暗い塔内の階段を踏み外しそうになったので、嫌な思い出に蓋をする。
過去ではなく、リアルタイムで起きている不可思議な現実に思いを馳せる。
病院の検査中に白い空間で目覚めた。
そこでチートをもらって、再び意識がなくなり、気が付いたら塔の上にいた。
そこで鳥かごに入った少女から「自由の身にして欲しい」と約束を迫られた。
(まさか鳥かごの少女に召喚されるとか……)
召喚魔法で呼び出すのはお姫様とか、そうじゃなくても偉い人と相場が決まっているのだ。
不遇すぎて相手を責める気にはならないが、まさか鳥かごに入った少女に召喚されようとは、白い空間では予想だにしていなかった。
しかも魔王を倒すとか世界を救うとかではなく、目的は脱獄。
スケールが小さい点もなんとも言えない。
(まぁ、俺なんて普通の大学生だし、ジャストフィットなスケール感って言えばそうなのかもな……ってか、そもそもあの子はなんで捕まってんだ?)
情報が足りなすぎて、すべてのことが「???《アンノウン》」という状態だ。
これではまともに現状把握も出来ない。
思考にも限界が見え始めた頃、ようやく階段の終端にたどり着いた。
出口と更に下に降りる階段がある。
出口からは石畳の廊下が見える。
どうやら建物と直結しているらしい。
出口というよりは連絡口かもしれない。
少女は「この下なら平気」と言ってたが、それはこの連絡口のことか、それとも更に下のことだろうか。
(キッチンとかあるかな? とりま、建物の中に入ってみますか)
廊下に飛び出す前に、そっと耳をそばだてる。
物音がしないので近くに人はいないようだ。
顔だけだしてそっと覗き込む。
(廊下も薄暗いな)
廊下の光源は、ところどころ壁に設えられた窓から入る自然光のみだ。
LEDライトに馴れきった現代人の感覚ではそこまで明るくはない。
晴れていればもう少し明るいのだろう。
シャッと一歩を踏み出し、石畳の廊下を忍者のように静かに歩く。
病院の検査着は衣擦れの音がしないので、隠密行動には向いている。
しかし裸足なのは心許《こころもと》ない。
床の整備状態は悪いため、小石などが時々あり、足の裏が痛い。
そろそろと歩いていると、最初の角に差し掛かったところで、ザッザッと何か布をするような音が聞こえてきた。
(誰か来る?)
ここにきて逡巡する。
(あれ? 俺って……見つかったらダメ?)
俺からすれば何も悪いことはしていない。
しかし見ようによっては不法侵入になるのかもしれない。
召喚した術者の少女は囚われていたのだから、彼女は罪人なのかもしれない。
だとすると彼女に召喚された俺は、城の人にとってイレギュラーな存在なはず。
罪人の仲間は罪人という単純な公式が成立する可能性は高い。
(やっぱ、見つからない方がいいな!)
そう結論付けて急いで階段に戻ろうと後ろを見る。
しかし階段まで距離がある上に、裸足で素早く戻ることは難しい。
(まずい)
しかし、天啓を得た。
こんなときこそ、あのチートなら切り抜けられるのではないか。
そう思うと、もはや試さずにはいられない。
どのみち身を隠せるような物陰もないのだ。
チートが発動しないか心の中で強く念じてみる。
(小さくなれ!)
失敗。
(スモール!)
不発。
(ミニマム!)
無反応。
何も起きない。
理由はわからない。
そうこうしている間にもザッザッという音が近づいてくる。
(やばい!)
もはや階段まで戻る時間もなく、隠れる場所も見当たらない。
まったく効果はないと分かりながらも、急いで壁際に身を寄せて息を潜める。
捕まったら俺も鳥かごに入れられるかもしれない。
そうしたら何日も経たないうちに、きっと衰弱死するんだろう。
想像するだけでゾッとする。
あの少女が言っていた「下なら平気」というのは、ここではなかったのだろうか。
やはり塔の階段を更に下まで降りる必要があったのかもしれない。
廊下の曲がり角から、ザッザッという音が近づいてきた。
今更ながら怪我をしてでも走って逃げたほうがマシだったと思うも、足がすくんで動かない。
そして、ついに間近で音が聞こえた。
廊下の角から現れたのは、屈強な兵士……ではなく、獰猛《どうもう》な熊……でもなく、ぬいぐるみのクマだった。
「クマの……人?」
「あ゛?」
目と目が合う。
見つかった衝撃よりも、ぬいぐるみが二足歩行で歩いているという異常事態に俺の体は硬直から抜け出せない。
クマの人は特大サイズで作られており、俺の腰ほどの背丈がある。
見た目はフワフワして気持ちよさそうだが、その目は鋭い。
首元にはワンポイントなのか、紺色のスカーフが巻いてある。
見つめ合って数秒。
なぜかクマの人も固まっているようだ。
(これ、どう乗り切ればいいのだろう?)
