高校二年の時、俺は写真部に所属していた。
ある夏の日、写真部全員で隣町のお祭りを撮影しようという話になった。
企業が主宰する「夏らしい写真コンテスト」に応募する作品を撮るための遠征だ。
応募するといってもハッシュタグを付けてアップロードするだけなので簡単だった気がする。
どんな写真を撮ろうかと部長を務める三年生の女子生徒と話していた。
「いい、私たちが撮るのはスマホごときでは出せない一眼レフならではのエモーションに訴えかける、いわゆるエモいショットよ!」
きらりとメガネを光らせた部長が熱く拳を握る。
「部長のカメラってミラーレスだよね」
「大切なのは何で撮るかじゃないわ! 何を撮るかよ!」
「いや、一瞬前にスマホを全否定してましたけど」
ことある事に「ばえよ! ばえ! フォトジェニック!」とまくし立てる部長に引き連れられて、隣町の縁日に向かった。
「部長、今日って夏期講習なんじゃないの? 受験は待ってくれませんよ」
「受刑?」
「受験ね! いや受刑も待ってはくれないだろうけどね!」
「ふっ、落ち着きなさい。子どもね」
やれやれというジェスチャーをして部長が俺をいなす。
部長のボケに乗っかったのに俺が諭されるという……よくあるパターンだ。
「受験なんて全国の学校が主催するクイズ大会に過ぎないわ」
「クイズ大会で決まる進路もあると思うんだけど」
「甘いわ!」
いつもながら何が甘いのかという説明はない。
部長はメガネの真ん中を人差し指でくいっと押して位置を調整する。
これは部長が決め台詞を言うぞというサインであることを入部したその日に教えられた。
「私には夢がある!」
どうやらクイズ大会の件《くだり》は終わったらしい。
「大切なことだから二回言うわ! アイ・ハブ・ア・ドリーム!」
「マーティン・ルーサー・キングかよ!」
「あ、その人きっとテストに出るわ、メモメモ」
「受験生かよ!」
「受験生だよ! 言わせんな恥ずかしい」
馬鹿騒ぎをしていると間もなく目的地に着いた。
縁日はそこそこ混んでいたので、二人一組に別れて撮影行動を開始した。
俺は部長と組んで出店やお囃子《はやし》を撮影していた。
(いい写真がたくさん撮れた)
自画自賛だが、なかなかの撮れ高に満足していた。
「見せて!」
部長がオレのデジカメを奪い取って再生モードで写真を確認する。
「ふむ、月島くんはいい目を持ってるよね。本当に構図がいいわ。全体がよく見えてるって感じ。これとあれをフレームに収めてパシャッて考えながら撮ってるんでしょ? 嫌味な写真ね〜」
「ちょ、部長の写真も見せてくださいよ」
「嫌よ。私、作品は完成品しか見せたくないの」
そう言ってカメラを後ろ手に隠してしまった。
こうなったら部長はテコでも動かない。
諦める方が賢明だ。
「ところで、本当にいいんですか? 夏期講習」
「月島くん、私の夢はミュージシャンよ。あなたは気が利くから、私が作るバンドのマネージャーをやりなさい」
「なんの話ですか……ってか普通そこはフォトグラファーが夢でしょ」
「答えはイエスかラジャーよ! 縁日では油断した中高生から先に小遣いを使い果たすの!」
勢い込んで話すが、毎度のことで中身は伴っていない。
会話はノリが大切らしいとは以前部長から聞いた話だ。
「拒否権なり黙秘権はあるんですかね?」
「何よ、断るつもり?」
予想に反して不安そうな表情をした。
当たり前のように「ないわ!」と押し切られると思っていただけに、突然の真面目ムードに戸惑う。
「まぁ、じゃあ……イエスで」
「本当に? 私の夢を応援してくれる? 約束できる?」
「そっすね」
「真面目に聞いてるのよ」
部長が真面目に聞いていることが分かったので、なんとなくおどけて答えてしまった。
俺を見つめる部長の目はいつになく真剣で、ちゃんと答えるまでは会話を打ち切るつもりはないように見える。
「なら、分かりました、俺がマネージャーするから、部長は音楽やってください。約束です。その代わり売れてくださいよ? タクシー代わりにヘリコプターで移動するのとか楽しそう」
具体的なことなど何も考えてないが、部長を手伝いたいという気持ちは嘘じゃない。
