彼女はこちらを見るなり、明らかに警戒の素振りを見せてきた。一体何でなのか、ちっともわからない。
「彼、今年から同じクラスの安曇くんね。あ、安曇くん。こっちは片桐筑音ちゃん。私の昔からの親友なんだけど――」
「美樹。あいつとなんか妙に仲良さそうだけど?」
こちらに対する呼び名が妙に刺々しい。楠野さんはそんな所に気を留めず、話を続ける。
「うん! 結構話盛り上がっちゃって気が合いそうなんだよね~」
「へえ……」
そう言いながら、こちらをジッと睨み付けてくる片桐さんの顔はかなりの迫力があって、僕は気圧されてしまう。というか、何で筑音さんは僕に対してこんなに警戒の色を隠さないのだろう。
……そんな理由を考えていても仕方ないと結論に至らせて、僕は僕の方で用事を済ませるために楠野さんにそろそろ用事があるから帰っても大丈夫かと聞いてみた。楠野さんは理解を示した様で、ここから先は筑音ちゃんがいるから大丈夫だと言っていた。
そして、別れ際に楠野さんはまた学校で、と叫んだのを最後に二人で僕とは真逆の方向に歩き去ってしまって行った。それにしても、今日は疲れる日だった。さっさと帰ろうと僕は駐輪場まで向かった。
楠野さんに道案内した時間を含めて大体3時間ぐらいいただろう。幸い、ここの駐輪場は料金がかかる仕様がないのでそのままシームレスに出る事ができた。僕は自転車のペダルを漕いで真っすぐに家まで直行した。
そうして、僕がペダルを漕いでいると、どこか一部の一帯から何か光っているのを目撃する。
「あの光、何だろう……」
そう呟かずにはいられなかった。今僕がいる場所から山の方に何か光が漏れ出ている様な気がするのだ。気になった僕は進路を山の方に変更してその光の正体を探る事にした。
そうしてペダルを漕ぎ続けて十数分程は経っただろう。僕は山のふもとまで来てさっきの光源を探し続けていた。
「気のせいだったのかな……」
そう思った。まだ日中と言う事もあるので、多分太陽の光が反射して違和感を覚えただけだろうと僕は思っていた。そうして元の進路に戻ろうとした時だった。
明らかに影の位置が変だという事に気づいた。影の差している方向と逆側――後ろの方に体を向けると、何かが光っている様な……そんな風に見えた。と言う事は、さっきみた光はもしかして……そう思った僕はそのまま自転車をU字回転させて光源の方へと走らせる。
少し眩しかったが、なんとか見れるぐらいの強さではあったので、そのままペダルを漕ぐ事は出来た。そして、そのまま光源にとたどり着いたのだけれど……。
「空き家……?」
その光源先は家だった。しかも、明らかに手入れがされていない状態だったので、ここには誰も住んでいないとわかったのだ。
妙に古く感じるその小さな一軒家の周りに家が無い事に気づく。僕はどこか不気味に感じたその家を後にする事にした。
*
次の学校の日。僕は教室の自分の席で本を読んでいると、彼女……楠野さんが教室に入ってくる所を見かける。やっぱり同じクラスだったんだと思いつつもなかなか話しかける勇気はでない。
ここはプライベートな空間とは全然違う事、そして何より気恥ずかしさもあったのが理由だった。本当はそんな事関係なしに普通に話せればいいのだろうけれど、今の僕にはその発想は出てこなかった。
そうウダウダとして朝の朝礼が終わった後もなかなか話すチャンスには恵まれなかった。
けれど、そんな時間が終わったのはもうすぐ今日の学校の予定が終わりであるクラス委員の仕事決めの時だった。僕は図書委員を選ぶタイミングで誰も手を挙げなかったのを確認すると、手を挙げて図書委員行きますと伝えた。
それを聞いた、担任の先生は僕の名前を黒板に書き込む。そして、他に誰かいないかと聞く。当然、誰も手を挙げないと思っていた。
その時だった。
「はい」
手を挙げた人がいた。
僕はその人物に驚いた。何故なら、
「楠野、やってくれるか?」
「やります」
それが、楠野さんだったからだ。
それと同時にクラス中がざわつく。そんな中で楠野さんが僕の方を向いて、笑顔を見せた後に着席をした。
この時の僕は知らなかったけれど、楠野さんは学校中でも一番よく話題になる程有名な人物であった。僕は有名であることは知っていても、そこまで有名な人と思わず、だからあの時クラス中がざわついた理由を理解できなかったのだけれども。
とにかく、楠野さんは僕が図書委員に立候補した直後のタイミングで自分も図書委員に立候補してきたのは何か意図があっての事だろうか。
僕にはそれがわからない。
けれど、これが僕と彼女の交流の始まりだなんて知る由もなかったのだから。
*
それから一週間程経ち、昼休み。先週やると決めた図書委員の初仕事の日を迎える事になった。図書室は本校舎とは別の西校舎にある。西校舎には美術室や音楽室もあるが、その中でも図書室はその西校舎の大部分を占める程の広さを有している。なお、最初に僕は……とは言ったが今僕は一人ではない。もう一人いる。そして、そのもう一人とは……。