たしか以前読んだ雑誌「月刊 山ガールの口説き方」では、クマと会ったら目線をそらさずジリジリ後退すると書いてあった。
(それってクマのぬいぐるみにも通用するのだろうか? あ、食べ物をバラまいて逃げるとも書いてあった。いや、食べ物を探してこんなところまで来てるんだった……)
刹那の間に様々な考えが脳裏をよぎるが、結局俺は雑誌に書いてあった「会話に困った時の究極奥義」を使うことにした。
「いいお天気ですね」
お天気、それは星の重力に縛られた全人類共通にして至高の話題。
もちろんクマのぬいぐるみとて例外ではない……とは雑誌には書いてなかったが。
クマの人が天気を確認するようにチラリと窓を見上げた。
「まぁ……雨みてぇだが」
「はは。それでは、さようなら」
「あぁ」
これほどスムーズな会話が未だかつてあっただろうか。
いや、ない。
クマの人は短く答えると、ザッザッと音を立てて目の前をゆっくり通り過ぎていく。
(「月刊 山ガールの口説き方」編集部、あんたたちの努力は異世界でも通じたぞ!)
腹の底から安堵の息がもれる。
「ホッーー」
「って、んなわけねぇだろ!」
声にビクッとして確認すると、クマの人がザザザザっと走って戻ってくる。
短い手足を器用にバタバタ振っている。
かなりの速さだ。
「う、うわぁ!」
走り来るぬいぐるみという絵面に驚いて、尻餅をついてしまった。
ちょうど視線の高さが同じくらいになった。
「おまえ、どこから城に入ってきた?」
犯罪者に詰問するような冷たい声でクマの人が聞いてきた。
「そこの階段の上から、来ました」
「上?」
「はい」
「上って、塔のことか? それとも……上の階か?」
今すぐに取り押さえるつもりはないのか、距離を置いたまま質問を続けている。
回答次第では囚われてしまうかもしれない。
クマの人を振り切って逃げることは出来るだろうかと考えるが、先程のスピードを考えると五分五分といったところだと判断する。
(あ、ひょっとして、クマのぬいぐるみ程度なら俺でも勝てるかも?)
「おい、妙なことは考えるなよ」
妙なことを考えていると、クマの人に先手を打たれてしまった。
この世界のぬいぐるみが歩いて話す以上は、俺の知っているぬいぐるみだと思って接するのは危険だろう。
目からクマビームを出す可能性も考慮し無くてはならない。
ここは素直に答えることにした。
「実は召ーー」
召喚されたと言おうとして疑問が浮かぶ。
(召喚されたって伝えても大丈夫か?)
ともするとこの世界では召喚は当たり前の出来事なのかもしれない。
暇を持て余した子どもたちが「今日なにする〜?」「召喚しない?」「え〜もう飽きたよ〜」と話すくらいに日常茶飯事の可能性も捨てきれない。
(それとも召喚されたってだけで逮捕されるくらいヤバイ行為だったりして……)
さっきから疑問ばかりで頭がいっぱいだ。
「しょう……少々事情がありまして、いきなり塔の上に現れたというか、塔の上が最初の着地点といいますか……」
どう伝えたものかと考え込んでいると、痺れを切らしたようにクマの人が話しかけてくる。
「考えにくいが、塔の上からこの城に入ってきたってことか?」
「ですです! それです!」
渡りに船と言わんばかりに激しく同意を示す。
(嘘じゃない。ばっちり塔の上からこの城に入ってきた。じゃあ塔の上まではどうやって来た? って聞かれると困るけど……)
心中で言い訳をしていると、今度はクマの人が考え込み始めた。
「ふん、侵入禁止区域を通ってねぇのか。だから呪いが発動しねぇ、ってことか……?」
なにやら不穏な単語が聞こえてきた。
侵入禁止区域とは何なのか。
呪いとは何なのか。
どちらも強烈な響きだ。
この場所で生き残る上では知っておく必要がありそうな言葉。
ぬいぐるみが歩いていることと関係があるのだろうか。
緊張が途切れないイベントの連続に、やはり一介の学生には脱獄のヘルプですら荷が重いのではないかと弱腰になってきたのだった。
過去ではなく、リアルタイムで起きている不可思議な現実に思いを馳せる。
病院の検査中に白い空間で目覚めた。
そこでチートをもらって、再び意識がなくなり、気が付いたら塔の上にいた。
そこで鳥かごに入った少女から「自由の身にして欲しい」と約束を迫られた。
(まさか鳥かごの少女に召喚されるとか……)
召喚魔法で呼び出すのはお姫様とか、そうじゃなくても偉い人と相場が決まっているのだ。
不遇すぎて相手を責める気にはならないが、まさか鳥かごに入った少女に召喚されようとは、白い空間では予想だにしていなかった。
しかも魔王を倒すとか世界を救うとかではなく、目的は脱獄。
スケールが小さい点もなんとも言えない。
(まぁ、俺なんて普通の大学生だし、ジャストフィットなスケール感って言えばそうなのかもな……ってか、そもそもあの子はなんで捕まってんだ?)