俺の言葉をきいて、部長は目をキラキラさせている。
「断然にして当然よ!」
満面の笑みでピースサインをする部長。
思わずシャッターを切る。
コンテストには使えないけど、少年と少女が夢を約束しあった瞬間だ。
完全に内輪ウケだが、これほどエモい写真はないだろう。
そして帰り道。
部長と俺は電車に揺られていた。
他のメンバーは先に下車した。
部長と俺は同じ駅を利用しているので、しばらく二人でアホな話をしていた。
駅が近づくと、それまでと一転して部長は無口になった。
頬に貼られたニキビ隠しの絆創膏を弄りながら、彼女は車窓を見つめていた。
俺も釣られて窓の外を見る。
自分達がいる車内が明るすぎるのか、外を見ることは出来ずに、代わりに自分の顔が窓には映っていた。
暗くてもいいから外を見たいのに、窓には自分自身が立ちはだかっていて、それを許さないようだった。
やがて俺達は電車を降りて改札を出た。
駅の入口には部長の父親が待っていた。
「今日は夏期講習じゃなかったのか?」
開口一番、部長がサボったことを確信して詰問してくる。
「わざわざ待ち伏せてたの?」
「答えなさい!」
「……」
部長はうつむいて、地面を睨んでいる。
俺は何も言わずに部長の少し後ろに下がった。
なんとなく表情を見てはいけない気がしたからだ。
「夏期講習とか、そんなことしなくてもどっかの大学に入れればいいし」
「そんな甘い考えが通用すると思っているのか?」
「別にお勉強がしたくて生きてるわけじゃないから」
「また音楽か」
部長の父親が聞き分けのない子どもに辟易《へきえき》したように吐き捨てた。
「その前に受験があるんじゃないのか? やるべきこともやらずに、やりたいことが出来るわけないだろう」
それは未成熟な俺が聞いても、ぐうの音も出ない正論だと思った。
同時に、生理的に嫌悪を覚えた。
理由は言葉にできない。
言葉にできるほど俺の哲学は完成してなかった。
それでも、受け入れたくない気持ちがコンコンと湧き上がってきていた。
それはきっと部長も同じだったんだと思う。
「私は自由に生きたいの! ほっといてよ! もう月島くんとも一緒に頑張るって約束したんだから!」
たぶん、それは色々無茶な意見だ。
あまりにも感情論だ。
正論にぶつけるには脆すぎる。
部長の父親をちらっと伺うと、鬼のような形相で部長を睨み……手を、振り上げていた。
「いい加減にしろ!」
パン!
乾いた音がして、部長のメガネが飛んだ。
部長がよろめく。
世界が、止まった。
突然の暴力に、俺の頭は真っ白になった。
部長の父親が俺を睨んできた。
「君、月島くんと言ったね。うちの娘と妙な約束をしないでもらいたい」
俺は何も答えられない。
声が出ない。
なぜ殴ったのか……それがまったく分からない。
まだまだ話し合いのゴングは鳴ったばかりだと思っていた。
最悪でも小遣いが減ったり、門限が早まったり、そういう親の権限を振りかざしてくる程度だと予想していた。
こりゃ明日は部長の愚痴に付き合う羽目になるなぁと呑気に考えていた。
視線を部長に向ける。
部長の表情は見えない。
ただ、背中は頼りなく丸まっており、いつも勝ち気な彼女の雰囲気はない。
「分かったね!」
「……はい」
凄まれるように念を押されて、思わず返事をしてしまった。
その瞬間、部長の背中がビクッと揺れた。
「……約束……したのに!」
部長は、地面に向かって吐き捨てるように呟いた。
その言葉にも何も言えずにいるうちに、彼女は父親に腕を引っ張られて連れていかれてしまった。
部長が約束にかけていた熱量を、俺は全く理解していなかった。
こういうのって青春だよなと軽く考えていた。
会話をノリだけで交わしていたのは、誰あろう、俺だったのだ。
夏休みが明けて、部長は写真部を辞めた。
退部理由は受験に専念するためだった。
この日以来、部長と俺は口を効かなかった。
顔を合わせる機会もなくなった。
そして、この日以来、俺は誰かと約束することが怖くて怖くて仕方なくなった。
約束に込められた真剣さが強ければ強いほど、熱量が高ければ高いほど、俺は約束を避けて生きるようになってしまった。
