返事をする間もなく、上村はそれを私の手に載せた。

 水がほんの少し入っているヨーヨーは、空気だけの風船よりも重みを感じる。

「――ありがと」

 礼を言うと、上村はまた、ニッコリと私に微笑んだ。
 結局、私は最後まで上村とふたりで過ごした。

 一緒に来た友紀と友紀の彼氏は、あれから姿を完全に眩ませてしまった。
 携帯に電話を入れても出ないし、人混みを掻き分けて探すのも一苦労なので、九時を回った頃、私達はふたりだけで神社をあとにした。

「疲れた?」

 帰る道すがら、上村に問われた私は、「少しね」と口元に笑みを浮かべた。

「けど、楽しかったよ。上村君とはロクに話したこともなかったし、これからも、〈ただのクラスメイト〉で終わっちゃってたかもしれないのに、まさか一緒にお祭りを見て回ることになるなんてね」

 そこまで言うと、上村は突然、ピタリと足を止めた。

 私は不思議に思いながら、上村に視線を向けた。

「――斎木」

 少しの間を置いて、上村が口を開いた。

「俺、斎木のこと、〈ただのクラスメイト〉だなんて思っちゃいねえよ」

 上村の言葉に、私は瞬きするのも忘れて目を見開いた。

 上村は続けた。

「斎木は全然気付いてなかったみてえだけど、俺はずっと、斎木を見てた。同じクラスになった高二の時からずっと……。
 けど、斎木に接触するチャンスは全くないし、このまま、卒業を待つしかねえかと思っていたら、あいつらが、斎木と仲良くなるきっかけを作ってやる、って。――あいつらは、どうやら俺が斎木が好きだってことに勘付いてたらしいから……」

 私は何も言えなかった。

 今日のことは、友紀達が予め計画を立てていた。
 それは分かった。
 別に怒りも湧かない。
 けれども、〈ただのクラスメイト〉だった上村からの告白には、喜びよりも戸惑いを覚えた。

 ――どうしたらいい……?

 自分の中の自分に問うも、答えなど出るはずもない。
「――ごめん……」

 上村から、謝罪の言葉が出た。

「斎木のこと、騙すような真似をしちまった……。けど、これだけははっきり言っとく。――俺は、本気だから……」

 そこまで言うと、上村は、私から視線を逸らし、再び歩き出した。

 その後ろを、私は少しばかり距離を置きながら着いて行く。

 前を歩く上村の背中を見つめながら、私はふと、屋台の兄ちゃんが言っていた台詞を想い出した。


『彼女にいいトコ見せてやんな』


 あれを聴いた上村は、いったいどんな気持ちだったんだろう。
 いや、もしかしたら、本当にヨーヨー釣りに集中していて聴いてなかったかもしれないけれど。

 ――上村と、私が……

 私は右手の中指に通していたヨーヨーを、そっと手の平に包みながら見つめた。

 水のように透き通る風船。
 わずかに見えるのは、中に入っている水のみ。
 薄い膜で出来たそれでは、占い師の水晶のようにこれからの未来など簡単に透視出来るわけがない。

「もう少しだけ、時間をちょうだい」

 自分にも聴き取れないほどの声で囁くと、水風船を握ったまま手を下ろした。

[水風船-End]

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