情報が足りなすぎて、すべてのことが「???《アンノウン》」という状態だ。
これではまともに現状把握も出来ない。
思考にも限界が見え始めた頃、ようやく階段の終端にたどり着いた。
出口と更に下に降りる階段がある。
出口からは石畳の廊下が見える。
どうやら建物と直結しているらしい。
出口というよりは連絡口かもしれない。
少女は「この下なら平気」と言ってたが、それはこの連絡口のことか、それとも更に下のことだろうか。
(キッチンとかあるかな? とりま、建物の中に入ってみますか)
廊下に飛び出す前に、そっと耳をそばだてる。
物音がしないので近くに人はいないようだ。
顔だけだしてそっと覗き込む。
(廊下も薄暗いな)
廊下の光源は、ところどころ壁に設えられた窓から入る自然光のみだ。
LEDライトに馴れきった現代人の感覚ではそこまで明るくはない。
晴れていればもう少し明るいのだろう。
シャッと一歩を踏み出し、石畳の廊下を忍者のように静かに歩く。
病院の検査着は衣擦れの音がしないので、隠密行動には向いている。
しかし裸足なのは心許《こころもと》ない。
床の整備状態は悪いため、小石などが時々あり、足の裏が痛い。
そろそろと歩いていると、最初の角に差し掛かったところで、ザッザッと何か布をするような音が聞こえてきた。
(誰か来る?)
ここにきて逡巡する。
(あれ? 俺って……見つかったらダメ?)
俺からすれば何も悪いことはしていない。
しかし見ようによっては不法侵入になるのかもしれない。
召喚した術者の少女は囚われていたのだから、彼女は罪人なのかもしれない。
だとすると彼女に召喚された俺は、城の人にとってイレギュラーな存在なはず。
罪人の仲間は罪人という単純な公式が成立する可能性は高い。
(やっぱ、見つからない方がいいな!)
そう結論付けて急いで階段に戻ろうと後ろを見る。
しかし階段まで距離がある上に、裸足で素早く戻ることは難しい。
(まずい)
しかし、天啓を得た。
こんなときこそ、あのチートなら切り抜けられるのではないか。
そう思うと、もはや試さずにはいられない。
どのみち身を隠せるような物陰もないのだ。
チートが発動しないか心の中で強く念じてみる。
(小さくなれ!)
失敗。
(スモール!)
不発。
(ミニマム!)
無反応。
何も起きない。
理由はわからない。
そうこうしている間にもザッザッという音が近づいてくる。
(やばい!)
もはや階段まで戻る時間もなく、隠れる場所も見当たらない。
まったく効果はないと分かりながらも、急いで壁際に身を寄せて息を潜める。
捕まったら俺も鳥かごに入れられるかもしれない。
そうしたら何日も経たないうちに、きっと衰弱死するんだろう。
想像するだけでゾッとする。
あの少女が言っていた「下なら平気」というのは、ここではなかったのだろうか。
やはり塔の階段を更に下まで降りる必要があったのかもしれない。
廊下の曲がり角から、ザッザッという音が近づいてきた。
今更ながら怪我をしてでも走って逃げたほうがマシだったと思うも、足がすくんで動かない。
そして、ついに間近で音が聞こえた。
廊下の角から現れたのは、屈強な兵士……ではなく、獰猛《どうもう》な熊……でもなく、ぬいぐるみのクマだった。
「クマの……人?」
「あ゛?」
目と目が合う。
見つかった衝撃よりも、ぬいぐるみが二足歩行で歩いているという異常事態に俺の体は硬直から抜け出せない。
クマの人は特大サイズで作られており、俺の腰ほどの背丈がある。
見た目はフワフワして気持ちよさそうだが、その目は鋭い。
首元にはワンポイントなのか、紺色のスカーフが巻いてある。
見つめ合って数秒。
なぜかクマの人も固まっているようだ。
(これ、どう乗り切ればいいのだろう?)