「すごい! いつ見てもいっぱい本があるね、うちの高校!」
楠野さんだった。うるさくならない程度に感嘆の声を漏らす彼女を見て、僕はなんだか複雑な気分に駆られる。その後すんなりと図書委員は僕と、楠野さんの2人でやる事になったのだけど、僕はどうも楠野さんは理由があって図書委員に立候補したと思う。それは、僕が図書委員に立候補した直後に彼女は手を挙げた事がそう思う一番の理由だ。ただの偶然というには言い訳がましく思える程、彼女は僕が立候補した直後に初めて手を挙げたのだ。
まさか、僕と仲良くしたいから? そんな訳ないと思いつつ、僕は質問をする事にした。
「そういえば、さ」
「んー? どうしたの?」
楠野さんがこちらに注目してくる。僕はコホンと咳を鳴らして改めて質問をする。
「何で図書委員に立候補しようと思ったの?」
もちろん、この質問で。どうしても気になった事なのだ。もし彼女が気に病むような事だったら言わなくて大丈夫、とフォローをすればいい。更に言うと、楠野さんはそう言われて少し悩んでいるみたいだから、無理に言わなくても良いとフォローをすれば、
「昨日助けてくれた事のお礼かな」
……いいと思っていたけれど、彼女はあっさりと答えてしまった。そして、その理由に僕はビックリしてしまった。それは、僕にお礼をするために半年同じ委員の仕事をすると言う事他ならない。
「で、でもどうして?」
そこまでして僕にお礼をしたいと言われて、困惑を隠せない。本当に、そこまでしてこんなに大層なお礼がしたいのか?
楠野さんは困り笑いをして理由を淡々と答えていく。
「いやあ、さ。だってほぼ初対面の相手にあそこまで出来る人、なかなかいないと思うの。だから、私気になってさ……」
気になる、という単語を聞いた僕は何だか気持ちがドキドキし始めて来た。
「と、とりあえず図書委員の仕事始めよう」
僕は話題を変えるために、楠野さんに仕事をするようにうながした。
「うん。そうだね」
楠野さんは顔色を一つも変えずにただ、僕の提案に同意をした。
その流れで早速図書委員の仕事を始めたのだが、やる事は単純だ。たまに本を借りたいという人がいれば、パソコンで本の貸し出しボタンを押して、バーコードを読み取る装置で本の背中にあるバーコードを当てたらOK。後は、返された本を元の位置に返したり、本の位置が正しいのか整理をしたりといった事をたまに行えばいい。けれど、図書室の利用者は少なめなので基本は暇と言えば暇なのだ。僕たちは図書室の貸し出しコーナーに設置してある椅子に二人で座っていた。正直な話、何も変化が無かったので退屈だった。
楠野さんは本棚から引っ張りだしてきたらしく、ハードカバーの本を読んでいた。僕は楠野さんがどんな本を引っ張り出してきたのか、気になっている。というのも、楠野さんが見つけた本はどんな内容なのか……そんなどうでもいいことながらも気になってしまう。
「あの、楠野さん」
「うん、どうしたの?」
こちらこそ見てはいないが、しっかりと返事をしてくれた。その事に僕はホッとしつつも改めて気持ちを切り替えて、そのまま疑問をぶつけてみる。
「その本、何かな?」
「ああ、これ? ……はい」
そう言って僕はそのまま閉じられた本を手渡される。その本は「世界は「」で出来ている」という題名だった。
「私、こういう世界とかが付く題名の本が気になるタイプなんだよね~」
それは何だか変わっているな、と思いつつ僕は本を広げてみた。本に書かれた内容は世界が出来た考察……の様なもので、僕は題名からして小説か何かだと思っていたので、拍子抜けする思いでいっぱいだった。楠野さんはこういう本を読むのかな、とは思ったりしたがそこまで深く掘り下げる事でもない様なものだと思うので、敢えて聞かなかった。
そうして、本を閉じようとした際に一瞬何か気になるワードが僕の視界に入ってきた。慌てて本をもう一度開く。そうしたら、その気になるワードの正体が露わになったのだ。
『世界少女は果たして必要なのか?』
なんだこれ、と最初は思った。この本の目次に書いてあった事なのだけれど、他の目次は世界が生まれた経緯やら生物の紀元やらと他にもありそうな目次の題名が付けられていた中、『世界少女は果たして必要なのか?』という題名がとても浮いている様に思えた。
「どうしたの?」
「……ああっ、いやなんでもない」
心配している様子だった楠野さんを安心させるために適当な言葉で返してしまった後に、本を突きだす。
「これ、ありがとう」
「……ううん、別にいいよ」
少し急だったかなと反省もした。けれど、この微妙な空気を変えるのは自分の力じゃ厳しいというのもわかっていた。だから、そんな急な本の突き出ししかできなかったのだと後悔もあった。