ある夏の日、写真部全員で隣町のお祭りを撮影しようという話になった。
企業が主宰する「夏らしい写真コンテスト」に応募する作品を撮るための遠征だ。
応募するといってもハッシュタグを付けてアップロードするだけなので簡単だった気がする。
どんな写真を撮ろうかと部長を務める三年生の女子生徒と話していた。
「いい、私たちが撮るのはスマホごときでは出せない一眼レフならではのエモーションに訴えかける、いわゆるエモいショットよ!」
きらりとメガネを光らせた部長が熱く拳を握る。
「部長のカメラってミラーレスだよね」
「大切なのは何で撮るかじゃないわ! 何を撮るかよ!」
「いや、一瞬前にスマホを全否定してましたけど」
ことある事に「ばえよ! ばえ! フォトジェニック!」とまくし立てる部長に引き連れられて、隣町の縁日に向かった。
「部長、今日って夏期講習なんじゃないの? 受験は待ってくれませんよ」
「受刑?」
「受験ね! いや受刑も待ってはくれないだろうけどね!」
「ふっ、落ち着きなさい。子どもね」
やれやれというジェスチャーをして部長が俺をいなす。
部長のボケに乗っかったのに俺が諭されるという……よくあるパターンだ。
「受験なんて全国の学校が主催するクイズ大会に過ぎないわ」
「クイズ大会で決まる進路もあると思うんだけど」
「甘いわ!」
いつもながら何が甘いのかという説明はない。
部長はメガネの真ん中を人差し指でくいっと押して位置を調整する。
これは部長が決め台詞を言うぞというサインであることを入部したその日に教えられた。
「私には夢がある!」
どうやらクイズ大会の件《くだり》は終わったらしい。
「大切なことだから二回言うわ! アイ・ハブ・ア・ドリーム!」
「マーティン・ルーサー・キングかよ!」
「あ、その人きっとテストに出るわ、メモメモ」
「受験生かよ!」
「受験生だよ! 言わせんな恥ずかしい」
馬鹿騒ぎをしていると間もなく目的地に着いた。
縁日はそこそこ混んでいたので、二人一組に別れて撮影行動を開始した。
俺は部長と組んで出店やお囃子《はやし》を撮影していた。
(いい写真がたくさん撮れた)
自画自賛だが、なかなかの撮れ高に満足していた。
「見せて!」
部長がオレのデジカメを奪い取って再生モードで写真を確認する。
「ふむ、月島くんはいい目を持ってるよね。本当に構図がいいわ。全体がよく見えてるって感じ。これとあれをフレームに収めてパシャッて考えながら撮ってるんでしょ? 嫌味な写真ね〜」
「ちょ、部長の写真も見せてくださいよ」
「嫌よ。私、作品は完成品しか見せたくないの」
そう言ってカメラを後ろ手に隠してしまった。
こうなったら部長はテコでも動かない。
諦める方が賢明だ。
「ところで、本当にいいんですか? 夏期講習」
「月島くん、私の夢はミュージシャンよ。あなたは気が利くから、私が作るバンドのマネージャーをやりなさい」
「なんの話ですか……ってか普通そこはフォトグラファーが夢でしょ」
「答えはイエスかラジャーよ! 縁日では油断した中高生から先に小遣いを使い果たすの!」
勢い込んで話すが、毎度のことで中身は伴っていない。
会話はノリが大切らしいとは以前部長から聞いた話だ。
「拒否権なり黙秘権はあるんですかね?」
「何よ、断るつもり?」
予想に反して不安そうな表情をした。
当たり前のように「ないわ!」と押し切られると思っていただけに、突然の真面目ムードに戸惑う。
「まぁ、じゃあ……イエスで」
「本当に? 私の夢を応援してくれる? 約束できる?」
「そっすね」
「真面目に聞いてるのよ」
部長が真面目に聞いていることが分かったので、なんとなくおどけて答えてしまった。
俺を見つめる部長の目はいつになく真剣で、ちゃんと答えるまでは会話を打ち切るつもりはないように見える。
「なら、分かりました、俺がマネージャーするから、部長は音楽やってください。約束です。その代わり売れてくださいよ? タクシー代わりにヘリコプターで移動するのとか楽しそう」
具体的なことなど何も考えてないが、部長を手伝いたいという気持ちは嘘じゃない。
