「あのぅ、どこか通ってはいけない場所があるなら、俺、通りませんのでぇ」

「あ? あぁ、お前、人間だよな?」


 まるで会話が噛み合わない。
 クマの人が探るようにこちらを見ている。


「はい、人間です。大学生です。男です」

「ふん、オレ様も人間だ」

「……え? クマ、ではなく?」

「オレ様は人間だ!」


 バンっと壁を叩いてクマの人が吠えた。
 怒らせてしまったようなので慌てて弁解する。


「ですね! 人間ですね! 俺が熊です!」

「何言ってんだ、おまえ? おまえも人間だろうが。熊見たことないのかよ」


 はい、クマのぬいぐるみしか見たことありませんとは言わずにおいた。
 黙り込む俺に構わずクマの人が語りかけてくる。


「その変な格好じゃあ冒険者って訳でもなさそうだな……。おまえ、まだこの廃城の城主には会ってないな?」


 ここは廃城らしいが、城主もいるらしい。
 ちぐはぐな気もするが、ぬいぐるみが話すよりは理解できる。


「はい、まだです。挨拶が必要なら今すぐにでも……」

「やめとけ。オレ様はあのババアにこんな姿にされちまった。まだ会ってないなら、さっさと帰るんだな。見つかればおまえも姿を変えられちまうぞ」


 クマの人が短い手をフリフリしながら忌々しそうに言った。
 自分が如何に危ない場所にいるのかを知って、サッと血の気が引いていった。
 今更ながら考えなしに城をウロウロしていたことに肝が冷える。
 人を鳥かごに閉じ込めたり、ぬいぐるみに変えてしまったり、城主というのがまともな人間ではないことが伺える。
 危ない人物という以外は、ババアと呼んでいたので女性だろうということしか分からない。
 このクマの人からは色々と聞かなければならないことがありそうだ。
 忠告をしてくれるくらいなので、俺とは敵対関係ではないのだろう。


「あの、クマのぬいぐるみさん」

「おい、そのまんまじゃねぇか。その呼び方はやめろ」

「じゃあ、クマさん」

「……ちっ」


 不服そうだが、これ以上呼び方にはこだわらないらしい。


「クマさんはこの城で姿を変えられて、それで今は何をしているのでしょうか」


 俺がそう言うとクマがジロっと睨んでくる。


「まぁ、オレ様も不本意な状況だから教えてやる。今はな、この廃城の兵士として侵入者を排除するように呪いをかけられてんだよ」


 聞き捨てならない内容だ。


「あのぉ、ひょっとして俺って侵入者として排除されちゃうんでしょうか……?」


 クマの人がニヤリと悪そうな笑顔を浮かべる。


「そうだ。そのはずだが、何故か今は呪いが発動しない。こんなことは今までなかった」

「呪いって何ですか? 装備が外れなくなるとか?」

「あ? そんなしょぼい呪いじゃねえよ」


(しょぼくないモン。地味に困るモン)

 どうもクマのぬいぐるみと話しているせいか、心の声が九州のゆるキャラみたいな語尾になってしまう。


「侵入禁止区域を抜けてきた人間がオレ様の視界に入ったら、体が勝手に動いてな……」


 クマの人がニタ〜っと笑い、


「殺っちまうんだわ」


 不穏なセリフを言って、グッと拳を握りしめるようなポーズを取るが、ぬいぐるみの手なのでキュートでありこそすれ、まったく迫力はない。
 グッというよりはキュッ♪という擬音語が聞こえるようだ。
 もちろんそのようなことは伝えない。


「侵入禁止区域を抜けてきた人間を襲うっていうことは……俺は侵入禁止区域を通ってないから大丈夫ということですか?」

「そうとしか思えねぇ。今までは侵入者を見たら意思とは関係なく体が勝手に動いたからな。おまえと最初に会った瞬間も、あぁまたか、と思って身構えたんだが、なかなか体が襲いかからないからな。驚いたぜ」

「それで最初しばらく固まってたんですね」

「ああ、おまえ、オレ様が呪いで襲いかかってたら死んでたな」

「……やっぱりクマビームとか出るんですか?」

「あ? よくわかんねえけど、馬鹿にしてるなら、呪いとか関係なく殺してやろうか?」

「い、いえ、調子に乗りました……」


 ビームが出ないなら、そんなモフモフした手でどうやって殺すんだろうという疑問はいったん心にしまっておく。

 それよりも、こんなところで長話をしていても平気なのだろうかと心配になる。
 挨拶の必要がないのなら、城主とやらには会いたくない。
 宿題のレポートを忘れた講義を担当する教授以上に会いたくない。