たしか以前読んだ雑誌「月刊 山ガールの口説き方」では、クマと会ったら目線をそらさずジリジリ後退すると書いてあった。
(それってクマのぬいぐるみにも通用するのだろうか? あ、食べ物をバラまいて逃げるとも書いてあった。いや、食べ物を探してこんなところまで来てるんだった……)
刹那の間に様々な考えが脳裏をよぎるが、結局俺は雑誌に書いてあった「会話に困った時の究極奥義」を使うことにした。
「いいお天気ですね」
お天気、それは星の重力に縛られた全人類共通にして至高の話題。
もちろんクマのぬいぐるみとて例外ではない……とは雑誌には書いてなかったが。
クマの人が天気を確認するようにチラリと窓を見上げた。
「まぁ……雨みてぇだが」
「はは。それでは、さようなら」
「あぁ」
これほどスムーズな会話が未だかつてあっただろうか。
いや、ない。
クマの人は短く答えると、ザッザッと音を立てて目の前をゆっくり通り過ぎていく。
(「月刊 山ガールの口説き方」編集部、あんたたちの努力は異世界でも通じたぞ!)
腹の底から安堵の息がもれる。
「ホッーー」
「って、んなわけねぇだろ!」
声にビクッとして確認すると、クマの人がザザザザっと走って戻ってくる。
短い手足を器用にバタバタ振っている。
かなりの速さだ。
「う、うわぁ!」
走り来るぬいぐるみという絵面に驚いて、尻餅をついてしまった。
ちょうど視線の高さが同じくらいになった。
「おまえ、どこから城に入ってきた?」
犯罪者に詰問するような冷たい声でクマの人が聞いてきた。
「そこの階段の上から、来ました」
「上?」
「はい」
「上って、塔のことか? それとも……上の階か?」
今すぐに取り押さえるつもりはないのか、距離を置いたまま質問を続けている。
回答次第では囚われてしまうかもしれない。
クマの人を振り切って逃げることは出来るだろうかと考えるが、先程のスピードを考えると五分五分といったところだと判断する。
(あ、ひょっとして、クマのぬいぐるみ程度なら俺でも勝てるかも?)
「おい、妙なことは考えるなよ」
妙なことを考えていると、クマの人に先手を打たれてしまった。
この世界のぬいぐるみが歩いて話す以上は、俺の知っているぬいぐるみだと思って接するのは危険だろう。
目からクマビームを出す可能性も考慮し無くてはならない。
ここは素直に答えることにした。
「実は召ーー」
召喚されたと言おうとして疑問が浮かぶ。
(召喚されたって伝えても大丈夫か?)
ともするとこの世界では召喚は当たり前の出来事なのかもしれない。
暇を持て余した子どもたちが「今日なにする〜?」「召喚しない?」「え〜もう飽きたよ〜」と話すくらいに日常茶飯事の可能性も捨てきれない。
(それとも召喚されたってだけで逮捕されるくらいヤバイ行為だったりして……)
さっきから疑問ばかりで頭がいっぱいだ。
「しょう……少々事情がありまして、いきなり塔の上に現れたというか、塔の上が最初の着地点といいますか……」
どう伝えたものかと考え込んでいると、痺れを切らしたようにクマの人が話しかけてくる。
「考えにくいが、塔の上からこの城に入ってきたってことか?」
「ですです! それです!」
渡りに船と言わんばかりに激しく同意を示す。
(嘘じゃない。ばっちり塔の上からこの城に入ってきた。じゃあ塔の上まではどうやって来た? って聞かれると困るけど……)
心中で言い訳をしていると、今度はクマの人が考え込み始めた。
「ふん、侵入禁止区域を通ってねぇのか。だから呪いが発動しねぇ、ってことか……?」
なにやら不穏な単語が聞こえてきた。
侵入禁止区域とは何なのか。
呪いとは何なのか。
どちらも強烈な響きだ。
この場所で生き残る上では知っておく必要がありそうな言葉。
ぬいぐるみが歩いていることと関係があるのだろうか。
緊張が途切れないイベントの連続に、やはり一介の学生には脱獄のヘルプですら荷が重いのではないかと弱腰になってきたのだった。