俺の言葉をきいて、部長は目をキラキラさせている。
「断然にして当然よ!」
満面の笑みでピースサインをする部長。
思わずシャッターを切る。
コンテストには使えないけど、少年と少女が夢を約束しあった瞬間だ。
完全に内輪ウケだが、これほどエモい写真はないだろう。
そして帰り道。
部長と俺は電車に揺られていた。
他のメンバーは先に下車した。
部長と俺は同じ駅を利用しているので、しばらく二人でアホな話をしていた。
駅が近づくと、それまでと一転して部長は無口になった。
頬に貼られたニキビ隠しの絆創膏を弄りながら、彼女は車窓を見つめていた。
俺も釣られて窓の外を見る。
自分達がいる車内が明るすぎるのか、外を見ることは出来ずに、代わりに自分の顔が窓には映っていた。
暗くてもいいから外を見たいのに、窓には自分自身が立ちはだかっていて、それを許さないようだった。
やがて俺達は電車を降りて改札を出た。
駅の入口には部長の父親が待っていた。
「今日は夏期講習じゃなかったのか?」
開口一番、部長がサボったことを確信して詰問してくる。
「わざわざ待ち伏せてたの?」
「答えなさい!」
「……」
部長はうつむいて、地面を睨んでいる。
俺は何も言わずに部長の少し後ろに下がった。
なんとなく表情を見てはいけない気がしたからだ。
「夏期講習とか、そんなことしなくてもどっかの大学に入れればいいし」
「そんな甘い考えが通用すると思っているのか?」
「別にお勉強がしたくて生きてるわけじゃないから」
「また音楽か」
部長の父親が聞き分けのない子どもに辟易《へきえき》したように吐き捨てた。
「その前に受験があるんじゃないのか? やるべきこともやらずに、やりたいことが出来るわけないだろう」
それは未成熟な俺が聞いても、ぐうの音も出ない正論だと思った。
同時に、生理的に嫌悪を覚えた。
理由は言葉にできない。
言葉にできるほど俺の哲学は完成してなかった。
それでも、受け入れたくない気持ちがコンコンと湧き上がってきていた。
それはきっと部長も同じだったんだと思う。
「私は自由に生きたいの! ほっといてよ! もう月島くんとも一緒に頑張るって約束したんだから!」
たぶん、それは色々無茶な意見だ。
あまりにも感情論だ。
正論にぶつけるには脆すぎる。
部長の父親をちらっと伺うと、鬼のような形相で部長を睨み……手を、振り上げていた。
「いい加減にしろ!」
パン!
乾いた音がして、部長のメガネが飛んだ。
部長がよろめく。
世界が、止まった。
突然の暴力に、俺の頭は真っ白になった。
部長の父親が俺を睨んできた。
「君、月島くんと言ったね。うちの娘と妙な約束をしないでもらいたい」
俺は何も答えられない。
声が出ない。
なぜ殴ったのか……それがまったく分からない。
まだまだ話し合いのゴングは鳴ったばかりだと思っていた。
最悪でも小遣いが減ったり、門限が早まったり、そういう親の権限を振りかざしてくる程度だと予想していた。
こりゃ明日は部長の愚痴に付き合う羽目になるなぁと呑気に考えていた。
視線を部長に向ける。
部長の表情は見えない。
ただ、背中は頼りなく丸まっており、いつも勝ち気な彼女の雰囲気はない。
「分かったね!」
「……はい」
凄まれるように念を押されて、思わず返事をしてしまった。
その瞬間、部長の背中がビクッと揺れた。
「……約束……したのに!」
部長は、地面に向かって吐き捨てるように呟いた。
その言葉にも何も言えずにいるうちに、彼女は父親に腕を引っ張られて連れていかれてしまった。
部長が約束にかけていた熱量を、俺は全く理解していなかった。
こういうのって青春だよなと軽く考えていた。
会話をノリだけで交わしていたのは、誰あろう、俺だったのだ。
夏休みが明けて、部長は写真部を辞めた。
退部理由は受験に専念するためだった。
この日以来、部長と俺は口を効かなかった。
顔を合わせる機会もなくなった。
そして、この日以来、俺は誰かと約束することが怖くて怖くて仕方なくなった。
約束に込められた真剣さが強ければ強いほど、熱量が高ければ高いほど、俺は約束を避けて生きるようになってしまった。