「あの、城主は不在なんでしょうか。俺、ここで話し込んでたら駄目な気がしてきました」

「ああ、それなら安心しろ。すぐ上の部屋にいるはずだぞ」

「安心できませんよね!?」


 ハッと口を手で押さえる。
 つい叫んでしまった。
 クマの人が呆れた顔で見上げている。


「おまえ、危機感とかねぇのな。よくこの流れで大声だせるよ。まぁ安心しろ。最近は全く部屋から出てこねぇ。なんでかは知らねぇけどな」

「つまり、俺から会いに行かなければ心配はないのでしょうか」

「知らね、そこまで保証してやる義理はねぇな」


 確証はなさそうだが、部屋から出てこないならとりあえず安心して良さそうだ。
 城主には全く用事がない。

(そもそも俺は何か他に用事があったんじゃなかったっけ)

 ふと本来の目的を思い出した。


「じつは食べ物を少し分けてほしいのですが……」

「そんなものはねぇよ」

「はい?」

「いや、ねぇよ? オレ様が何か食べたり飲んだりしそうに見えんのか?」


 染みちゃいますよね、とは言わないでおく。
 おそらくだが、ぬいぐるみネタはタブーな気がしている。

 しかし食べ物がないのは実に困る。
 先ほどクマの人がこの城を「廃城」と呼んでいたので、うすうす嫌な予感はしていたが、食事が調達できないというのは少女にとっても俺にとっても死活問題だ。


「じつは塔の上に女の子が囚われていて、けっこう弱ってるんですよね」

「あぁ、まぁ見たことはないけど誰か囚われているのは知ってるぞ」


 たしかにぬいぐるみの足であの階段を上り下りするのは一苦労だろうから、いちいち見に行かないのも分かる。
 興味なさそうにクマの人が続ける。


「三日に一度は食事係をするように命令されているからな」

「そ、それなら! 食事ってなんとかなりませんか?」

「次は明日だな」

「いや、できれば今すぐ必要そうなんですけど」

「あ〜? そんなに弱ってるのか」


 面倒臭そうに言いながらも、何やら考えてはくれているようだ。
 それに、クマの人からは少女への負の感情は感じない。
 良い感情も感じないが。


「俺に出来ることがあれば手伝いますので、明日の食事を前倒ししてもらえないでしょうか」

「無理だ」


 クマの人が短い腕を組んで短く答える。


「だが、おまえが手伝うなら大丈夫かもしれねぇ。ふむ、オレ様も気になることができたし……何でもやるって言ったよな?」

「いえ、出来ることがあれば手伝うと言ったのですが……まぁ、はい」

「よし、ついてこい。食事を捕まえに行くぞ」

「ありがとうございま……す?」


 異世界風の言い回しだろうか。
 食事を捕まえに行くらしい。

 ◆

 クマの人と一度塔内に戻り、先程はスルーした下に続く階段を降りる。
 下に進むにつれ、唸り声のような音が大きく聞こえてきた。
 出口から外に出ると、そこは海に面した崖になっていた。
 唸り声の正体は、海風と波の音だったようだ。
 辺りを見回してみるが、城の外とは陸続きになっておらず、塔の裏口からしか来られないスポットのように見える。
 ゴツゴツとした岩が目立つので、崖というよりは岩場というのが正しいかもしれない。
 しかし海に落ちたら無事では済まなそうな高さなので、やはり崖かもしれない。
 昼ドラの犯人が追い詰められて自白するシーンに使われそうな、雰囲気満点の崖だ。


「早く歩けよ」


 クマの人が急かすが、素足なので急ぐと石が当たって痛い。
 病院の検査着は海に不釣合いな事この上ない。


「あそこに祭壇が見えるだろ? あの祭壇まで行って、仕掛けてある罠を確認してこい」


 見ると崖の一部がスロープのようになっていて、海面ギリギリまで続く緩やかな坂ができている場所がある。
 その坂の先には周囲の岩とは異なって、人工的に削られた相撲の土俵のような岩場がある。
 おそらくあれがクマの人の言う祭壇なのだろう。


「俺が行くんですか?」

「オレ様は三日に一度しか、あの祭壇に入れねぇ。これも呪いだから反抗できねぇ」


 忌々しそうにクマの人が言う。
 クマの人は三日のうち一度だけは祭壇に入れるが、それ以外は祭壇に入ろうとしても入れないという。

(それで俺の手伝いがあれば平気かもしれないということか。まぁ、祭壇の上までは階段が整っているし、これなら大丈夫かな)

 罠に何が入っているのか、ちょっと楽しみですらある。
 潮干狩りにでも来たような気持ちで、足場の悪い岩場をヨッホッと一歩一歩進みながら、祭壇へ続く坂の上まで着いた。


「そういや、注意事項がある」

「はい、なんでしょうか」


 坂を降《くだ》ろうと踏み出したところで、クマの人が注意してきた。


「あの祭壇に人間が近づくとカニが現れる」

「カニ、ですか?」

「カニだ」

「カニが食事ですか?」

「いや、カニの食事にならないよう気をつけろ」

「……」


 思わずピタッと動きを止めた。
 クマのぬいぐるみが歩いたり喋ったりする世界のカニはどんなものだろうか。
 じゃんけんで勝ったら言うこと聞いてくれないかなぁと現実逃避をしつつ、異世界のカニに思いを馳せた。