……世界少女というものが存在するというのは僕でも知っている事だ。けれど、何故世界少女がこのような本に書かれているのかはあまり知らない。
「……変なの」
楠野さんは不思議そうに呟いた。まあ、そう思うのも無理はないだろう。僕が同じ場面に遭遇したら、変だと思う。
世界少女という単語を頭の中で何度か反芻する度に、僕は頭の中から振り払う。そんな事を気にしていては仕事にならないからだ。ただ、僕は気になった。何故、あんな事が書かれていたのか。
図書委員の初仕事の日はこうして時間を潰していった。たまに本を借りる人がいたので、本を借りたという証を残す様に行われる貸出の準備を行った。それを済ませたら本を相手に渡したら終了だ。
そうして、昼休みが終わる直前のチャイムが鳴った。
「それじゃ、図書室締めないと」
「そうだね」
僕たちは図書室を締めるという話になった。当然、昼休みが終わる直前のチャイムがなったらそれまでに席に座らないといけない。僕たちも生徒なのでそれは簡単に言ってしまえばそうするのは当たり前の事なのだとしか言えない。
そうして、図書室を締めて先生に鍵を渡しに職員室まで移動する事にした。
「それにしても、図書委員って昼休み中はずっといなきゃいけないんだよね~」
「……まあ、そんなにいないし何よりも週に1、2回ぐらいの頻度だから大丈夫だと思うけど」
それもそうか、と笑いながら楠野さんは答えた。楠野さんは僕とは違って人望みたいな……そんなものがある。それは形にはないけど、たしかに彼女にはそういったものがあるのだ。
クラスの中で割と目立つ存在である彼女は、不思議と邪見な扱いを受けない。そこが彼女の凄い所だ。
……まあ、そんな人望がたまに僕に災いを降りかからせたりする。
今日の放課後、下駄箱の所までやってきた僕の所に、この間の彼女が現れたのだ。
「あんた、最近美樹と仲良さそうじゃない」
「え、え……と」
はっきりしなさいよと言わんばかりの呆れ顔でこちらを睨み付けてくる少女……この間楠野さんが待ち合わせしていた相手である片桐筑音さんだ。
「もしかして、美樹の事狙ってる?」
いやそんな訳ないだろと言わせる前に彼女はずかずかと前進してくる。僕は思わず後ずさりをする。まさか、放課後の下校門の前で片桐さんに待ち伏せされているなんて思いもしなかった。……いや、最初に出会った時に僕の事を訝しんでいた彼女が問い詰めてくるなんてことありえたかもしれないけど、それでもわざわざ待ち伏せしてくるだなんて考えられなかった。
「とりあえず、彼女にあんまり深く関わらないでよ! なんか急に仲良くなってる所が怪しいの?」
あまりにも口を開かない僕にしびれを切らしたのか、そう言って片桐さんは下校門を抜けて行った。色々と何だったんだと思ったが、それを今考えても仕方ない。僕はそのまま家まで帰る事にした。
*
それから、図書室での日々は決定的になっていった。一週間の内に最低1回、多くても2回しかない図書委員の仕事だけど、その数少ない回数の中で僕と、楠野さんは会話を重ねて行った。
ある日はよく読む作家の話、ある時はネットの動画投稿サイトに上げられた人気の動画の話。またある日は、SNSで話題になった事柄の話……といった様に非常に種類豊富な話題を彼女は持っていた。僕はそれを聞きつつ、気になったものは少しずつ自分で調べたりして、図書館での話し合いを重ねて行った。
それは、とても他愛のない話かもしれない。好きな作家の話だったり、クラスメイトの話題になったり、最近のイベントだったり。そんな程度の話だった。けれど、僕はそれがとても特別な事だと感じていた。
そんな日々を重ねて、ゴールデンウィークが終わった次の日だった。
「ゴールデンウィーク、どっか行った?」
楠野さんは何気なくゴールデンウィークの終わりの定番を聞いてきた。
「ごめん、僕どこも行ってないや」
なにがごめんよ~、と突っ込んできた。まあ、楠野さんがそう突っ込みたくのもわかるけどきっと彼女は何したのかが気になって聞いてきたのかと思うと、少し申し訳なさがある。
僕は学校で話す友人はいても、一緒にどこかへ遊びに行く友人を持ってはいなかった。それは、単に自分のプライベートが大切だからといったそれだけの理由だ。そんな事を話していたら、誰からも誘われなくなっていた。
「そっか~……」
楠野さんはそれだけ呟くと、何か閃いたと言わんばかりの満面の表情を浮かべると僕に向かって駆け出してきた。思わず後ずさりしかけたが、楠野さんが肩をがっちりと掴んできたのでそうはいかなかった。
「それじゃ今度の休み私の用事に付き合ってよ!」
「……え?」
唐突だった。
いきなり、楠野さんが誘ってきた事に驚いた。僕はこの時頭の中が真っ白になっていて、あまり具体的にどうするかを考える暇が無かった。結果、